夏目漱石 「吾輩は猫である」

SosekiCompleteWorksVol_1.jpg
夏目漱石を断続的に読んでいるが「吾輩は猫である」でかなりの時間を食ってしまった。前回「坊っちゃん」の記事を書いた日付を見ると、2013年の2月24日となっている。かなりの長編とはいえ、集中して読めば3~4日で読めてしまうはずであるが、どういうわけかこんなにかかってしまったわけである。というわけで「猫」を読了した。

「猫」は高浜虚子の勧めによって漱石が執筆、『ホトトギス』に掲載されたもので、当初は読み切りのつもりで書いたところたいへん好評で、続編を書き連ねているうちに現在残っているような長編になったのだという。構想を練ってから書いたものではなく、かなり自由に行けるところまで行ったら好かろう、という感じに見える。

当時漱石は高校と大学の英語教師をしており、そちらのほうが本業であって、門外漢としての自覚のもとに気楽な立場から書いたと思われる。なのでかなり軽口、なにか落語か漫才、講談のような調子のよさがある。人によっては「ふざけている」と受け取る場合もあったかもしれぬ雰囲気の一方、並みならぬ博識ぶりに驚かされる。

以前はこれをペダンティックだと感じたのだが、今日改めて読み返してみるとそれほど衒学ぶっているとは感じなかった。ということは自分も少しは進歩したということなのかもしれない。もっとも、やはりていねいに入っている注釈なしでは何のことかわからぬ部分も多いことは事実。自分の進歩といってもそんなに大したものではないことを改めて思い知らされた。

巻末の解説によると、「猫」の執筆当時、漱石は38歳、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝大英文科講師となるも「文学論」の講義が難しいと不評で、さらに学生たちがハーンを慕うあまりに、漱石に人気が出なかったことなど、苦しいことも多かったとある。さらに鏡子夫人の実家では父が相場に失敗し悲惨な状態だったとあり、洋行して「出世」した漱石の元に親類縁者が金をせびりに来ることもあったという。

それを大学教師といっても実際はこんなひどいものなのだ、と暗澹たる重たい方向に進まず、自分を戯画化して笑い飛ばしてしまおう、という方向に行ったところに漱石の漱石たる所以があると言えるだろう。戯画化が過ぎて小人物として描かれている苦沙弥先生だが、終わりのほうでいわゆる「近代的自我の肥大」について自説をぶちかましている。

登場人物たちが一堂に会するというエンディングはよくあるもので、よく知られた(?)ところではニーチェの『ツァラトゥストラ』がそうであろうし、フェリーニ監督のイタリア映画でもお馴染みのパターンですね。そうして、人物たちが一人去り、二人去り、と終わりに向かう部分になるとさびしい。少し引いておきましょう。

 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。(夏目漱石『夏目漱石全集 1』「吾輩は猫である」ちくま文庫より)

この一言に尽きますね。これは今回読んだ「猫」の中で一番印象に残ったものである。風刺文学というか「笑いの書」として知られる「猫」であるけれど、根底に流れる通低音はじつはこれなのではないか、なんてことをぼんやり考えた。かなり長い作品なので、細かい部分にかかわるときりがない。で、この一言を選んでみた。


【付記】
● いやあ、「猫」、やっと読み終わりましたよ。ここから「三四郎」まで第2、3、4巻を残すのみとなりました。だけどなんでこの全集には「夢十夜」と「文学論」が収録されていないんでしょうね。


人気ブログランキングへ blogram投票ボタン
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

へぇ、へぇ、へぇ、
猫の根底には漱石さんの
暗い過去の部分が
あったのですね。

改めて、読み直してみようかと
考えましたです。

Re: しょうちゃんさん

しょうちゃんさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
「猫」の場合は過去より、執筆当時が大きいかもしれません。
もちろん、過去もかなり影響していると思います。

No title

 『猫』は七、八回くらい読みました。個人的には『それか
ら』シリーズよりはこちらのほうがはるかにおもしろく、気
に入っています。

 『文学論』はところどころおもしろいところはあるんです
けど、三分の一くらいのところで放り出してしまいました。
漱石は頭脳優秀な人ですが、無理に関数などを持ち出したば
かりに、一種の袋小路に入り込んだのではないかと思います
。論旨がわかりにくいのは、こちらが鈍才だからとばかりは
いえないような気がするのです。

 しかし『文学評論』は無類におもしろい本です。下手な小
説よりもずっと痛快であるばかりか、原文につけられている
和訳が天下一品、ぼくはこれ以上みごとな翻訳文をほかに読
んだことがありません。英文の理解度が並外れていたことに
は驚くばかりで、まったくたいした人物だと尊敬せざるをえ
ませんね。

No title

僕のこの小説の終わりが
ビールに酔って溺死というのが何とも憐れでしかたありません。
せっかく酒の味を覚えたのだから
もう少し飲ませてあげたかったな・・・と。冗談です。

死というモノが現代よりも身近にあった時代です。
やはり、物語の中で死について語らざるを得なかったのでしょうね。

Re: 薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
漱石のいわゆる「三部作」より「猫」が面白いのは、
後者に漱石らしさが凝縮されているからでしょう。
門外漢として自由闊達に筆が運べたからかもしれません。

「文学論」は辻邦生による概要しか知りません。
例の「文学作品=F(act)+f(eeling)」です。
全部読んでないので、関数云々はわかりません。

「文学評論」もまだ未読で、楽しみにしています。

Re: 根岸冬生さん

根岸さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
そうですね、何も「猫」を死なせずとも良かったのではないか、
そんなふうにも思えてきますね。

「主人は早晩胃病で死ぬ」
これは「猫」が終わりのほうで苦沙弥先生を語る部分で、
漱石は自分の行く末をかなり正確に自覚してたのかもしれません。
終わりのほうで自殺論も出るように、意外とペシミスティックなんですね。

只野乙山さん

 お挙げになった式がまさに関数じゃないかと思うのです。

 第一章の出だしのことばを拾ってそのまま使って式にしま
すと、

 「吾人が日常経験する印象および観念(または「文学的内
容」)」= F(「認識的要素」または「知的要素」)+ f
(「情緒的要素」たとえば「なんらの理由なくして感ずる恐
怖など」)

 つづけて、F と f の両方がそなわってはじめて文学的内
容たりうるのだという意味のことをいっています。さまざま
に変化する F と f との結合によって左辺の「文学的内容」
が定まるということこそ関数の考えだと思いますがいかがで
しょうか。

 ぼくはFという記号を見たとき、まっさきに function(関
数)を連想しましたので、思い込みかも知れませんが……

 なんにせよ、この式だけ見ればなんとなくわかったような
気になりますが、だんだん論を展開していくと、こんがらが
ってしまい、とても凡人にはついていけなくなるわけです。

追記

 いま読み返して気づきましたが、F は factor(要素)の略
である可能性が大ですね。

 たぶん fact でも feeling でもないと思います(たまたま
合致する場合はあるにせよ、漱石にそのつもりはなかったとい
うことです)。要素1を大文字で、要素2を小文字で表したのだ
と推測します。

Re: 只野乙山さん ; 薄氷堂さん

氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。

>  お挙げになった式がまさに関数じゃないかと思うのです。
>  さまざまに変化する F と f との結合によって左辺の「文学的内容」
> が定まるということこそ関数の考えだと思いますがいかがで
> しょうか。

そうですね、なんだか関数のような感じもしますね。
ただ関数そのものがややこしいので困りものです。

文学=F+f。これを辻邦生を通して読んだとき、
数学で喩えると、関数ではなく「比と割合」のことが浮かびました。

たとえば、かりに全部で10の要素があるとして、
「戦艦大和の最後はどうだったか」というような文章は、
F:f=9:1 くらいな感じだろうか、とか、そんな具合です。

この理解の仕方もおそらく間違っているでしょう。
ちゃんと読んでいないのですから、議論のしようがありませんね。

Re: 追記 : 薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
仰る通りだと思います。
ただ「文学=F+f」だけでは何のことかわからないので、
辻邦生がわかりやすく表現したということでしょうね。

No title

ついに猫ですか。

あ。こんばんは。^^

私も、何がなんだって、『吾輩は猫である』が、漱石の作品の中で一番好きです。
というより、古今東西の文学作品の中で(無論私が読んだ範囲でということですが。笑)一番好きと言ってもいいかもしれません。
無人島に一冊本を持って言っていいとしたら、という仮定がよく問われますが、私は文句なしにこれを持っていきます。

なんでいいのかってあらためて考えてもどうも説明できにくいのだけれども、
それこそ、『F+f』 でしょうか。登場人物の魅力や、細かなエピソードの面白さなどだけでなく、この作品全体に通底する、なんとも言えぬ江戸の笑い的な『淡泊なおかしみ』や、それと表裏一体をなす漱石のぺシミズムの色が、なんとももうよくてよくて仕方がないんです。^^
もし漱石にこの作品がなかったら、私はこれほどは漱石に魅かれなかったかもしれません。

そして、ここに描かれた苦沙弥先生をめぐる友人師弟関係、というより、漱石を中心とする師弟関係にも憧れがあるからかもしれません…
関係ない話ですが、私、戦時中の文学や作家・兵士の日記などこの春から集中して読んでいるとブログに書いていますでしょう。文学者も下手なことは書けない、学徒出陣した兵たちはなおさらに精神的に追い詰められた状況の中、それらの日記で、何人かの人が申し合わせたように、『漱石を読む』、と書いているんです。漱石をまるでバイブルかなんぞのように。
漱石には、なにか、時代の変動などを凌駕する確固とした揺るがぬ精神と、その反面、非常に真っ正直に自分の弱さも認める潔さが両方あるんですね。
人が迷った時、漱石を手にしたくなるのはそういうところがあるからかもしれません…

そして、この『吾輩は猫である』には、ぺダンテイックであることが学者や学生にとって一種の『当然』であったよき時代…学問の府がおおらかであった良き時代…の姿が愉快に余すところなく描かれていて、それがある種の郷愁を呼ぶから好まれるのではなかろうか、などとも思っています。
だから。この作品は、巻末の膨大な量の注がまた、楽しいんですよね。

私はハーンも好きなので、この二人がすれ違ってしまい、互いに触れ合うことのなかったことが残念でなりません。きっといい同僚になり、お互いになにか心に欠けたものを抱いた…そんな部分を補い合える相手と思いあえたかも知れないでしょうに。



Re: 彼岸花さん

彼岸花さん、こんにちは! コメントありがとございます。
「猫」がいちばん好き、というお気持ち、なんとなくわかります。
コメントを下さった他の方も仰っていましたが、後の作品群より、
「猫」のほうがいいと感じる方は少なからず、と思います。

そうですね、「猫」には漱石らしさが最もよく表れているんでしょうね。
迷亭がよく人を担いだり、からかったり冗談を言ったりしていますが、
ああいう部分は漱石にもあったと思うんですね。

登場人物たちにはそれぞれモデルがあった、とか言うそうです。
なるほどそうでしょうが、それに漱石自身を投影して作り上げていった、
そんなふうに考えているのです。

「坊っちゃん」に全開の江戸っ子気質といいましょうか、
それも「猫」には感じられますね。「坊っちゃん」が赤シャツに、
最後は負けてしまうように、実業家の金田に苦沙弥先生は負けてしまう。
それでも、苦沙弥先生は己の生き方を通すんですね。

ペダンティックも感じましたが、仰るようにこの時代の最強のメディアは活字。
むさぼるように読みふけった若者も多かったのではないか。
旧制高校の学生たちの一端を伝える『どくとるマンボウ青春記』には、
そうして互いに負けじと研鑽する若者たちの姿がありますね。

今の若者というか、今の時代からは考えられもしないようですが、
ちょっと前(30年以上?)には「本を読み過ぎるとロクなことにならない」、
なんていう大人の人が、けっこういたんじゃないでしょうか。

ラフカディオ・ハーンの後任として漱石が帝大の講師になったので、
おそらくハーンと漱石は顔を合わせることくらいはあったかもしれませんね。
しかし仰るように、深い交流がなかったのが残念です。
「耳なし芳一」の話、子ども向けの本でもありまして、とても怖かった。
で、それを書いたのが外国の人だと聞いてびっくりしたんですね。
プロフィール

只野乙山

Author:只野乙山

⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

⚫︎ 下の「全ての記事を表示する」をクリックすると、全記事のタイトル一覧が出ますので過去記事を参照することができます。

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント

openclose

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アーカイヴ

2017/08 (4)

2017/07 (9)

2017/06 (9)

2017/05 (9)

2017/04 (8)

2017/03 (9)

2017/02 (4)

2017/01 (1)

2016/06 (1)

2016/05 (13)

2016/04 (13)

2016/03 (20)

2016/02 (10)

2016/01 (11)

2015/12 (10)

2015/11 (10)

2015/10 (11)

2015/09 (13)

2015/08 (10)

2015/07 (11)

2015/06 (10)

2015/05 (10)

2015/04 (10)

2015/03 (11)

2015/02 (9)

2015/01 (11)

2014/12 (9)

2014/11 (10)

2014/10 (11)

2014/09 (10)

2014/08 (10)

2014/07 (10)

2014/06 (10)

2014/05 (11)

2014/04 (10)

2014/03 (10)

2014/02 (9)

2014/01 (11)

2013/12 (9)

2013/11 (10)

2013/10 (10)

2013/09 (10)

2013/08 (11)

2013/07 (10)

2013/06 (10)

2013/05 (10)

2013/04 (10)

2013/03 (11)

2013/02 (9)

2013/01 (11)

2012/12 (9)

2012/11 (10)

2012/10 (11)

2012/09 (10)

2012/08 (10)

2012/07 (10)

2012/06 (10)

2012/05 (11)

2012/04 (10)

2012/03 (10)

2012/02 (10)

2012/01 (9)

2011/12 (9)

2011/11 (10)

2011/10 (10)

2011/09 (10)

2011/08 (10)

2011/07 (9)

2011/06 (9)

2011/05 (10)

2011/04 (8)

2011/03 (8)

2011/02 (12)

2011/01 (12)

2010/12 (12)

2010/11 (13)

2010/10 (15)

2010/09 (15)

2010/08 (14)

2010/07 (16)

2010/06 (17)

2010/05 (21)

2010/04 (18)

2010/03 (20)

2010/02 (23)

2010/01 (27)

2009/12 (27)

2009/11 (27)

2009/10 (26)

2009/09 (24)

2009/08 (19)

2009/07 (21)

2009/06 (30)

2009/05 (26)