『アイズ・ワイド・シャット』

『アイズ・ワイド・シャット』(1999年、アメリカ/イギリス映画、159分)

EyesWideShut.jpg
原題:Eyes Wide Shut
原作:アルトゥール・シュニッツラー『夢小説』(1926)
監督:スタンリー・キューブリック
出演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、マリー・リチャードソン、トッド・フィールドほか


スタンリー・キューブリック監督映画『アイズ・ワイド・シャット』の予告編が流れていた時のことは何となく覚えている。ああ、キューブリックの新作なのか、けどこれが遺作なんだな、と思った。キューブリックにしては珍しくトム・クルーズとニコール・キッドマンという有名スターを起用し、なんだか扇情的な雰囲気の映像だった。しかも成人指定映画だというではないか。

けれど話題性のあるものはとりあえずパス、というひねくれた性格のゆえか、映画館まで足を運ぶことはしないまま何年も過ぎてしまった。そしてつい最近になってレンタルメディア店で手に取った。ニューヨークで開業医をしているビル(トム・クルーズ)と妻アリス(ニコール・キッドマン)には幼い娘がいて、夫婦は倦怠期に入っている様子。

患者で友人のジーグラー(シドニー・ポラック)邸で開かれるクリスマス・パーティに招かれた二人は準備をしているが、アリスが「どうかしら?」と訊いてもビルは彼女を見もしないで「素敵だよ」と返す。そしてシッターに娘を預けた二人はパーティー会場へ。当初二人は一緒だったが、別れてパーティーを楽しむことになり、ビルは二人の女性モデルに声をかけられ、アリスはハンガリー人を名乗る中年紳士から誘惑を受けつつダンスを踊っていた。

だがビルとモデル二人がどこかの部屋に行こうとした瞬間、ビルはジーグラーの所へ行くように、と声をかけられる。ビルが赴くと、酒と薬物の過剰摂取によって危険な状態のマンディという女とジーグラーがいた。マンディの治療を済ませ、パーティー会場に戻ると、旧友のニック(トッド・フィールド)に出会い、今ではピアニストをしているという。アリスは中年紳士の誘惑を振り切り、夫婦はお互いのことを気にしながら帰宅する。

翌晩、寝室で薬物を仕込んだタバコを吸ったアリスは、以前家族で旅行に行ったときの思い出を不意に語りだす。泊まったホテルで見かけた海軍士官と目が合った瞬間、すべてを捨てて抱かれてもいい気持ちになった、とビルに告白する。妻がそんなことをする女ではないと思い込んでいたビルは衝撃を受け、海軍士官とアリスが交わっている妄想が頭から離れなくなってしまう。

患者の老人が亡くなったという知らせを聞いたビルは、患者の家へ向かい、老人の娘にお悔やみを告げるが、彼女から「ずっとあなたに好意を持っていた」と告白され、求められるも何とか振り切る。そして帰宅の途中で例の妄想がビルを悩ませ、彼は夜のニューヨークを徘徊することになる。道で娼婦のドミノにつかまって彼女の家へ入り、事に及ぼうとした時、アリスからの携帯電話が鳴り、ビルの「冒険」は果たされなかった。

その後ビルは、友人のニックがピアノを演奏している店に行き、演奏後にニックから不思議な話を聞く。これから彼は某所でピアノを演奏する仕事があり、入館後に目隠しをされてひたすら指定された曲を弾くよう命じられているんだけど、そこで繰り広げられていることと言ったらないぜ、という。興味を持ったビルは、場所と入館のためのパスワードをニックから聞き出し、深夜に貸衣装屋で仮面とマントを調達、秘密の館へ車を走らせる。

とまあ、途中まではそんな感じで進んでいくんだけど、ここまではあまりキューブリックらしさを感じなかった。この後、秘密の館内の場面から、ぐっとキューブリックらしくなってくる。館内には多数の男女が集まっており、みな仮面を付け、男性は黒いローブだかマントだかをまとっている。女性の一部は裸同然の格好をしていて、異教の儀式めいた何かが執り行われた後は、予想通りの展開になって、ちょっと笑ってしまうほど。この場面こそ成人指定映画たる所以だろう。

だが、予告編を見た観客の多くは、成人指定映画ということもあって、トム・クルーズとニコール・キッドマンがどれだけスクリーン上で露出してくれるのか、と期待したのではなかろうか。もちろん、二人ともある程度の露出はあるけれど、行為の露出は一切なく、ビルの妄想の中でアリスと海軍士官が絡んでいる場面だけである。なので観客の中には肩透かしを食らった、と感じる人もいたのではないかと想像する。

あえてそうなるように仕掛けたわけではないと思うが、基本の設定が「幾多の誘惑を振り切って妻の元へ帰る夫」なのである。老患者の娘、二人のモデル、娼婦、貸衣装屋の娘、そして秘密の館とどれだけビルは誘惑にさらされていることだろう。だが彼は偶然の助けもあって誘惑を振り切ることができた。そもそもの設定が「脱がない男」なんだから、トム・クルーズの露出がほとんどないのも仕方がないと言える。

話としては、いろいろ誘惑があったけれど夫婦がそれぞれ浮気をせず(夫はやろうとしたけれど最後まで行けなかった)、起こったことをすべて妻に話し、それを妻が許して(?)、何をすればいいだろう、と問う夫にあのエンディング。形としてはハッピーエンドなんだけど、見終わった後で幸福感を得られないのは、スクリーンを通して観客は自分自身を見ているような気分になるからではないかと思う。

おそらく人間には、理屈で説明できない非論理的な部分(それをとりあえず「感情」とか「闇」などと呼んでおく)があって、じつはその人の行動原理になっているんじゃないかと思う。けれどそれは公然にできぬ要素を多分に含んでいて、だからそれを露骨に見せられると、なんだか居心地が悪く感じるのではないか。それこそ目を閉じて(Keep own eyes shut)いたい領域なんだけど、そこに踏み込んでいることが、『アイズ・ワイド・シャット』にいわく言いがたい重さを感じる理由なのではないかと想像する。


【付記】
● 有名なエンディングのようですが、乙山のようにまだ見ていない方もいると思います。最後の言葉を遠回しにいうと、"That four letters starting with F" ということでしょうか。その文脈(コンテクスト)上の第一義以外に、何か(だれか)に向けて発せられた言葉のように思えてしまうことも、後味の悪さにつながっているのかもしれません。


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『ストーカー』

『ストーカー』(1979年、ソビエト映画、164分)

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原題:Сталкер(Stalker)
原作:アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『路傍のピクニック』
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:アレクサンドル・カイダノフスキー、アリーサ・フレインドリフ、アナトリー・ソロニーツィン、ニコライ・グリニコ、ナターシャ・アブラモヴァほか


タルコフスキー監督作品『ストーカー』(1979)を見た。題名は現在、迷惑または犯罪行為として知られているそれと同じだが、制作当時はそのような通念はなく、「そっと忍び寄る者、こっそり追跡する者」というほどの意味。『惑星ソラリス』(1972)に続くSF映画だが、『ソラリス』に見られるような近未来的、宇宙的な演出はほとんどない。

ロシア領内と思われるある地域で何かが起こり(隕石の落下とも噂されている)、住民が犠牲になったことから、当局はそこを「ゾーン」と呼んで立ち入り禁止にした。ところが、世の中には物好きな人間がいて、その「ゾーン」に行きたいという。何でも、「ゾーン」には人の願いを叶えてくれる「部屋」があると噂されているのだ。そして「ゾーン」の案内人として「ストーカー」と呼ばれる者もいる。

ストーカー(アレクサンドル・カイダノフスキー)は希望する者からいくばくかの金を受け取り、厳重な警備をかいくぐって客を「ゾーン」へ導き、「部屋」まで連れて行くのを生業としている。しかしその生活は楽なものではなく、妻(アリーサ・フレインドリフ)は「まともな仕事をしてほしい」と訴え続けるが、ストーカーは妻を振り切って仕事を始める。今回の客は「科学者」(ニコライ・グリニコ)と「作家」(アナトリー・ソロニーツィン)だった。

彼らはとある町のカフェで落ち合い、「ゾーン」行の列車が来る時刻を待って自動車で移動する。そして巡回する警備員の監視を逃れれつつ、列車の後について「ゾーン」へ侵入した。ストーカーと作家、そして科学者の三人は、時には口論し、時にはぶつかり反目しあいながらも「部屋」を目指して少しずつ歩を進めていく。彼らは何のために「ゾーン」へ来たのか、そして「部屋」は本当に願いを叶えてくれるのか。

とまあ、途中までそんな感じで進んでいくのだが、今回は「ゾーン」とは何か、という謎や、そこで何かが起きるかもしれない、という緊張感があるので、わりと退屈せずに(?)見ていることができる、と思う。『ソラリス』ほどの大仕掛けはないものの、町の中のゴミが散らばった様子とか、「ゾーン」内で軌道上を移動する車とか、かなり作りこんだに違いない。

ストーカー役の男の風貌は短髪で無精ひげが生えており、見た瞬間私(乙山)は画家のフィンセント・ファン・ゴッホを思い出さずにはいられなかった。ゴッホの自画像をいくつか見るとひげが生えていて髪も多少伸びているものが多いけれど、なぜかゴッホを思い出してしまう。しかもストーカーの人となりが何とも禁欲的で、まるで聖職者のようなのだ。

それに対して「作家」はかなり意識的に俗物として描かれており、彼が持ち込んだウオッカをストーカーは「ここではいけません」とすべて地面に流して捨ててしまう。「ゾーン」は常に変化するもので、侵入者の心の在り方次第で恐ろしいことになりかねないという。だから進むときも非常に慎重で、ボルトに包帯を巻きつけたもの(?)を投げて、変な反応がないかどうか確かめながら進む、といった具合である。

タルコフスキー映画では水が本当によく使われるのと同様に、『ストーカー』でも水が多用される。だがここでは水は多少濁り、表面に黒い油が浮いていたりして汚れているのが他と違うところで、水の底にはかつてそこで人間の生活が営まれていたことを示す物品が沈んでいるのが見える。これもやはり、相当な作り込みが必要だったに違いないと想像させられる映像で、タルコフスキー映像のすごさを感じる。

いや本当に、全体は地味なんだけどやはりすごいとしか言いようのない独特の雰囲気が映像そのものにあって、話の筋より映像そのもので引っ張っていくのがタルコフスキーなんだというのを今回も強く感じた。いつもながらしっかり理解できたわけではないけれど、どれだけ科学が進歩したとしても人間には「聖域」が必要なのではないか。『ソラリス』の根底に流れるものが「愛」だとしたら、『ストーカー』のそれは「希望」なのかもしれない。


【付記】
● 今回も恥ずかしながら全編を通してみたわけではなくて、とりあえず60分ほど見たらいったん中止して、他日見るという作戦でした。『ストーカー』は二部構成になっているので、第一部が終了した段階で止めて、という具合ですべて見ることができたわけです。長い感じはするけれど、なぜかもう一度見たくなる魅力がある作品です。


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『存在の耐えられない軽さ』

『存在の耐えられない軽さ』(1988年、アメリカ映画、171分)

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原題:The Unbearable Lightness of Being
原作:ミラン・クンデラ
監督:フィリップ・カウフマン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ジュリエット・ビノシュ、レナ・オリンほか


原作をかなり前に読んでいたのでレンタルメディア店でその題名を見たとき、本当にあれを映像化できるのか、といぶかしく思った。その後で、もし映像化に成功しているとするなら、どんなのだろうと興味がわいて手に取った。たとえば原作はこんなふうにして始まる。「永劫回帰*という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた**」。

原作は「私」の視点から外科医のトマーシュや妻のテレザ、そして画家のサビーナを語る構成で、本筋以外に「私」の随想が散りばめられており、かなり自由度の高い小説なのだ。だから映画もおそらくナレーション付きになっているのではないかと予想していた。だが、映画を見るとナレーションはなく、1968年におけるチェコスロバキアのプラハが舞台になっており、トマーシュ(ダニエル・デイ=ルイス)がサビーナ(レナ・オリン)の自室兼アトリエにいる場面から始まる。

トマーシュは複数の女性と交際する性癖があり、一度遊んだ女性にはあまり興味を示さないが、サビーナだけは例外で、互いに束縛しあわない二人の関係は長く続いていた。ある日、執刀のために地方の小さな町に赴いたトマーシュは、とあるカフェでウェイトレスをしながらカメラマンを目指しているテレザ(ジュリエット・ビノシュ)と出会う。トマーシュには珍しくベンチに座って話すだけで車で帰ってしまうが、テレザはトマーシュを慕ってプラハのトマーシュの邸宅に来る。

テレザはそのままトマーシュと同棲生活に入り、やがて二人は結婚する。ところが、ソ連軍のチェコスロバキア侵攻が始まり、プラハの町をソ連軍の戦車が何台も通っていく。群衆はチェコの国旗やプラカードを手に反ソ連の声を上げ、テレザはカメラをもってそれらの人々の写真を撮りづづける。トマーシュはテレザを守りながらも群衆とともに声を上げるが、銃弾が飛び交い、群衆はソ連軍に鎮圧されていく。

トマーシュとテレザは、先にスイスのジュネーヴに亡命したサビーナを頼ってプラハを出た。サビーナの紹介である雑誌社の編集者にプラハで撮った写真を見せたところ、ヌード写真の撮影を勧められる。テレザはサビーナを訪ねてヌードを撮らせてくれないかと頼む。渋々了承したサビーナは、一通り撮影が済んだ後、今度はあなたが撮られる番よ、とテレザに迫る。それはできない、と逃げ回るテレザとカメラを持って追いかけるサビーナ。こうして二人は、トマーシュをめぐる三角関係にあるのを知りながらも距離を縮めていく。

UnbearableLightnessOfBeeingBook.jpg途中まではこんな感じで進むんだけど、全編通じていえることはとにかく露出が多いということだろう。見ていて、いったい何回脱ぐんだ、とか思ってしまったほどで、本当はそうではないと思うんだけど、露出している時間がそうでない時間と拮抗しているんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。原作にある「私」の語りを捨象すると、こういう映像になるんだなというのがよくわかった。

トマーシュもお医者さんだから、台詞も "Take off your clothes." がよく使われるのは笑ってしまう。で、テレザと結婚してスイスに住んでいるときも女癖は治らなくて、女と肌を合わせた後にシャワーも浴びないでテレザのベッドに潜り込むもんだから、臭いでばれてしまったり。やれやれ、という感じのトマーシュだが、そういうトマーシュの「軽さ」につくづく嫌気がさして、「自分にとって人生は重い。だけどあなたにとってそれはどうしようもなく軽い。私はその軽さに耐えられない」と置手紙を残してテレザはプラハに戻ってしまうんですね。

トマーシュもテレザを追ってプラハに戻るのだが、そこではソ連の支配が及んで、トマーシュは医者の仕事が得られず、しかも社会主義の思想にそぐわない本を出版したことで当局に追われる身となってしまう。テレザとともに、田舎町の農場でひっそりと過ごす中で、二人はやっと互いを理解できるようになり、幸福とは何か、つかめたように思えた。エンディングは原作とかなり違っており、ここでは語らずにおきましょう。見ていただくほかはない、ということです。

*フリードリヒ・ニーチェの概念(コンセプト)で「同じものの永遠の回帰」。ドイツ語で "ewige Wiederkunft des Gleichen" 、英訳すると "eternal return of the same things" 。
**ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳、集英社文庫、1998年)

【付記】
● とにかく露出が多いので、家族そろって楽しく、などと言うことはありえません。かと言って恋人と二人で、というような甘いロマンスもないわけです。ナレーションをなくしたおかげで、原作の文学性が思いきりそぎ落とされているのが「良い」のではないかと思えました。


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『ノスタルジア』

『ノスタルジア』(1983年、イタリア/ソ連映画、126分)

NOSTALGHIA.jpg
原題:Nostalghia
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:オレーグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン、ドミツィアナ・ジョルダーノほか


以前アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972)を見て衝撃を受け、他の作品はないものかとレンタルメディア店を探したところ、『ぼくの村は戦場だった』(1962)と『鏡』(1975)があったので借りて見た記憶がある。『ぼくの村は…』はまだいいとして、『鏡』に至っては流れる水の中に揺れる水草を延々と撮り続ける映像に度肝を抜かれた。恐ろしく退屈なのだが、なぜか見続けてしまうのが不思議で、他の作品も見たいと思っていた。

ところが、他の作品はレンタルメディア店にも見つからないし、DVDでの販売すら行われていなかった(と思う)ので、見ようと思っても見られない状態が続いていた。ところがつい最近、レンタルメディア店で「映画好きの人が選んだ云々」という企画をやっていて、ふと見るとタルコフスキー作品が三つも並んでいるではないか。思わず手に取って確かめずにはいられなかったが、いくらなんでもタルコフスキー映画を三本立て続けに見るなどという暴挙をしでかすわけにはいかず、一本だけにした。『ノスタルジア』である。

冒頭はどこかの田舎町を歩く四人の女性(?)を映したモノクロ映像で始まる。タイトルが示された後に本編へ移るのだが、自動車がイタリアのとある町でとまり、女性が先に歩きだして進むが、男性は「見たくない」と女性の後をついて行かず、女性だけがキリスト教会に入り、聖母像を見る。女性はエウジェニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)といって翻訳係として同行しているようだ。男性はロシア人作家のアンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)で、ロシア人作曲家の取材をしているようである。

翌日アンドレイとエウジェニアは温泉町へと赴き、そこで周囲から変人扱いされている奇妙な男、ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)に出会う。なんでも彼は、もうすぐ世界の終わりが来ると信じ込み、家族を長年にわたって家に閉じ込めたままにした、というのだ。すでに家族は彼のもとを去り、今は一人で廃屋のような家に暮らしている。ドメニコに興味を持ったアンドレイは彼の家に行くが、そこは雨漏りのため絶えず水が床に落ちる音がしており、壁には「1+1=1」という意味不明な書き込みがあった。

ドメニコは、ロウソクに火を灯したまま温泉の端から端まで渡ることができれば世界は救済される、と考えており、何度もそれを実行しようとするが周囲に止められている、という。別れ際にドメニコはアンドレイに、自分の代わりにやってほしい、といい、アンドレイはそれを約束する。アンドレイがホテルに戻ると、エウジェニアはアンドレイに愛想をつかした感じでローマに行くという。彼女はアンドレイに愛を求めているのだが、アンドレイは何らかの病を患っている様子でそれに応えることができないのだ。

とまあ、途中までそんな感じで進んでいくのだが、予想した通り、何たる退屈(失礼)というか、なんという時間の流れようであろう。ドメニコの家で水が天井から落下して瓶に落ちる様子や、水が流れる様子が延々と映しだされるのをじっと眺め続けることになる。おそらくそこには何の意味もないのではないか、いや何か深い意味が込められているのではないのか、などどいう交錯した思いが脳裏に去来するのだが本当のことを言えばさっぱりわけがわからない。

だが、なぜか見続けてしまうのが自分でも不思議で仕方がない。人によってはもう数分でギブアップ、となるのではなかろうか。私(乙山)は『鏡』で予習(?)を済ませているからタルコフスキー対策はばっちりで、たぶんこういう展開になるだろうと覚悟して見始めたわけだが、それでも全編一気に見るだけの忍耐力や根性はなくて、とりあえず60分見たらいったん中止して、他日残りを見たらいいではないか、という作戦を実行することにした。

タルコフスキーはこの映画を通じて何を伝えたかったのか、とか、『ノスタルジア』の主題は何なのか、とか、そういう高尚なことが私ごときにわかるはずもなく、ただただ「はあ」とか思いながら水の流れる様子とか水に映る景色なんかをきれいだなあ、と眺めるばかりである。そして変人ドメニコはとんでもない行動をするし、自分の命が危ないのにアンドレイも例の「約束」を果たそうとするのに呆れるというか度肝を抜かれる。

たしかにイタリアで撮影をしているはずなんだけど、ローマの街の中以外は(いや、ローマの街でさえも)なんだか異次元の世界で時間が進行しているような不思議な映像感覚があって、これこそタルコフスキーの世界なんだな、と思わせる魅力がある。ウェブログの記録用として写真を撮ることもあるけれど、本当は「こうであってほしい」というような空気感というか、画像の仕上がりとかいうものがあって、それが偶然に定着されるときもたまにあるけれど、ほとんどの場合「ただの記録」としての画像になってしまう。

ところが、タルコフスキーの場合、初めから終わりまで、おそらくどのカットを用いても、「タルコフスキーの絵」になっているのだ。これは本当にすごいことで、こういうのはやはり凡人にできることではないのだと痛感する。べつにタルコフスキーがわからなくたって、ちっとも構わない、あまり余計なことを考えず映像にどっぷり浸るというのがタルコフスキーの楽しみ方ではないかと思う。もちろん、それができれば、の話なんだけど……そして映像に込められた「意味」を読み解こうとするのも次の段階の楽しみ方ではないだろうか。


【付記】
● 久しぶりに見たタルコフスキー、やっぱりすごいものでした。何がすごいのかといえば、映像そのものに魅力があるんです。筋とか展開は二の次という感じで、とにかく初めから終わりまで、映像そのものにすべてをかけている感じがしました。意味は……やっぱりわかりません。いつか、意味がわかる日が来るんでしょうか。


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『探偵物語』

『探偵物語』(1983年、日本映画、111分)

TanteiMonogatari_01.jpg
監督:根岸吉太郎
原作:赤川次郎
出演:薬師丸ひろ子、松田優作、秋川リサ、岸田今日子ほか


かつて1979~1980年にかけてテレビ放映されたテレビドラマ『探偵物語』に熱中してしまった私(乙山)だが、1983年に公開された同名の映画『探偵物語』を公開当時に見ることはできなかった。薬師丸ひろ子が主演の映画だけど、松田優作が出ていることは知っていた。たぶん、1980年代後半になってVHSを借りて見たのではないかと思う。

忘日、岩井俊二監督の映画を借りるつもりで邦画コーナーに立ち寄ったが、あいにく借りようとしていた映画はブルーレイ・ディスク版しか残っていなかった。ブルーレイ・ディスクだと画像は美しいのだが画面キャプチャ―ができない。まあ、といっても近頃では横着になってベストショットを探してキャプチャーするなんてこはしてなくて、題名の画面だけキャプチャーして済ませているんだけど……

で、何か他の日本映画でも見ようかと棚を眺めていたら『探偵物語』が目に留まったので思わずつかんでしまったわけなんです。早速見ると、おやおや、これは単にマスターフィルムをデジタル化しただけで、再処理してないようである。ちょっと退色しているんじゃないだろうか。だけど、ひどいなあというレベルではないので構わず見続ける。

映画は東京の閑静な住宅街の裕福な邸宅に、門限を過ぎて帰宅した女子大学生お嬢様・新井直美(薬師丸ひろ子)が、玄関からではなく何かを登って二階の自室にたどり着く場面から始まる。おいおい、何やらせてんだよ、と思わず言いたくなる場面だが、『裏窓』のグレース・ケリーよろしく直美は何の苦も無くやってのける。じつはもう、彼女は何度もこれをやっているのだ。

両親はアメリカで仕事をしていて、家には直美の世話係の家政婦・長谷沼君江(岸田今日子)が待っていた。直美のわがままに手を焼く家政婦だったが、直美は数日後に両親のいるアメリカに行くことになっていた。翌朝、大学に登校する直美の後をつける男が現れるが、彼は直美がアメリカにたつ日まで保護するために雇われた探偵・辻山秀一(松田優作)だった。

こうして、十代後半のお嬢様と33歳の冴えない男(という設定だと思う)の不思議な巡り合いが起きるのだが、当初直美はしつこく尾行する辻山を嫌って逃げようとする。ところが、朴訥な辻山に次第に直美は興味を持つようになっていく。そして暴力組織が経営するナイトクラブで歌手として働く辻山の元妻・直木幸子(秋川リサ)が、暴力団員と「ホテル」で同室しているときに、何者かが彼を刺殺してしまったことから、辻山と直美は殺人事件に巻き込まれていく。

とまあ、こんな感じで進んでいくのだが、薬師丸ひろ子は設定とほぼ同じ年齢だったらしく、何とも可愛らしい感じである。というか、なんという丸顔、じゃなくて、あどけなさだろう。だけどまあ、そんなことはどうでもいいのである。この人は、天性の女優さんなんでしょうね。「アイドル」などという言葉はこの人には当てはまらない感じがする。演技に不自然さがまったく感じられないんですね。『ALWAYS 三丁目の夕日』でもやはりいい演技をしているなあと感心した。

一方、松田優作のほうはというと、テレビドラマ版『探偵物語』のイメージは微塵もなくて、ジョークを飛ばすこともなく、不屈のヒーローのような格好いい場面も一切ない。ただ与えられた仕事を黙々とこなしていく平凡な探偵で、真犯人を探し当てるいちばん重要な役割は直美がやってしまうんですね。これはあくまで「薬師丸ひろ子が主演の映画」であることを、松田優作はしっかり理解していて、自分はどこまでも脇役に徹しようとしたのではないかと想像する。

実際、松田優作は台本にないアドリブを入れるのが上手な人だということは、テレビドラマ版『探偵物語』を見た人はわかっていると思う。意外とお茶目でギャグが大好きなんだけど、シリアスな役もこなせることは『蘇る金狼』(1979)や『野獣死すべし』(1980)、そしてなにより『ブラック・レイン』(1989)でもわかる。だから、松田優作ファンとしては物足りないと思うかもしれない。

さて、ファッションに目を移すと、なんといっても松田優作が着ているリネンのスーツが格好いい。色は薄茶色で、こういう色のリネンはなかなかないんじゃないだろうか。また、たぶんシャツもリネンだし、ネクタイもスーツと同色系のリネンじゃないかと思う。ううむ、オール・リネンで足元は黒のオックスフォード靴。真似してみたいなあ、と思うけど、たぶん無理。だけどねえ、オール・リネンで決めてる男が、なんで安アパートに住んでるんだよ、と突っ込みたくなりますね。

いちばん好きなのは、元妻を匿った辻山の安アパートに直美が訪ねて来て、そこに暴力組織が乗り込んでくる場面。窓から逃げようとするがままならず、ドアは盛んに叩かれて今にも壊れそうな万事休すという瞬間、直美は元妻に風呂に隠れているように、と言って、自分は服を脱ぎ始める。そして布団に入って辻山に「来て」って……いやあ、たまりませんなあ。薬師丸ひろ子は台本通りにやっているんだろうけど、素のままの本人がやっているかのように見えてしまうのが彼女の素晴らしいところだと感じた。


【付記】
● 日本映画史上に残る傑作の一つ、というほどではないにしろ、久しぶりに見るとなかなか良かったです。松田優作にもうちょっと動いてほしかったなあ、と感じたのも正直に書いておきましょう。


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只野乙山

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⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

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