夏目漱石 「一夜」

夏目漱石 「一夜」 (1905年9月『中央公論』掲載))

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「吾輩は猫である」と同時期に書かれた夏目漱石の作品には、「猫」でできなかった実験的な試み(?)を見ることができるが、「一夜」はそうした実験的要素が多分に表れているのではないかと思う。さっと読んだだけでは登場人物がいったい誰であるのか、なにが起こっているのか、さっぱりわからないまるで雲をつかむような話なのである。なにしろ漱石自身が「猫」の六章で次のように書いているくらいなのだ。少し引いておきましょう。

せんだっても私の友人で送籍(漱石のもじり)と云う男が一夜という短編をかきましたが、誰が読んでも朦朧として取り留めがつかないので、当人に逢って篤(とく)と主意のあるところを糺して見たのですが、当人もそんなことは知らないよと云って取り合わないのです。(ちくま文庫版「夏目漱石全集1』より)

実際、どこかの旅館と思しき八畳の座敷に、男二人と女一人がいて何やらとりとめのない会話をして、夜も更けてきたからそのまま三人とも寝る、というただそれだけの話なのである。登場人物の名前もわからぬ、筋らしい筋もなければ、これといった出来事も起こらぬ、現代小説も真っ青の意味不明ぶりである。

三人称で書かれているのだが、語り手は人物の心の中に入って行くことはなく、淡々と人物たちの言動を追っていくだけなので、これはいわゆるハードボイルド・スタイルだと言えぬこともないと思う。語り手はまるで映画用のカメラを構えて人物たちを追っているようで、場面が一切変わらぬ長回し(ロングテイク)を見ているような雰囲気だ。

座敷に三人が座って会話しているのだろうから、カメラは比較的低い位置に固定されていると想像する。そして彼らは、彼らだけの間でしか通用しない符丁というか閉じられたコードの中で会話しており、その姿をカメラが延々と追い続けていく……なんだかもう、小津安二郎の映画でも見ているかのような雰囲気ではないか。

しかも文語調がわりと多めに散りばめられているからじつに読みにくい。ええと髭のある男がどうしたって、とかそんな調子で二回ほど読み返してみたけれど、やはりわかりにくいというか未だによくわかっていないことを正直に書いておこう。もちろん、落とし所などあるはずもなく、ちょっと待ってよ、そりゃあないよ、あんまりだよと言いたくなる文言で話(?)は締めくくられる。

ここでそれを引くのは割愛させていただくが、興味のある方はインターネット図書館「青空文庫」で確かめることができます。「夏目漱石 一夜」などと検索をかければ、一番目に出てくるのではないかと思う。前後関係は研究者の方は把握しておられるだろうけど、「猫」で出てきた「送籍なる者が書いた一夜を見てみたい」という声に応えた一種のサービスだったのかもしれぬ、などと勝手に想像している。


【付記】
● 夏目漱石の中では別に読まなくても大丈夫、という部類の作品ですが、読んでいるとさすが一味違うねえ、などと言われるかもしれないですね。まあ、ほめられたとてどうなるものでもありませんが、面白いといえば面白い作品ではないかと思います。

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tag : 夏目漱石

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No title

 実はこの作品、こちらのブログにいつ登場するのかと楽しみ
にしておりました。お疲れさまです(笑)。

 ぼくの手元にある新潮文庫版では、解説の伊藤整が『一夜』
の系統は『草枕』においてひとまず完成したのだ、という意味の
ことを書いております。

 そういえば『草枕』だって、ぼくみたいに九九以上の算数は苦
手な男の手に余る、よくわかるようなわからないような小説です
けれど……この『一夜』ほどではありませんね。泉鏡花風のわから
なささえ感じます。

 当時の文壇には疎いので、あくまでも思いつきにすぎません
が、最後の文章を読むと、どうも軽い風刺がひそんでいるような
気もするのです。具体的になんに対してか、だれに対してかは
不明ですが、あえて非常に無理のある設定を選んでいることが
気になります。

 (わかる人にはわかったのかもしれませんが)まずふつうの読
者にはわかるまい、わからんやつは放っておくさ、というわけで
す。しかし案外単なる遊び心のあらわれなのかもしれず、あまり
マジメに考えすぎると、肩すかしをくらいそうな気も……

> そりゃあないよ、あんまりだよと言いたくなる文言で話(?)は
締めくくられる。

 先生に苦情をいうと、だからちゃんと最後に断っておいたじゃ
ないか、と一蹴されそうですね。

Re: 薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
いやまったく、漱石の初期作品は読むのに難儀するものが多いですね。
なるほど伊藤整の解説で……それはいいなあ。

そういうものがあると、読むときおおいに参考になりますね。
ちくま文庫版全集にも解説(吉田精一)はあるのですが、
ごく短いあっさりしたもので、あまり参考にはなりません。

「猫」執筆当時の漱石は「余裕派」などと称されたようですが、
いわゆる文壇の主流に属する人ではなく、文壇を外から眺めている人、
だったのではないかと想像します。

その後、朝日新聞社に入社し、「職業作家」となるわけですが、
このような立場で小説を書いた人は極めて珍しく、
その後も漱石は文壇に深入りすることはなかったのではないか。

そんなふうに想像しております。なので「一夜」が風刺、
というのはなんとなくあり得ることではないかと思います。
仰るように、そうだとしても、それが何に対して、だれに対して
向けられたものかは、皆目わかりませんね。

いずれにしても雲をつかむような話で、それゆえいろんなことを想像して
読むことも可能な、やはり「面白い」小説です。
あるいは、そういう意図は当初からなかったのかもしれませんしね。
乙山は最後の解がけっこう好きなんですけど。

No title

こんばんは!

少し前の記事ですけど、書いていいでしょうか?
ずっと気になっていたのです。このお話。
どこか遠くで、客観的にボ~ッと見えているものがあって、
それをただ書き写してみただけなのかも・・・と。
書こうとして書いたものではなく、見えたものをただ書いてみただけ?
だから、何を言おうとしているのか、
よくわからないような感じになっているのかしら?と。
漱石のお話を読んでいないから、比較もできなくて、わかりませんけれど、
お話を読んで、そんな感じがしています。
いろいろと違うかもしれないとも考えてみたのですけど、
なんとなく・・・そんな感じがしてならないのです。

すいません、またもこんなことを書いてしまって・・・(>_<)

Re: りーさん

りーさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
過去記事に関するコメントは歓迎しますよ。
もとよりこのウェブログは時事性がありませんので、
どれほど過去のものであろうとも、一切気にしておりません。

「一夜」は不思議な話なんですね。
本当、何のことやらわからない、なんでこんなものを書いたのか、
よくわからない作品(?)なんです。

ただ漱石が夢に関心を持っていたことや、
超常現象にも興味を示していたことからすると、
けっこう意図的にこういう類のものを書いたのかもしれません。
面白いですね。

No title

こんばんは。

なるほど、夢の中の出来事かもしれませんね。
不思議な空気が漂っているようなお話。
普通に読もうとすると、ちょっとわけがわからなくなりそうですけど、
違う見方(特殊な見方?)をすると意外とすんなりと受け入れられるのかもしれませんね。

Re: りーさん

りーさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
「一夜」はいろいろ解釈ができて楽しい(?)ですね。
夢ということなら、ずばり「夢十夜」があります。
あのジークムント・フロイトの『夢判断』が出たのが1900年。
ひょっとしたら漱石はそれを原書で読んだのかもしれませんね。
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只野乙山

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⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

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