夏目漱石 「カーライル博物館」

夏目漱石 「カーライル博物館」(1905年『学燈』に掲載)

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トーマス・カーライル(1795-1881)という英国人のことをいつ知ったのかもう定かでないが、以前柄にもなく服飾関係のことを勉強していたときに、カーライルに『衣服哲学』という著作がある、ということなどを聞き及んだ際ではないかと思う。不勉強の徒であるゆえか、それを聞いたとてカーライルの『衣服哲学』を読んだわけではないのを正直に書いておこうと思う。

そのトーマス・カーライルが以前住んでいた邸宅が、夏目漱石ロンドン滞在時にはカーライル博物館として一般公開されていたようで、それを訪れたときの感想のようなものが「カーライル博物館」として残っている。1905年『学燈』に掲載とあるけれど、調べてみたところ『学燈』とは丸善のPR誌のようである。丸善の上得意客であったろう漱石だから、書店側の依頼によって執筆したのだろうか、などと勝手に想像してみたくなりますね。

ちなみに「カーライル博物館」で検索をかけてみると、「カーライル博物館に行ってきた」という内容のウェブページがいくつか散見されるので、今でもカーライル博物館は残っていて、夏目漱石が書いた建物や風景を確かめることができるようだ。フランス人の多くがアンリ・ファーブルを御存じないように、英国人の若い世代の人たちもトーマス・カーライルのことはほとんど知らないようである。

博覧強記の漱石のことだから、カーライルをしっかり読んでいて、彼の著作や人となりに敬愛の念を抱いていたであろうことが文章から伝わってくる。漱石がカーライルの邸宅を訪ねたのはカーライル没後20年以上経ってからである。世紀を越えて久しいが、今でも前世紀後半のことなどがつい最近のことのように思われるということは、漱石にとっても19世紀のことがやはりついこの間のことに感じられたことであろう。少し引いておきましょう。

 カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお厳然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。(ちくま文庫版『夏目漱石全集2』「カーライル博物館」より)

話は漱石がカーライル博物館を訪ねて見聞きしたものを書きながら、そこにカーライルにかんする自身の思いを書き連ねるもので、「倫敦塔」における鴉(カラス)とか、若い母親と子どもの幻視(?)のような仕掛けはなく、だから小説というよりはあっさりと書かれた見聞録のような趣きである。

一階、二階と案内者にしたがってカーライル邸宅を見物していくが、とうとう最上階に至る。そこはカーライルが書斎として使っていた屋根裏部屋のような所だが、漱石はカーライルの日記とか日常雑記のようなものまで読んでいたのか、この小さな部屋でカーライルがどんなことを考え、どんなふうに暮らしていたかを思い浮かべるのだ。

 かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの効果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺に起こった。なるほど洋琴(ピアノ)の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考えだに及ばなかった寺の鐘、汽車の笛さては何ともしれず遠きより来る下界の声が呪のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。
 声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。
(中略。ショーペンハウアーの引用が入る)カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。(同書)

こういう個所を読むと、やはり漱石は博学の人だなあと感心せざるを得ない。ドイツ哲学、たとえばカントやショーペンハウアー、ニーチェばかりでなく、フィヒテやシェリング、ヘーゲルまで読んでいたのではないかと思われる。実際、「思い出す事など」のなかではベルクソンについて言及しているほどなのだ。これを機会に、カーライルをなにか読んでみようかな、などと一瞬思った(だけ?)のでした。


【付記】
● つい先日、眼科に通院した際、待合室で「カーライル博物館」を読みました。時間にするともう十数分でしたが、それがどうして自室で出来なかったのか不思議でなりません。眼科では目薬をさして瞳孔を開き、眼の様子を撮影する検査や、視野の検査をしたのですが、治療が必要なレベルではないということで、どうやら無事放免ということになりました。しかしながら紫外線には気を付けないとなりませんので、今しばらくはサングラスの使用を続けるつもりです。

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No title

こんにちは。私もカーライルつーたら、ロバート・カーライルしか良く知らないですが、ええと、トーマス・カーライルって「英雄待望論」の人でしたっけ?とかいい加減な話はこれくらいで、

>丸善の上得意客であったろう漱石だから、書店側の依頼によって執筆したのだろうか、などと勝手に想像してみたくなりますね

という感覚が私はとても好きです。20数年前の話ですが、寺田寅彦の随筆集を読んでた時に、銀座のジャーマン・ベーカリーという喫茶店が出てきて、当時有楽町駅前にあったジャーマン・ベーカリーにお茶しに行ったことがあります。全然無関係の店だったかもしれませんが、、。
お邪魔しましたm(__)m

No title

ふと、自分が国文を専攻していたことを想い出しました。うふふ。
なんだか、遠い昔です。
当時の日本人にとって
それは政治家であっても作家であっても海外を見て来たというのはすんごい財産であったはずですね。
特に作家は、暮らしてみて、感じ、考えることが価値があった。

最近、文学が遠いです。とほほ。

Re:yuccalinaさん

yuccalinaさん、こんばんは! コメントありがとうございます。
そうですよね、カーライルといえば、ロバート・カーライルですよね!
渋い俳優さんだなあ、と思っています。

どの映画で見たのがいちばん最初かわかりませんけど、
インパクトがあったのが『フル・モンティ』でしたね。
『ゴー・ナウ』のカーライルも素敵でした。

寺田寅彦の随筆集を読むなんて、それだけで素敵ではありませんか!
〈ジャーマン・ベーカリー〉というのが気になりました。
今でもあるのでしょうか。あったらいいのにな。

Re:根岸冬生さん

根岸さん、こんばんは! コメントありがとうございます。
そうでしょうね、徳川体制下で長らく他国との交易が途絶えていた状況でしょうから、
幕末から明治初めの頃の洋行は、とてつもない「価値」があったのではないかと想像します。
それこそ、文化的衝撃、でしょうか。

時は下って、漱石の頃でもなお、洋行経験者というのは
やはり違うものだという、決定的な違いがあったのではないかと思います。
さらに時が下って1960年代でも、ハワイ旅行はそれこそ、
数百万円かかるのではなかったでしょうか。
だからこそ、昔はハワイで婚礼の儀式を済ませるのが憧れだった。

時代は、世界は、変わったのですね。
「なんでここにはコンビニがないんだ?」
と、わざわざ外国にまでやってきて、そんなふうに思う人がいるのかもしれません。

No title

 「此夏中は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に悩まされ候事一方ならず」
という箇所を読んで苦笑しました。

 カラスがうるさい(こんなにたくさんいたのか!)。ちり紙交換、エンジンを
かけたまま停車する宅急便のトラック、近所の人の立ち話、「ママー!」と
いうこどもの甲高い声、ときどき通過する乗用車の音……などなど。

 わりと静かな住宅街でも、二階の窓を開け放していると、さまざまな雑音
が飛び込んでくるものです。

 そうか、えらいカーライル先生も同じ苦労をしたのか……と、まったくえらく
ないぼくは心から同情したのでした。

 カーライルの文章はインターネットでいくらでも読めるありがたい世の中
ですが、さて一編でも読むことができますかどうか(笑)。カーライルは多作
の人ですから、さすがの漱石先生もすべて読破はしてはいないと思います
が、読書範囲の広いことといったら驚くべきものがあります。神経衰弱にな
るのもあたりまえですね。明治の人はえらかった。

Re: 薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
いやまったく、乙山も引っ越しの際に「閑静な」という文句に惹かれて
物件を決めたのですが、静かだとかえって物音がよく聞こえてくるんですよね。

>  カラスがうるさい(こんなにたくさんいたのか!)。ちり紙交換、エンジンを
> かけたまま停車する宅急便のトラック、近所の人の立ち話、「ママー!」と
> いうこどもの甲高い声、ときどき通過する乗用車の音……などなど。

乙山も夏は網戸で全開状態にしておりますので、
いろんな声、物音が聞こえて仕方がありません。
アイマスクと耳栓を買おうかな、と半ば本気で思うほどですよ。

漱石の読書範囲は恐ろしく広いようで、「思い出す事など」のなかでも
えらくかたい本を(しかも原書で)読んでいるんだなあ、と感心することしきりでした。
カーライルの本はいくつか翻訳があるようですから、
図書館で探してみようかな、なんて、ほんと口だけかもしれませんが……
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只野乙山

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