夏目漱石 「趣味の遺伝」
夏目漱石 「趣味の遺伝」 (1906年『帝国文学』に掲載))


夏目漱石の初期、「吾輩は猫である」とほぼ同時期に書かれた作品群を収めたちくま文庫版『夏目漱石全集2』もほぼ終わりに近づいている。ふつうに読めばとっくに終わっているはずの分量なのであるが、読みにくい作品が多くて時間がかかってしまったのだ。たいへんゆっくりしたペースであるが、今回は「趣味の遺伝」を読んでみた。
「趣味の遺伝」は三つの章からなっており、「一」では日露戦争後に凱旋した将軍を見ようとして集まった群衆の中に「余」もいて、ぜひとも将軍を見ようと飛び上がってみたりするのだが、この部分は写生文とでも言えばいいのか、その場の臨場感をできうるかぎり再現しようとして書いたようになっており、「余」は将軍を見て「浩さん」(河上浩一)を思い出す。
「二」は浩さんとの思い出や大陸の塹壕でどんなふうに戦ったのかなどが語られるのだが、この部分は正直読んでいて退屈だった。よほど途中で放り出してしまおうかと思ったくらいだが、初志貫徹という言葉を思い出してしまった。だけど待てよ、そもそもだれが夏目漱石を全部読み通すなどと誓いを立てたのだ、いざとなったらいつでも止められるようにわざと「夏目漱石を読む」というのを正式に企画として扱っていないようにしているのではないか。
てな具合で途中で放り出しては手に取り、また放り出してを繰り返して「二」の終わり頃に浩さんが葬られている駒込の寂光院に「余」が墓参りをする場面にたどり着くが、そこから面白くなってくる。「余」はそこで若く美しい女を見かけるが、彼女はどうやら浩さんの墓前で佇んでいたらしいのだ。生前の浩さんからそのような女性と面識があることなど一切聞かされていなかった「余」は怪訝に思う。少し引いておきましょう。
全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。……(中略)……しかし知らぬ女が花まで提さげて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸けて名前だけでも聞いて見みようか、それも妙だ。いっその事黙って後を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善かろうと墓の前で考えた。(ちくま文庫版『夏目漱石全集2』より)
そうなのだ。「三」から寂光院の女と浩さんのつながりの謎を解明しようとする探偵小説のような様相を呈してくるのであるが、「余」が聞き込み捜査みたいなことを開始するというわけではない。何か手掛かりがあるのではないかと「余」は浩さんの母と面会して話を聞くのだが、寂光院の女に関する情報は一つも得られなかった。「余」は浩さんがつけていた日記を借り出し、情報を得ようとする。
日記の中で浩さんは、何度か見かけた女を夢で見て不思議に思う旨のことを書いていた。「余」はこれだ、とひざを打ち、寂光院の女と浩さんの不思議なつながりの謎を「遺伝」で解けるのではないかと考える。つまり寂光院の女の何代か前に当たる女と、浩さんの何代か前に当たる男が、いつか、どこかで出会って相思相愛の仲になった。それが遺伝によって引き継がれて寂光院の女と浩さんを引き合わせたのではないか、と仮説を立てる。
余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後のちに認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てて脳中に再現する。(同書)
漱石は「琴のそら音」においても、死んだ妻が遠く離れて戦地にいる夫に会いに行く、という超常現象に興味を示しているが、ここでもその種の不思議な現象にかなり大真面目に扱っている。どこまで本気なんだろうかと思わぬでもないが、世の中には不思議としか言いようのない説明のつかぬことも多々あるのではないか。前半部分の読み辛さは本当だけど、ユーモア方面ではないオカルトっぽい漱石も面白い。たぶん漱石はその手の話が大好きだったんではないだろうか。
「趣味の遺伝」は三つの章からなっており、「一」では日露戦争後に凱旋した将軍を見ようとして集まった群衆の中に「余」もいて、ぜひとも将軍を見ようと飛び上がってみたりするのだが、この部分は写生文とでも言えばいいのか、その場の臨場感をできうるかぎり再現しようとして書いたようになっており、「余」は将軍を見て「浩さん」(河上浩一)を思い出す。
「二」は浩さんとの思い出や大陸の塹壕でどんなふうに戦ったのかなどが語られるのだが、この部分は正直読んでいて退屈だった。よほど途中で放り出してしまおうかと思ったくらいだが、初志貫徹という言葉を思い出してしまった。だけど待てよ、そもそもだれが夏目漱石を全部読み通すなどと誓いを立てたのだ、いざとなったらいつでも止められるようにわざと「夏目漱石を読む」というのを正式に企画として扱っていないようにしているのではないか。
てな具合で途中で放り出しては手に取り、また放り出してを繰り返して「二」の終わり頃に浩さんが葬られている駒込の寂光院に「余」が墓参りをする場面にたどり着くが、そこから面白くなってくる。「余」はそこで若く美しい女を見かけるが、彼女はどうやら浩さんの墓前で佇んでいたらしいのだ。生前の浩さんからそのような女性と面識があることなど一切聞かされていなかった「余」は怪訝に思う。少し引いておきましょう。
全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。……(中略)……しかし知らぬ女が花まで提さげて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸けて名前だけでも聞いて見みようか、それも妙だ。いっその事黙って後を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善かろうと墓の前で考えた。(ちくま文庫版『夏目漱石全集2』より)
そうなのだ。「三」から寂光院の女と浩さんのつながりの謎を解明しようとする探偵小説のような様相を呈してくるのであるが、「余」が聞き込み捜査みたいなことを開始するというわけではない。何か手掛かりがあるのではないかと「余」は浩さんの母と面会して話を聞くのだが、寂光院の女に関する情報は一つも得られなかった。「余」は浩さんがつけていた日記を借り出し、情報を得ようとする。
日記の中で浩さんは、何度か見かけた女を夢で見て不思議に思う旨のことを書いていた。「余」はこれだ、とひざを打ち、寂光院の女と浩さんの不思議なつながりの謎を「遺伝」で解けるのではないかと考える。つまり寂光院の女の何代か前に当たる女と、浩さんの何代か前に当たる男が、いつか、どこかで出会って相思相愛の仲になった。それが遺伝によって引き継がれて寂光院の女と浩さんを引き合わせたのではないか、と仮説を立てる。
余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後のちに認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てて脳中に再現する。(同書)
漱石は「琴のそら音」においても、死んだ妻が遠く離れて戦地にいる夫に会いに行く、という超常現象に興味を示しているが、ここでもその種の不思議な現象にかなり大真面目に扱っている。どこまで本気なんだろうかと思わぬでもないが、世の中には不思議としか言いようのない説明のつかぬことも多々あるのではないか。前半部分の読み辛さは本当だけど、ユーモア方面ではないオカルトっぽい漱石も面白い。たぶん漱石はその手の話が大好きだったんではないだろうか。
【付記】
● 当時漱石はまだ東京帝大や一高で教鞭をとっていて、作中でも「自分は文士ではない」と明言しているあたりがなんだか面白いですね。この後、朝日新聞社に入社して筆一本で生活を立てることになって教職を辞すわけですが、(お金を貰っている以上何か面白いものを)書かねばならぬという重圧は相当なものだったのではないかと想像します。
● 当時漱石はまだ東京帝大や一高で教鞭をとっていて、作中でも「自分は文士ではない」と明言しているあたりがなんだか面白いですね。この後、朝日新聞社に入社して筆一本で生活を立てることになって教職を辞すわけですが、(お金を貰っている以上何か面白いものを)書かねばならぬという重圧は相当なものだったのではないかと想像します。
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No title
当時の時代背景を鑑み、文化や、社会情勢、また言葉使いや言い回しも現代とはかなり異なるので、理解して読み進めるには時間とエネルギーと知識が必要になってしまいますよね。
時間がかかるの、とてもよく分かります。
仰る様に、目に見えない世界や女性に対する漱石の繊細な見方が、かえるままも好きです。
時間がかかるの、とてもよく分かります。
仰る様に、目に見えない世界や女性に対する漱石の繊細な見方が、かえるままも好きです。
Re: かえるママ21さん
かえるママさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
ちくま版『夏目漱石全集』は現代仮名遣いで随所にルビがふってあるので、
そんなに読みにくいものではないのですが、やはり内容がポイントです。
あの夏目漱石といえど、いつも出来のいいものを書いていたわけではないのです。
とくに初期は「自分は文士ではない」との言葉からわかるように、
教職ともの書きの間で揺れていた時期ではないかと思います。
その後、教職を一切辞し、朝日新聞社に入社、もの書き一本になるんですね。
初期の作品はだから、比較的自由に書くことができた分、
冗長になりがちで、「趣味の遺伝」の前半部分などはそうでしょう。
この部分が読みづらかったですね。
オカルト話、漱石はたぶん大好きだったんだと思います。
たとえ現世で結ばれなくても、いつかきっと生まれ変わって二人は……
漱石の「秘めたる想い」に関係があるのかもしれません。
ちくま版『夏目漱石全集』は現代仮名遣いで随所にルビがふってあるので、
そんなに読みにくいものではないのですが、やはり内容がポイントです。
あの夏目漱石といえど、いつも出来のいいものを書いていたわけではないのです。
とくに初期は「自分は文士ではない」との言葉からわかるように、
教職ともの書きの間で揺れていた時期ではないかと思います。
その後、教職を一切辞し、朝日新聞社に入社、もの書き一本になるんですね。
初期の作品はだから、比較的自由に書くことができた分、
冗長になりがちで、「趣味の遺伝」の前半部分などはそうでしょう。
この部分が読みづらかったですね。
オカルト話、漱石はたぶん大好きだったんだと思います。
たとえ現世で結ばれなくても、いつかきっと生まれ変わって二人は……
漱石の「秘めたる想い」に関係があるのかもしれません。
No title
乙山先生のように全集を読んでいくというのはいいですね。
若い時は、むさぼるように本を読むものの好き嫌いも激しく
偏りがちの傾向がありました。
僕もいつかやってみようと思いました。
老眼鏡とルーペが必要ですが。
若い時は、むさぼるように本を読むものの好き嫌いも激しく
偏りがちの傾向がありました。
僕もいつかやってみようと思いました。
老眼鏡とルーペが必要ですが。
Re: 根岸冬生さん
根岸さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
夏目漱石全集は「青空文庫」のことを知らなかったときに買いました。
本の形で読むほうが、目に負担が少なくていいかもしれません。
最近の文庫全集は昔の新潮文庫とかとちがって活字が大きいのです。
だからルーペは必要ないかも?
人によっては「青空文庫」のほうがいいのかもしれませんね。
夏目漱石全集は「青空文庫」のことを知らなかったときに買いました。
本の形で読むほうが、目に負担が少なくていいかもしれません。
最近の文庫全集は昔の新潮文庫とかとちがって活字が大きいのです。
だからルーペは必要ないかも?
人によっては「青空文庫」のほうがいいのかもしれませんね。