夏目漱石 「彼岸過迄」

夏目漱石 「彼岸過迄」 (1912年朝日新聞に掲載、同年刊行)

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夏目漱石「彼岸過迄」には珍しく作者による前書きが付いていて、自身の体調の優れぬこと(1910年8月、漱石は伊豆の修善寺で吐血、危篤状態になった)や、これから書こうとする小説の題名や構成などについて述べている。昨今いわゆる連続短編という形式の小説をわりと見かけることがあるが、そんなに目新しいものではないことがわかる。少し引いておきましょう。

「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空(むな)しい標題である。かねてから自分は個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相合して一長編を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。(『夏目漱石全集6』ちくま文庫版より)

漱石自身が言うように、「彼岸過迄」は〈風呂の後〉〈停留場〉〈報告〉〈雨の降る日〉〈須永の話〉〈松本の話〉という6つの短編からできており、それぞれの話に登場してつなぎ目の役割を果たしているのが主人公の田川敬太郎である。彼は大学を卒業してこれから社会において何らかの地位(職)を得ようとしている若者で、友人の須永市蔵にだれか紹介してもらえないかと相談を持ちかけることから話が展開していく。

敬太郎は友人の須永の叔父にあたる田口という人物を紹介してもらい、どんな仕事でもするから使ってみてほしい、と意欲を見せる。それでは、ということで田口は「**時に**という駅で降りるある男が、どういう行動をとるのか見聞して報告してほしい」という探偵のような仕事を敬太郎に与える。敬太郎は田口の言う通り、ある男を見張って尾行し、行動を観察した結果を報告するまでが前半部分、ということになるだろうか。

どこか「三四郎」を思わせる低回趣味に回帰しながらも、探偵小説的な「謎」を取り入れるあたりに、漱石が緒言で述べた「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある」という意気込みを感じる。またこの前半部分では敬太郎と同じ下宿先の住人、森本が自分で作ったという「蛇の頭を彫り込んだ杖」や「占い師のおばあさん」という小道具も使われていて、軽妙な雰囲気が楽しめる。

敬太郎の友人、須永の叔父にあたる田口には年頃の娘二人がいることが前半部分のあちらこちらで示され、そのうちの一人、千代子がどうやら須永とただならぬ関係にあるのではないか、と敬太郎は考えるようになるのだが、こうして打たれた布石があってこその後半部分、すなわち市蔵と千代子の関係に話が流れていくんですね。

いささか緩いかなという感じがしないでもない前半部分に比べて、後半部分は地の文がみっちり詰まった重厚さに満ちている。お互いに想う気持ちはあるとそれとなくわかっているのに、近しい関係にあり過ぎて逆になかなか一緒になれない男女、とでも言えばいいのだろうか。千代子は市蔵と彼の母を鎌倉に招待するのだが、そこには高木という若い男も来ていて、プライドの高い市蔵が千代子と高木に嫉妬してしまう部分など、よく気持ちがわかって苦しいくらいですね。ちょっと引いておきましょう。

もしその恋と同じ度合いの劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見捨ててしまうつもりでいる。(中略)……それほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちに動いても好い女なら、それほど切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。(同書)

これを若い時に読んだなら、本当に身に染みてというか痛いほどわかるような気がしたのではないかと思うのだろうけど、いま改めて読んでみるとやはりこれは男の書いた小説だなあ、という感じがした。想像にすぎないのだけど、おそらく少なからぬ若い男性が夢中になって読んだのではないかと思う。1912年(明治45年/大正元年)において「新聞を読む人間」の中心(読者層)は男性が圧倒的多数だったのではないか。

漱石もそのあたりのことをじゅうぶん承知の上で、つまり今日でいうターゲットをある程度想定して新聞小説を書いたのではないかと思う。だけどねえ、女性の普通の感覚からいくと市蔵みたいなタイプの男なんて、「煮え切らない人」でばっさり一太刀ですよ、たぶん。ちがうのかなあ。そうでないことを祈りたい気持ちが、ないわけではありません。


【付記】
● 小説の中で、市蔵は千代子に「ばっさり」やられているんです。漱石が「恐れる男」と「恐れない女」と書いているように、どうみても女性の方が強いわけです。女性から見て同年代の男性がいささか頼りないように思えるかもしれませんが、男性は(とくに精神の)成熟が遅いのです。この手の小説を読むと、まるで話にならなかったな、とほろ苦い思いとともにあの頃を思い出さずにはいられません。

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tag : 夏目漱石

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No title

 あいかわらず読書をおつづけのようで、ほんとうに頭が下
がります。

 さて引用された部分はなんだか全体に英文調で、「その
恋と同じ度合いの劇烈な競争」という部分など、おや、英
文を日本語に直したのかなと思うほどです。いかにも英文
学者の手になる文章だという印象を受けますね。

 連続短編という形式もそうなんでしょうが、いまでは多くの
作家があたりまえのように書いている文章も、漱石をはじめ
とする明治の文人たちの苦労のたまものなのでしょう。

 せめて漱石先生の百分の一くらいは本を読まなくては……
と気づいたときには、もう日が暮れていたというおそまつ(笑)。

Re:薄氷堂さん

薄氷堂さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
なにを仰いますやら、好き勝手に読んでいる乙山とは違って、
英語の原文を、ノートを取りながらお読みになっている人が言うことですか!

さて、確かにそう言われれば、そうかなあと思いました。
仮定法というか条件節の訳文の定番、国文法でいうところの「呼応の副詞」、
「もし……なら、……」がきっちり対応しているからそのように思うのかもしれませんね。

その「きっちり」さが、そのように思わせる要因でしょうね。
乙山の文章も、指示後を絡めた重複表現が多いのではないか、
などと思ったりした次第です。

No title

本当に、只野乙山さんの記事もとても、文学的で面白いですよね。
純文学など書かれていらしてもおかしくない.....
落ち着いたダンディな男性と想像します。

{付記}で、男性の方が精神的な成熟が遅いというのは、全くの事実で、頼りなく感じるのももっともかもしれません。
小さい子供でも男の子は異邦人的に感じられる事も多々あります。
....大きな器を作るのは時間がかかるものですね。

Re:かえるママ21さん

かえるママさん、こんにちは! コメントありがとうございます。
コメントの前半部分、乙山にはもったいないように思えます。
実際のところ、あまりぱっとしない中年男性なので、
せめて仮想空間だけでも格好をつけさせてもらっている次第なのです。

まったく男ってやつは、という感じですかね。
乙山のような小さな器の男でも、いまだに大人になりきれていない部分があって、
あまり胸を張れないんですね。

小さなものたち(小供)のために己を虚(むな)しゅうできるのが
おとな(大供)というものでしょうが、それができずに己の楽しみを
いまだに手放すことができないでいるのです。

No title

『彼岸過迄』・・・
不思議な味わいの小説ですね。
森本の杖など、思わせぶりなエピソードもちりばめられていて。
この頃の小説を読んでいてよく思うのは、路面電車に乗り降りするというのが
結構大事な要素になっていることですね。
電車内での観察とかもいかにも意味ありげ。
あとは、やはり歩くスピードで書かれている、という感じもします。
どの小説のどの登場人物たちも、よく歩きますね…

よく思うんですけれど、漱石の小説がよく読み継がれるもんだなあ、と。
私はこういう時代が好きな古い人間だからまあ置くとして、今の時代の
人には単調じゃなかろうか、と。^^
同じような味わいを持つ二葉亭四迷などはもうほとんど読まれていないでしょうのに、
夏目漱石という人は不思議ですね…

その暗い一群の小説の対極に、『猫』や『坊っちゃん』があればこそ、
かもしれないと思っても見ます。

Re:彼岸花さん

彼岸花さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
おっしゃるように「彼岸過迄」は不思議な味わいがある小説です。
主人公の敬太郎は本当にただの繋ぎでしかないのがなんとも……

まあトーマス・マンの『魔の山』にしても、ハンス・カストルプ青年自体は
たいしたことはしてなくて、最後は放り出す感じになってしまっているんですよね。
敬太郎の物語として見れば破綻している、といってもあながち間違いではないと思います。

自動車がまだ出ていない時代で、人力車(くるま)が使われていますね。
汽車が敷設されていく時代なので、最新の乗り物として扱われるのでしょう。
小説の中で「ハイカラ」にたいして「蛮殻」という言葉が置かれているのが面白く、
この時代に「バンカラ」がもうあったんだなあ、と思いました。

夏目漱石の作品は、多くが新聞連載小説でしょう?
なので当初から読者を想定したもので、ある程度大衆性(娯楽性)を
持たせたものになっている点が、読み継がれる要因の一つではないか、
そんなふうに勝手に思ってみたりします。
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只野乙山

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