伊藤喜多男 『音響道中膝栗毛』

伊藤喜多男『真空管アンプと喜多さんの 音響道中膝栗毛』(誠文堂新光社、1987年)

ItohKitao_Hizakurige_01.jpg
何かスピーカーの出物がないかなあ、とネット上で中古オーディオ製品をチェックしてみることがある。たとえばロジャースかスペンドール、あるいはハーベスの小型スピーカー。JBLならスタジオモニター路線以前の、家庭用でなるたけ小型の物。タンノイだったらアメリカ資本になる以前の、できれば火災にあう前のオールド・タンノイ。出ているからといって即座に購入できないのが悲しいところだが、いつかは買おう、いや、買えたらいいな、という心の慰みになる。

私(乙山)程度の耳や聴き方なら、本当は20年来使っているヤマハの小型スピーカーでじゅうぶんで、もうこれ以上何を求めるのか、というのは重々承知しているのだが、オーディオ熱というのは何か病気のようなもので、ふっととりつかれるとそればっかり考えてしまう困りもの(?)なのである。逆に言うと「だから楽しいんだ」ということになるのだが、大枚はたいたからといって納得の大満足とはならぬこともあるのが怖いところ。

そんなふうに某中古オーディオサイトを見ていたら、長年ほしいと思っていたけれど絶版で買えない状態が続いている、伊藤喜多男『真空管アンプと喜多さんの 音響道中膝栗毛』(誠文堂新光社、1987年)が中古で販売されているのを見かけた。しかも売値は3500円である。これはAmazonでも6000~7000円くらいしている物件で、おいそれと手を出すわけにもいかぬ状態であった。もうその瞬間、購入ボタンを押していたのは言うまでもない。

ItohKitao_Hizakurige_02.jpgさて本が届きましたよ。カバーと帯付き、落書きとか書き込みの一切ない良品で、前の持ち主の方が大切にしていたのがわかるなんだか嬉しい買い物だった。そっとカバーを外し、手にとって例のようにベッドにごろりとなって読んでみた。伊藤喜多男氏は明治45年(1912年、夏目漱石「彼岸過迄」が出た頃)の生まれで、ラジオ放送開始当時から「ラジオ少年」ぶりを発揮していたようである。

「家でラジオが聴ける」というのが伊藤喜多男氏の父上もご満悦だったようで、学業そっちのけでラジオに夢中になる息子にとやかく文句も言わなかった様子。ラジオだけならまだしも、映画が無声からトーキーになったころにウェスタン・エレクトリックの装置を備えた映画館で聴いた音に心底しびれ、自分でトーキー用再生システムを造ってしまうあたりがもう只者ではない。しかも、伊藤氏自作のトーキー用システムを、小さな映画館に貸し出していたとあるから驚きだ。

小さな映画館ではウェスタン・エレクトリック社などの音声装置を導入するわけにもいかず、なんとかならないものか、と伊藤氏に白羽の矢が立てられたようだ。さらに、東京市が日比谷公会堂に音声装置を導入する際、いくつかのメーカーと共に伊藤氏のシステムも入札にエントリーすることになり、東京市電気試験所で厳重なテストをした結果、伊藤氏のシステムが採用されたという話など、今日からするともうあり得ない、まさに「伝説」の世界のようにも思えるほどだ。

ろくに部品もない時代にきちんと音の出るラジオを作るのがどれほど困難だったことか、テレビが出るまでラジオというものがどれだけ貴重なものだったか、という「ラジオ事始め」の時代、電池式から交流式への移り変わり、戦争による家業の廃業とウェスタン・エレクトリック東洋支社の勤務、ステレオフォニック方式への移行、そしてドイツ・ジーメンスとの出会いを書いた、同氏の『もみくちゃ人生』や『続音響道中膝栗毛』とはまた違った味わいの本。少し伊藤喜多男氏の言葉を引いておきましょう。

自分が好きな音は当人の欲求を満たす音であるのに、他人が満足するだろうと思うと大間違い。偶たま同じ感覚の人がいて納得してくれるときに細(ささ)やかな満足に浸るだけである。聞くに耐えない、見るに忍びない(私だけがそう思っている)ものを当人が満足して愛玩しているのに他人が批判したらば僭越も甚しい。愛しているものを貶された場合に平然としていられる人間がいるとしたら名僧知識か痴呆者である。(伊藤喜多男『音響道中膝栗毛』より)

真空管関係の話も多く、また付録(1)として「アンプ作りのコツ」が添えられ、ここには板金加工、配線、ハーネス(とレーシング)、トランス、電解コンデンサー、スピーカーについての話がある。付録(2)には、伊藤喜多男氏によって制作された真空管アンプの回路図集が掲載されています。伊藤喜多男氏のエピソードより真空管アンプのほうに興味がある、という方にもお勧めの一冊と思う。といって、まだ絶版のままで再版されないのが残念ですが。


≪『もみくちゃ人生』へ ≪ 『続音響道中膝栗毛』へ

【付記】
● 回路図集のアンプを挙げてみると、50pp、801App、6V6pp、F2app、E84Lpp、EL34pp、Edpp、WE300Bppとなっています。このうち801Appと6V6ppは『続音響道中膝栗毛』に載っているものとほぼ同じで、EL34ppは『SOUNDBOY』誌の〈伊藤流アンプ指南〉で発表されたものとほぼ同じものと見てよいでしょう。300Bppアンプはトランス結合とCR結合の2種類が掲載されています。

● こういう本を読むと、またぞろ真空管アンプを作りたくなってきます。だけどもう、6BQ5ppアンプがあるわけだから、新しいアンプを作る必要は全くないのです。なのに、なんだかんだと理由をつけてやってしまうわけですね。あっそうそう、以前作ったシングルアンプに使っていた出力トランスがあったっけ……これを使わずにしまっておくのはもったいない、てな具合です。

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tag : 伊藤喜多男 真空管アンプ オーディオ

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No title

こんばんは

CDが出るまでは、それなりのオーディオファンでした。
毎週のようにセッティングをいじり、カートリッジやコードを換え、少しでも変化が出れば喜んでいました。

CDが出てすぐ買いましたが、定位が悪く、音が薄くて高音の艶が無く、こんなものは聴けないとがっかりしました。
しかし余りの簡便さに負けて、スピーカーをハーベスに換え、アンプをLUXMANに換え、無理やりCDが聴ける環境にしてしまいました。
しかしCDの限界から、ついにオーディオに対する情熱は影を潜め、装置は昔のままでいます。

乙山さんの記事に触発され、またオーディオ雑誌を読んでみようかと思っています。

Re:パックさん

パックさん、こんばんは! コメントありがとうございます。
CDが出たとき、多くの方がパックさんと同じようなことを
おっしゃっていたので、それは本当のことだと思うのです。

まだ出始めたばかりのCDと、最高レベルに達したアナログ再生では、
相当違う部分があったのではないかと思います。
それほどアナログ音源を聴きこんだことのない乙山だからこそ、
アナログ→デジタルの移行がわりとすんなりいったのではないかと思います。

もし乙山があと10年ほど早く生まれていたなら、きっと今でもアナログ音源を
大切にしていたのではないか、と想像します。ちょうど移行期と、思春期が
重なってしまったのですね。なのでデジタル音源もそんなに違和感なく、
それなりに楽しめています。

アナログからデジタルに移行したら、音楽の魂も失われてしまうのか?
そこが、気になるところですね。
乙山は、その移行ゆえにオーディオに興味を失ったことよりも、
音楽そのものに興味を失ったかも知れぬことのほうが気になるのです。

No title

 CDだけ聴いている分には不足を感じませんが、まったく同じ
演奏をLPと比較して聴きますと、いわゆるオーディオマニアで
なくともちがいはわかると思います。たぶんCDは低音高音の両
端をあるところでバッサリ切っているせいなのでしょう。

> アナログからデジタルに移行したら、音楽の魂も失われてしまうのか?

 その心配はご無用かと思います。音質はともかく、ちゃちなト
ランジスタラジオからでも核心の部分は伝わってきますので。

 ぼくも最初はCDに違和感を持っていましたが、このごろではLP
をまったく聴いていないので(アンプとプレーヤとLPは納戸にし
まってあるんですけど、部屋に置くスペースが……)、もうすっかり
慣れてしまいました。

 デジタルにもいいところはありますね。針交換の必要はないし、
回転ムラの心配もないし、スクラッチノイズはゼロだし、これはこれ
で文明の恩恵にはちがいないのでしょう。

 真空管アンプのよさはよくわかっているんですけどねえ……

Re:薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
初期のCDを何枚か所有していますが、これらは一様に
録音レベルが低く、なんだかダイナミックレンジが狭いように感じます。

音量を上げればそうではないのかもしれませんが、
CDの音がよくない原因の一つではないかと思います。
最近のCDは逆に録音レベルが高めになっていますね。

なるほど意識して聴き比べるとわかるのかもしれませんが、
スクラッチノイズなど手掛かりがない状態のブラインドで聴くと、
判別できるかどうか、乙山にその自信はありません。

先にコメントなさっているパックさんだけではなく、CDの登場とともに
あまりオーディオに熱を入れなくなった、という話をわりと聞きますね。
もし乙山がもう少し早くLPを集め始めてたくさん持っていたとしたら、
たぶん今でもLP中心にオーディオを考えているんじゃないかと思います。

乙山は真空管アンプとミニコンポのトランジスターアンプの両方を使っています。
変な話かもしれませんが、ミニコンポのアンプの音を悪いと思ったことがないんです。
まあその程度の耳ですからねえ……要するに、乙山の場合は
「雰囲気」ですよね。恥ずかしい話ですが。
プロフィール

只野乙山

Author:只野乙山

⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

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