『八月の鯨』
『八月の鯨』(1987年、アメリカ)

原題:The Whales of August
監督:リンゼイ・アンダースン
出演:リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリー・ジュニアほか


原題:The Whales of August
監督:リンゼイ・アンダースン
出演:リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリー・ジュニアほか
『八月の鯨』を初めて見たのはいつだったか思い出すことはできないが、おそらく1990年代後半、たぶん深夜映画だったのではないか。二人の老婦人が出てくる静かな映画で、ちょっと眠気を誘うけれども印象深い何かを感じたように覚えている。「往年の大女優の共演」などと言われても、まったくぴんとこなかったことを正直に書いておこう。
なにしろリリアン・ギッシュという人はサイレント映画時代の大スターで、その後はあまり映画に出演しなかった人だから知らぬのも無理はない。ベティ・デイヴィスも初めて見たのはクリスティの映画化作品だと思うが、その時はそんな大女優だなんて知らなかった。その後、昔のパブリック・ドメイン作品をまとめて見たとき、ベティ・デイヴィスのすごさを知った。
映画はセピア色で、アメリカ・メイン州の小島に住む姉リビーと妹セーラ、友達のティシャが三人で沖にやって来たクジラを双眼鏡で見る場面から始まる。それがカラー映像に変わって現在に時が流れたことが示される。歳をとったセーラ(リリアン・ギッシュ、当時93歳)が洗濯物を干し、朝食の用意をする。そこに現れたリビー(ベティ・デイヴィス、同79歳)は白内障で目が見えない状態になっている。
この島で釣りをするのが好きだ、というミスター・マラノフ(ヴィンセント・プライス)は小舟でやってきて、釣りを始める。姉妹の古くからの友人ティシャ(アン・サザーン)は、手土産にしようとブラックベリー(ブルーベリー?)を摘みながら姉妹の家の方へゆっくりと向かう。姉妹の家では大工のジョシュア(ハリー・ケニー・ジュニア)が配管の修理をしているが、その音の大きさに姉妹は閉口するもジョシュアに優しい。
姉妹とティシャはお茶を飲み、近頃のことを語り大いに笑う。セーラは大工のジョシュアにもお茶を勧め、ジョシュアは最近島に移り住んだ人たちの傍若無人ぶりを嘆き、島が住みにくくなっていく、という。作業に戻ったジョシュアの代わりに、ミスター・マラノフが釣った魚を持って現れ、よろしければどうぞ召し上がってください、という。
礼儀正しいマラノフを交えてお茶にするのだが、リビーは相変わらず不機嫌のまま。セーラは、魚を捌いてくだされば夕食をご提供しますわ、と持ち出し、マラノフは喜んで、と引き受ける。こうしてマラノフを夕食に招待することにしたのだが、リビーは魚など絶対に食べない、一緒に夕食などしたくない、と頑なな姿勢を崩さない。
とまあ、途中までこんな感じで進んでいくんだけど、やっぱり静かな映画ですね。出だしでしばらくしてから一時停止して、ネットで配役を調べなければどちらがリリアンかベティかわからなかったのを正直に書いておこう。妹役が年上のリリアンで、姉役が年下のベティで反対なんだけど、元気さを見るとそのキャスティングで正解だと思った。
それにしてもリリアン・ギッシュは90歳を超えているとは思えぬ演技である。なんというか、見ていて可愛らしさを感じさせるのがすごいところだ。一方、ベティ・デイヴィスの髪はブロンドだったがそれに白が入って綺麗である。椅子に座ったベティの髪をリリアンが櫛でとく場面が印象的。長くて本当に綺麗なんですね。
本筋とはあまり関係ないけれど、夕食に招待を受けたマラノフ氏は姉妹の邸宅へ向かう途中、花を摘んでセーラに渡すのだが、その彼が着ているのがコードレーン・ジャケット。オフホワイト(グレー系?)のトラウザーズを合わせ、小紋のボウタイ(蝶ネクタイ)で決めている。そしておそらくリネンの飾りチーフをクラッシュト・スタイルでさりげなく胸ポケットに入れている。見習いたい着こなしだが、ボウタイはやはり厳しいだろう。
日本では1988年、岩波ホールの創立20周年記念作品として上映され、淀川長治さんが絶賛したという。リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライスらのこともみんなご存知の淀川さんだからこそのことで、自分などは先刻白状に及んだように、どちらがリリアンかベティかわからなかったくらいである。メイン州の小島の岬で、クジラを待つ彼女らの前に、クジラは再び姿を現すのか?
なにしろリリアン・ギッシュという人はサイレント映画時代の大スターで、その後はあまり映画に出演しなかった人だから知らぬのも無理はない。ベティ・デイヴィスも初めて見たのはクリスティの映画化作品だと思うが、その時はそんな大女優だなんて知らなかった。その後、昔のパブリック・ドメイン作品をまとめて見たとき、ベティ・デイヴィスのすごさを知った。
映画はセピア色で、アメリカ・メイン州の小島に住む姉リビーと妹セーラ、友達のティシャが三人で沖にやって来たクジラを双眼鏡で見る場面から始まる。それがカラー映像に変わって現在に時が流れたことが示される。歳をとったセーラ(リリアン・ギッシュ、当時93歳)が洗濯物を干し、朝食の用意をする。そこに現れたリビー(ベティ・デイヴィス、同79歳)は白内障で目が見えない状態になっている。
この島で釣りをするのが好きだ、というミスター・マラノフ(ヴィンセント・プライス)は小舟でやってきて、釣りを始める。姉妹の古くからの友人ティシャ(アン・サザーン)は、手土産にしようとブラックベリー(ブルーベリー?)を摘みながら姉妹の家の方へゆっくりと向かう。姉妹の家では大工のジョシュア(ハリー・ケニー・ジュニア)が配管の修理をしているが、その音の大きさに姉妹は閉口するもジョシュアに優しい。
姉妹とティシャはお茶を飲み、近頃のことを語り大いに笑う。セーラは大工のジョシュアにもお茶を勧め、ジョシュアは最近島に移り住んだ人たちの傍若無人ぶりを嘆き、島が住みにくくなっていく、という。作業に戻ったジョシュアの代わりに、ミスター・マラノフが釣った魚を持って現れ、よろしければどうぞ召し上がってください、という。

とまあ、途中までこんな感じで進んでいくんだけど、やっぱり静かな映画ですね。出だしでしばらくしてから一時停止して、ネットで配役を調べなければどちらがリリアンかベティかわからなかったのを正直に書いておこう。妹役が年上のリリアンで、姉役が年下のベティで反対なんだけど、元気さを見るとそのキャスティングで正解だと思った。
それにしてもリリアン・ギッシュは90歳を超えているとは思えぬ演技である。なんというか、見ていて可愛らしさを感じさせるのがすごいところだ。一方、ベティ・デイヴィスの髪はブロンドだったがそれに白が入って綺麗である。椅子に座ったベティの髪をリリアンが櫛でとく場面が印象的。長くて本当に綺麗なんですね。
本筋とはあまり関係ないけれど、夕食に招待を受けたマラノフ氏は姉妹の邸宅へ向かう途中、花を摘んでセーラに渡すのだが、その彼が着ているのがコードレーン・ジャケット。オフホワイト(グレー系?)のトラウザーズを合わせ、小紋のボウタイ(蝶ネクタイ)で決めている。そしておそらくリネンの飾りチーフをクラッシュト・スタイルでさりげなく胸ポケットに入れている。見習いたい着こなしだが、ボウタイはやはり厳しいだろう。
日本では1988年、岩波ホールの創立20周年記念作品として上映され、淀川長治さんが絶賛したという。リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライスらのこともみんなご存知の淀川さんだからこそのことで、自分などは先刻白状に及んだように、どちらがリリアンかベティかわからなかったくらいである。メイン州の小島の岬で、クジラを待つ彼女らの前に、クジラは再び姿を現すのか?
【付記】
● 静かな映画でしたが、どこかさわやかで、静かに満ち足りたものが見終わった後に残る不思議な映画だと思いました。メイン州って、本当に南岸に島がたくさんあるようですね。緯度的にはトロントと同じくらいですから、夏はともかく、冬はものすごい寒さになるんじゃなかろうか、そんなふうに思いました。
余談ですが、クジラは日本語で「ホエール」だけど、映画を見る限り、英語の発音をあえて表記してみると「ウェイオウ」または「ホェイオウ」なんですね。難しいところです。クリームの『Wheels of Fire』の「wheels」も難しい。しいて表記すれば「ウィーオゥズ」でしょうか。だけど、ここが重要なんですよ。英語に限らず、外国人に通じるかどうか、それは発音がすべてなのです。
コミュニケーション・レベルでは発音が最重要なのに、日本の英語教育は「文意」を求めるほうを重要視していた傾向があるのではないかと思います。だから読めるのに話せない、という人がたくさん出てくるんでしょうね。日本人は本当は賢いのに、言葉が通じない人のように思われてカモになっているのは「悲喜劇」としか言いようがないでしょう。
● 静かな映画でしたが、どこかさわやかで、静かに満ち足りたものが見終わった後に残る不思議な映画だと思いました。メイン州って、本当に南岸に島がたくさんあるようですね。緯度的にはトロントと同じくらいですから、夏はともかく、冬はものすごい寒さになるんじゃなかろうか、そんなふうに思いました。
余談ですが、クジラは日本語で「ホエール」だけど、映画を見る限り、英語の発音をあえて表記してみると「ウェイオウ」または「ホェイオウ」なんですね。難しいところです。クリームの『Wheels of Fire』の「wheels」も難しい。しいて表記すれば「ウィーオゥズ」でしょうか。だけど、ここが重要なんですよ。英語に限らず、外国人に通じるかどうか、それは発音がすべてなのです。
コミュニケーション・レベルでは発音が最重要なのに、日本の英語教育は「文意」を求めるほうを重要視していた傾向があるのではないかと思います。だから読めるのに話せない、という人がたくさん出てくるんでしょうね。日本人は本当は賢いのに、言葉が通じない人のように思われてカモになっているのは「悲喜劇」としか言いようがないでしょう。


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No title
この映画はぼくも去年観ました。金にものをいわせるハリ
ウッド調とは一線を画する、とても心にしみる渋い作品です
ね。映画というより小劇場で演じられる劇に近いという印象
を受けました。
どことなく小津安二郎の画面を連想させるなあという第一
印象は外れではなく、あとで知ったのですが、この作品の監
督は(記憶違いでなければ英国人)で、小津の大ファンだそ
うです。
なおぼくも英語の発音は大の苦手でして(笑)、英米ともに
標準の発音でゆっくり話してもらえばたいてい聞き取れます
が、そうでなければ、よくわかりません。
しかし"l"の音は英語(に限りませんが)の中ではもっと
も簡単な音のひとつで、要領さえわかれば日本人にも必ず正
しく発音できます。「エ」といった直後に「舌の先を上の歯
ぐきの裏につける」だけでOK。「エル」ではなく「エウ」と
聞こえるはずです。 'whale' なら、「ホエイウ」ですね。
ウッド調とは一線を画する、とても心にしみる渋い作品です
ね。映画というより小劇場で演じられる劇に近いという印象
を受けました。
どことなく小津安二郎の画面を連想させるなあという第一
印象は外れではなく、あとで知ったのですが、この作品の監
督は(記憶違いでなければ英国人)で、小津の大ファンだそ
うです。
なおぼくも英語の発音は大の苦手でして(笑)、英米ともに
標準の発音でゆっくり話してもらえばたいてい聞き取れます
が、そうでなければ、よくわかりません。
しかし"l"の音は英語(に限りませんが)の中ではもっと
も簡単な音のひとつで、要領さえわかれば日本人にも必ず正
しく発音できます。「エ」といった直後に「舌の先を上の歯
ぐきの裏につける」だけでOK。「エル」ではなく「エウ」と
聞こえるはずです。 'whale' なら、「ホエイウ」ですね。
Re: 薄氷堂さん
薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
仰るように、この映画は低予算で作られたと思います。
俳優の数、ロケーション地の限定を見てもわかりますね。
> どことなく小津安二郎の画面を連想させるなあという第一
> 印象は外れではなく、あとで知ったのですが、この作品の監
> 督は(記憶違いでなければ英国人)で、小津の大ファンだそ
> うです。
小津安二郎のことはまったく連想できませんでしたし、
監督が小津の大ファンだとは知りませんでした。
そういえばヴィム・ヴェンダースも小津のファンだとか。
英語の発音は難しいですね。
耳を働かせ、できる限りそっくりに発音する必要があります。
そうでないと、通じませんからね。
「L」の発音はまさに仰る通りですね。
「エル」ではなくて「エウ」でしょうね。
仰るように、この映画は低予算で作られたと思います。
俳優の数、ロケーション地の限定を見てもわかりますね。
> どことなく小津安二郎の画面を連想させるなあという第一
> 印象は外れではなく、あとで知ったのですが、この作品の監
> 督は(記憶違いでなければ英国人)で、小津の大ファンだそ
> うです。
小津安二郎のことはまったく連想できませんでしたし、
監督が小津の大ファンだとは知りませんでした。
そういえばヴィム・ヴェンダースも小津のファンだとか。
英語の発音は難しいですね。
耳を働かせ、できる限りそっくりに発音する必要があります。
そうでないと、通じませんからね。
「L」の発音はまさに仰る通りですね。
「エル」ではなくて「エウ」でしょうね。
No title
乙山さん、今晩は。
この映画、私も観ました。
はっきり覚えていないのですが、ヴィンセント・プライスが出演していたのが意外だったような記憶があります。この方、あまりにも恐い映画のイメージがあったもので、普通の老紳士役がまわってきたのが嬉しかったことかな。
最近、私は古い映画に嵌まっており、先週は”The Third Man”(第三の男)を見直していました。終戦下のヴィエナを背景にジョセフ・コットンの主人公(語り手)がとても魅力的で物語にぐいぐいと弾かれてていきましたが、このテーマ音楽も今更ですが、素晴らしく映画に合っていると思いました。(関係ない話しでごめんなさい)
英語の発音は難しいですが、日本には日本語英語が氾濫しすぎており、それを英語だと思っている方が多く。それが通じると勘違いしている場合も多いと思われます。しかもフランス語や、イタリア語をそのまま使っていたりする事も多いので、私のような人は日本のお洒落な女性誌を読んでいるとさっぱり分けがわからない時があります。半分は横文字でなんじゃこれ状態です。
この映画、私も観ました。
はっきり覚えていないのですが、ヴィンセント・プライスが出演していたのが意外だったような記憶があります。この方、あまりにも恐い映画のイメージがあったもので、普通の老紳士役がまわってきたのが嬉しかったことかな。
最近、私は古い映画に嵌まっており、先週は”The Third Man”(第三の男)を見直していました。終戦下のヴィエナを背景にジョセフ・コットンの主人公(語り手)がとても魅力的で物語にぐいぐいと弾かれてていきましたが、このテーマ音楽も今更ですが、素晴らしく映画に合っていると思いました。(関係ない話しでごめんなさい)
英語の発音は難しいですが、日本には日本語英語が氾濫しすぎており、それを英語だと思っている方が多く。それが通じると勘違いしている場合も多いと思われます。しかもフランス語や、イタリア語をそのまま使っていたりする事も多いので、私のような人は日本のお洒落な女性誌を読んでいるとさっぱり分けがわからない時があります。半分は横文字でなんじゃこれ状態です。
Re: まん丸クミさん
まん丸クミさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
ヴィンセント・プライスは銀幕ホラーの人、ということですが、
乙山はほとんど見たことがないんです。
レンタルメディア店でもあまりに古いものは少ないですしね。
『第三の男』はいいですね!
チターという楽器が使われているそうですが、
本当に映画に合ってましたね。どこかコミカルな感じもします。
> 英語の発音は難しいですが、日本には日本語英語が氾濫しすぎており、それを英語だと思っている方が多く。それが通じると勘違いしている場合も多いと思われます。
日本語では外国語をカタカナ表記しますが、ああするより仕方ないんでしょうね。
英語を習得するとき、そのカタカナ表記のほうで頭に入れるわけです。
そうすると、ネイティヴ英語を聞いてもわからないし、発音できなくなるんです。
音読するときも、カタカナ英語でやらないと、何か言われる、とか、
そういういかにも日本的な事情もあるわけでして、
英語教育の教師だけが悪いわけでもないんでしょうけどね。
'I get off' は「アイ・ゲット・オフ」というより「揚げ豆腐」のほうが通じますし、
'I get it' も「アイ・ゲット・イット」より「愛 下~痢ッ」がはるかに通じますね。
ですが英語のカタカナ表記では通じない方で書かないとわかんないんですよね。
ですが見ていると、「大舞蛾~(オーマイガー)」は定着しているようですよ。
ヴィンセント・プライスは銀幕ホラーの人、ということですが、
乙山はほとんど見たことがないんです。
レンタルメディア店でもあまりに古いものは少ないですしね。
『第三の男』はいいですね!
チターという楽器が使われているそうですが、
本当に映画に合ってましたね。どこかコミカルな感じもします。
> 英語の発音は難しいですが、日本には日本語英語が氾濫しすぎており、それを英語だと思っている方が多く。それが通じると勘違いしている場合も多いと思われます。
日本語では外国語をカタカナ表記しますが、ああするより仕方ないんでしょうね。
英語を習得するとき、そのカタカナ表記のほうで頭に入れるわけです。
そうすると、ネイティヴ英語を聞いてもわからないし、発音できなくなるんです。
音読するときも、カタカナ英語でやらないと、何か言われる、とか、
そういういかにも日本的な事情もあるわけでして、
英語教育の教師だけが悪いわけでもないんでしょうけどね。
'I get off' は「アイ・ゲット・オフ」というより「揚げ豆腐」のほうが通じますし、
'I get it' も「アイ・ゲット・イット」より「愛 下~痢ッ」がはるかに通じますね。
ですが英語のカタカナ表記では通じない方で書かないとわかんないんですよね。
ですが見ていると、「大舞蛾~(オーマイガー)」は定着しているようですよ。