夏目漱石 「倫敦塔」

夏目漱石「倫敦塔」(1905年『帝国文学』に掲載)

SosekiCompleteWorksVol_2_01
半ば企画化しつつある「夏目漱石を読む」であるが、漱石の最後期作品群に入る前に、初期作品群を読んでみようと思い立った。なんだかこのまま読み終えてしまうと、初期作品群に目を通すことなく終わってしまいそうな気がしたからである。というわけで例によってちくま文庫版『夏目漱石全集2』を手に取り、「倫敦塔」を開いてみた。

これは私小説の形になっているけれど、ロンドン塔を読者に紹介する目的も兼ねていて、なんだか紀行文のような感じでもある。いささか硬い感じがする文章(美文調?)で、ベッドにごろりとなってうっかり読んでいるとなんだか瞼が重たくなってくるような文章に思えた。で、しっかり睡魔にやられ、スローペースになってしまいましたよ。

ゴシック的恐怖物語のような雰囲気に満ち満ちているとでも言えばいいのだろうか、なんだかおどろおどろしい感じがして全体に暗い雰囲気が立ち込めている。これは、ロンドン塔が身分の高い政治犯などを幽閉あるいは処刑する監獄として使われ、後に反逆者などの処刑場として使われたという歴史的事実に基づいて、漱石がその部分を強調して描いたことによるものだろう。

作中では鴉(カラス)が登場してそのダークなイメージをさらに色濃くしているが、ロンドン塔では今でも一定数の鴉(ワタリガラス)を飼育しているというから驚きである。ロンドン塔は今では世界文化遺産に登録されており、イギリス観光の目玉としても機能しているらしいから、現代の観光客の目からすると、漱石が描いたような雰囲気を味わうには少し違う感じがするかもしれない。

その鴉は漱石がボーシャン塔(The Beauchamps Towerのフランス語読み。ビーチャム塔)で目撃するのだが、そこで漱石は7歳くらいの男の子を連れた若い女性が立っているのを見る。ビーチャム塔の壁には囚人たちの落書きが数多く残されていて、漱石はしばしその落書きを見ながら塔の中で生涯を終えた人たちに思いをはせる。

ふと気が付くと、例の若い女性と男の子が傍らに立っていて、男の子が壁を見て「犬がかいてある」と言うと、彼女は「あれは犬ではなく、左が熊、右がライオンでこれはダッドレー家の紋章です」と答えるのだ。そして落書きや絵の意味を次々に男の子に説明していく。漱石は気味が悪くなってそこから離れ、「ジェーン」という文字からジェーン・グレーのことを思い浮かべる。

再び我に返った漱石が周囲を見回しても、あの若い女性と男の子は姿が見えず、まるで初めからそこにいなかったかのようである。宿に帰ってから主人にロンドン塔を見物したことを話すと、鴉が五羽いたでしょうと言うのだ。ひょっとするとこの主人も、あの若い女性に何か関係があるのかといぶかるのだが、主人があれは奉納の鴉で、むかしからあそこで飼っているのだ、とまるで種明かしのような「落ち」が付く。

若い女性と男の子がまるで幻視であったかのように描かれているあたりが、「倫敦塔」のいちばん面白いところなんじゃないかと思う。ちなみに、重要な部分ではないのですが、ちょっと気になった、というか目に留まった箇所があるので引いておきましょう。

Beafeater_120813.jpg余が感服してこの甲冑を眺めているとコトリコトリと足音がして余の傍へ歩いて来るものがある。振り向いて見るとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと云うと始終牛でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。絹帽(シルクハット)を潰したような帽子を被って美術学校の生徒のような服を纏うている。(ちくま文庫版『夏目漱石全集2』「倫敦塔」より)

いやね、こんなところでビーフィーターに出会うなんて、と驚いたわけですよ。ここでいうビーフィーターというのは、ジンのことで、お気に入りでよく飲むロンドン・ドライ・ジンである。ついでだからビーフィーター・ジンの画像も載せておきましょう。漱石が見たビーフ・イーターが、このボトルのデザインのようなものだったかどうか、わからないかもしれませんが。


【付記】
● いや本当、漱石は英国史についてもよく勉強しているのがよくわかるのが「倫敦塔」ですね。なのに酒の話に落ち着いてしまう乙山とは雲泥の差があると申せましょう。そもそも比べようとすること自体が暴挙というか愚挙なのですが……

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tag : 夏目漱石

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No title

 『日記』によれば、ロンドン塔へ行ったのは明治33(1900)年10月31日
(水)、ロンドン到着が10月28日(日)の晩ですから、

 行ったのは着後間もないうちの事である。

と書かれたとおりですね。このあと11月にかけて、あちこち見物して回っ
ています。見物を楽しんでからすぐに帰国していれば、神経症にはかか
らなかったことでしょう。

> なんだか瞼が重たくなってくるような文章に思えた。

 たしかに英国史に通暁していなければ、スラスラ読める文章ではありま
せんね。で、その英国史なるものが、もっと眠くなってくるから厄介です。

 ぼくも一応通史は手元に置いてあるのですが、もうそうとう以前に最初
の20頁ほどで無条件降伏してしまいました(笑)。だからいまだにまとまっ
た知識がありません。来年あたりは取り組もうかなあ……とは思っているの
ですが、不退転の決意が必要かも。

 なお Beefeater の制服は、たぶん昔から変わっていないはずです
(実際に見たことはありませんけど(笑))。

Re:薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんばんは! コメントありがとうございます。
なるほど漱石の日記によると、ロンドン塔を訪れたのは
1900年頃のことでしょうね。もう100年以上以上前のことになるんですね。

19世紀の終わり頃の雰囲気を残していて、
かのボー・ブランメル(ジョージ4世の頃)が登場する前ですものね。
英国史に通じているわけではない者からすると、厄介です。

薔薇戦争は、日本で言うと「お家騒動」みたいなものに相当するのか、
などと好い加減な事を思っていますが、事情を知っていると、
英国の古いフィクションも「なるほど」となるのでしょうね。

Beefeerterの制服が今も変わってないとすると、
例の「美術学校の生徒のような服」というのは何だったのか、とか思ってしまいます。
汚れてもいいように、ロングの前掛けのようなものを着ていたのでしょうか。
だけど今も昔も変わらぬ、というのところに、
なにか英国流儀のようなものを感じてしまいますね。

No title

beef eater、なるほど!!
「ビーフィーター」という固有名詞だと思いこんでいました(恥)
倫敦塔の番人が何故そう呼ばれるかの由来にも興味が湧きますね~
と言いつつ本格的に調べるまでに至らないのですが(^^;)
心地良い眠気を催す美文調紀行文・・・
城達也氏の「ジェットストリーム」みたいなものでしょうか?(笑)
(きちんと聴いた回は少ないのですが(^^;)

昔イギリスを旅行した時はギネスビールばかり飲んでいました・・・
(パブで生、宿屋に缶ビール持ち込み)
今思うと、ジンやスコッチ・アイリッシュウイスキーも(予算の許す限り)
試してみればよかったなぁと(ただの飲んべぇ(笑)

Re:zumiさん

zumiさん、こんばんは! コメントありがとうございます。
ジンの「ビーフィーター」が先にあったわけではなくて、
衛兵のビーフ・イーターがまず存在しており、ジンの名前はそれに
ちなんだもの、ということでしょうね。詳しいことは乙山も知りません。

ただ漱石の小説を読んでいて、あっ、ビーフィーターが!
なあんて思っただけのことなんですね。
こういうものを読むと、ビーフィーター・ジンを飲むときに、
おいしくなるじゃありませんか。

美文調=ジェットストリーム?
ちがう、ちがう! だけど発想は面白い! 
ううむ、現代ではジェットストリームが
美文調になってしまう、ということなんでしょうねえ。
それ、当たらずしも遠からず、という感じでしょうか。

ジェットストリームは、それはそれとして、
またどっぷり浸ってみたいものがありますよねえ。
たまにYouTubeで断片を再生してみることがあるくらいでね。
断片でもうれしい。それがジェットストリームなんですね。

No title

ちょうどよい。今晩の飛行機で帰るので
現地でジンを飲みましょう。
このブランドのデザインは有名ですね。
まあ、ロックでしょうね。うちらの仲間だったら。

Re: 根岸冬生さん

根岸さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
ビーフィーター・ジンならば、おそらく全国どこでも買えると思います。
ロンドン・ドライジンというと、決して気温が高くなさそうですが、
なんだか南国の雰囲気に合うような気がします。
それが不思議なところですね。
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