田宮虎彦 『落城・足摺岬』

田宮虎彦 『落城・足摺岬』 新潮文庫 (1953:初版発刊年)

TamiyaTorahiko_Ashizurimisaki.jpg
いったいどのようにして田宮虎彦を読むようになったのか、もう思い出すことはできないのだが、おそらく書店に並んだ新潮文庫の背表紙を眺めているときに『足摺岬』という題名に目が留まり、手に取ったのではないかと想像している。

どういうわけか高知に憧れていた(そのことは以前「余は如何にして高知に憧れを抱きしか」という記事に書いた)私(乙山)は、高知県南部の尖った二つの岬を地図で眺めては行ってみたいものだと思っていた。だから『足摺岬』という題名を見たときにもう反射的に手が伸びていたんじゃないだろうか。だれかに田宮虎彦は面白いよ、と勧められたわけではないような気がする。

田宮虎彦を初めて読んだとき、その異様なまでの暗さや重たさに驚いたように覚えているが、本棚に『銀心中』や『霧の中』(いずれも新潮文庫)がいまだに残っていることからすると、田宮虎彦の暗さや重たさにどこか惹かれるものを感じていたのではないかと思う。十代半ばから終わりごろというのは自分で自分を持て余すどうしようもなさみたいなものがあって、それをどういう方法でやり過ごすかは人それぞれだと思うが、私の場合は内省的で鬱屈した方向に行ってしまったように思う。

ずいぶん暗くてうっとうしい奴だった(今でもその傾向は多少残っている)な、と当時の自分を省みて思う。さまざまな状況に応じて自分を変えていく(ペルソナを付ける)ことは、社会に対する適応性が高いということだと今では思えるが、当時はそれが欺瞞であり、自分に嘘をついているように感じていた。夜、一人になってノートに何か書きつけているときの自分だけが本当の自分だ、などと思っていたわけなんですね。

だいたい、ハイコンテクスト文化(暗黙の了解が多い社会)といわれる状況のただなかに置かれている日本人には多重人格的というか分裂的傾向が多少なりともあるのではないかと思う。職場とプライベートは全然違う人みたいだねと言われる人や、「本当の自分」探しを飽くことなく続けてしまう人がわりといることもそれに関係しているかもしれない。そして、みなとは言わないが少なからぬ日本人が「私小説」を好むこともひょっとすると関係があるのやもしれぬ。

さて改めて田宮虎彦『落城・足摺岬』を読んでみた。「落城」と「末期の水」は戊辰戦争の終わり頃、東北で官軍と戦った黒菅藩の人々を描いている。題名からわかるように暗いこと極まりないが、そのリアリティには舌を巻く思いがする。黒菅藩というのは田宮虎彦が作りだした架空の小藩だけど、シャーウッド・アンダーソンがワインズバーグという架空の街を描き出したように見事に世界が再現されていて、本当に黒菅藩というのが東北のどこかに実在したのではないかと思えてくるほどだ。だけど人によってはここでもうダウン(やめた)、となるかもしれません。

「かるたの記憶」「天路遍歴」「土佐日記」は三人称で書かれた小説で、いずれも暗いトーンが続く。「土佐日記」は土佐高知の名家の一人娘、登米子(とめこ)の半生を描いたもので、婿養子の啓明、息子の弘明、正明のいずれもがどうしようもない駄目な男で、登米子より先に亡くなってしまう。何があっても生き抜く登米子は本当に気丈な女性で、感心してしまうけど、ここまで読み進める人が本当にいるんだろうか、などと思ってしまうほど暗い話が続きます。

最後の「絵本」「足摺岬」はいわゆる「私小説」で、他を読むよりまずこの二編を読むのがいいかもしれません。「絵本」は作者の大学生時代の自伝的作品で、下宿に住んでアルバイトしながら何とか生活している様子が書かれているが、これは父親との確執からほとんど仕送りをしてもらっていないことによるもの。「私」の生活も悲惨だけど、下宿先の子どもが脊椎カリエスを患っていて、その子が「私」に懐くんですね。「私」は下宿を引き払うときに絵本をその子に買ってやるんだけど、時代が時代だけに多分もうその子は……正岡子規も同じ病気でしたね。

「足摺岬」は「私」が自殺しようとして足摺岬を訪れる話。とある一軒の宿屋に立ち寄り、そこで肋膜炎など衰弱ゆえに自殺を決行できなかったけれど、雨の中で岬周辺を歩き回ったためにずぶ濡れになって帰ってくる。女将や娘、同宿の老遍路や薬売りには「私」が死のうとしていることを見抜かれ、遍路が自分たちと同室にしよう、と持ちかけ、薬売りは「私」に丸薬を与え続ける。宿屋の娘の介抱などもあって次第に「私」は回復し、東京に帰る。

話はそれだけではなくて、「私」は宿屋の娘、八重に介抱されている間に彼女との間に愛情が芽生え、三年後に再び足摺岬を訪れるのだが、その目的は「八重を連れて帰るため」である。十年ほど二人は東京で暮らすが、戦争の苦しい生活のもとで八重は亡くなってしまう。その後時は流れて「私」は八重の墓参りをするため足摺岬を訪れるが、そのとき乳飲み子だった竜喜は二十歳くらいの若者になっていて、特攻隊で生き残ったという。

「誰のために俺は死にそこなったんだ。負けたもくそもあるか。俺はまだ負けておらんぞ、俺に死ね死ねといった奴は誰だ、俺は殺してやる、俺に死ね死ねといった奴は、一人のこらずぶったぎってやる」と叫ぶ竜喜の声は、足摺岬で「私」を助けてくれた老巡礼がじつは黒菅藩の生き残りであった、という部分と重なり合って深い余韻を残す。


【付記】
● 乙山が所有している新潮文庫版『落城・足摺岬』は昭和55(1980)年に出された46刷となっていました。そうか1980年代初めではまだ田宮虎彦が読まれていたんだな、と改めて思ったのです。さすがに今は新潮文庫で見かけることはできませんが、講談社文芸文庫に田宮虎彦の作品集があるようです。


人気ブログランキングへ blogram投票ボタン
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

秋の夜長にじっくり読むのがふさわしそうな本ですね~
(通勤時にはいささか不向きな感じが(笑)
10代後半、本はほとんど手当たり次第でしたが
音楽は中島みゆきや谷山浩子、ZELDA等々一癖ありそうな
アーティストの曲を好んで聴いていました・・・
名著・名作は年を経てもその時々の自分に感動を与えてくれますよね♪

あ、読み逃していた過去ログ拝見しました!
侍ジャイアンツとドカベン、私も好きでした♪
あと西原理恵子さんの漫画『ぼくんち』も◎です!
高知弁って独特の魅力があるんですよねぇ不思議に♪

No title

このテーマには、反応しなくては。(笑)

なぜなら、わたしも田宮虎彦になぜか惹かれるからです。
好きな作家か、と言われると、どうかなあ、と思ってしまう。
でも、心に残る作品がいくつかあるんです。
わたしにとっての田宮虎彦は、やはり『足擦岬』です。
一度ちょっとだけ記事にしています。
なぜ、『足摺岬に私が惹かれるようになったか』
わたしの場合は、少女のころ聞いた、ラジオから流れる気象通報だったろうと思います。
ちょうど今晩のような台風接近の晩は、特に耳を澄ませていましたね。
『足摺岬の南東、北緯・・度、東経・・度に大型の台風・・号があって』とかって言うあれ。

暗い夜の海。そこに浮かんで波に翻弄されている気象ブイや、情報を
送ってくる船舶。荒波の中に上下するその船の灯などを想って、
なんとも言えない寂しいような、人恋しいような気持ちになりました。
だから『足摺岬』は文句なしに。それから話としていちばん好きなのは、
『銀心中』です。これは、川端康成の『雪国』よりも私は高く評価したいくらい。
あと、気になって仕方がないのが、『朝鮮ダリア』という小編。
これはこの花が気になる花だから。
ずうっと子供のころから、この花の名が知りたくて、今はもう
花自体みかけられなくなってしまった…
それが、これを読んで、「あっ!この花に違いない!」と思ったんです。
勿論『朝鮮ダリア』というその名。その名自体に、あの時代の、
そして今も続く差別の歴史をひしひしと感じるのですが。
今はこの花は、『花笠菊』と呼ばれているらしい。風情のない名です……。

Re:zumiさん

zumiさん、コメントありがとうございます。
10代の半ばから終わり頃というのは困った時期でしたね。
人によってはそうでもなかった、ということもあるかもしれませんけど。
とにかく早く通り過ぎてほしい、などと思っていましたが、
もう少しあの時を大切にしてもよかったのにな、といまになって思います。

『侍ジャイアンツ』は漫画よりテレビアニメのほうを見ていました。
あの原画には宮崎駿がかかわっているんじゃないかなあ。
女の子の顔なんて、宮崎アニメそのまんまじゃないか、なんて思っています。

『ドカベン』は登場人物たちが高校一年生の頃を主に漫画で見ていました。
あれはテレビアニメより漫画のほうがよかったように思います。
西原理恵子さんの漫画はほとんど見ていなくて、
群ようことの対談なんかを読んだことがあるくらいですが、
そうそう、西原さんも高知出身でしたよね。

「サバカレー」を思い出しました。
西原さんが子どもの頃、カレーといえばサバのカレーだったそうです。

Re:彼岸花さん

彼岸花さん、コメントありがとうございます。
そうですね、乙山も好きな作家といえるかどうか微妙なところです。
このたび読み返してみて、なんて暗くて重いんだ、と改めて
感心してしまったほどですものね。

ではもう読まないのか、となるとそうもいかなくて、
引っ越しに際して本の整理をしているときも、どうしても
捨てるわけにはいかず、古い本を持って移動してしまいました。
たまに取り出して、読み返してみたくなるんですよね。

本棚にはクリーム色の古い新潮文庫版の、『銀心中』と『霧の中』があるんです。
その中には「朝鮮ダリア」もありますね。
また今度、じっくり読み返してみようと思います。

足摺岬と室戸岬は、以前訪れてみたことがあるんです。
どちらも勇壮な感じがしましたが、足摺岬は本当に断崖絶壁で、
そこが例の「名所」になっているのもわかる気がしました。

No title

乙山さん、こんばんは。

私も実は暗いヤツです(笑)。
暗いと言うとネガティブなイメージを抱かれてしまいがちですが、明るい人と言うのは、落ち込んだ自分を見せて嫌われるのを恐れている人でもある場合もあるそうです。

暗く、悲しく、やや暴力的である本を、私はこよなく愛しています。
シビアであればあるほど、どっぷり沈んでしまいますね。

現代の世代、私もそうですが、紹介されている様な戦中/後の話に共感するのは難しいけれども、人の、世の中の闇を照らした、重みのある深い本をもっと出して欲しいと思いますね。
嘘っぱちの希望ばかり描いた美談ばかりでなく。

私もハイコンテクストな社会にそぐわないからでしょうかね。。。
自分を探してしまうのは。
ただ、職場とプライベート/オンラインの自分が違うことには、それほど違和感を持っていないんですよ。
そこまではピュアでもないので。。。

Re:依里さん

依里さん、こんにちは! コメントありがとうございます。
みんなでわいわいやる、なんていうのはいまだに苦手で、
人数が多くなりそうな飲み会のお誘いがあっても、
つい断ってしまってしまうことがほとんどです。

楽しくやっているのを少し離れて見ている、というのが
いちばん自分にふさわしいのかもしれません。
なるほど「明るく」て「楽しい」のはけっこうですが、
わりと無理をしている人も中に入るのではないか。

無理をしているのが見ていてよくわかるのは、なにか痛いものがあります。
無理をしているときはたいてい、違う人格を演じているわけで、
ちがうんだけどな、とわかっていてそうする(というかせざるを得ない)のでしょう。
そのような時間が多い人はきっと、自分探しをするんじゃないかな。
そういう人は、じつはけっこう多いんじゃないかと思うんです。

一方で「多数派でいることの快楽」を日本人はよく知っている。
自分探しをする方向と、多数派でいようとする方向とはたぶん反対で、
両極を行ったり来たりしながら暮らしているんですね。

「遊歩者 只野乙山」は自分のことを書いているようですが、
演じている部分も多分にあって、
もし本人に実際に会うことがあるとすれば、おそらく「ずれ」を
感じる人もあるのではないかと想像します。

ウェブ上と、実際の人がほとんどそのまま同じ、という人もいらっしゃる。
本当に人はいろいろで、面白いなあと思うんですね。
プロフィール

只野乙山

Author:只野乙山

⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

⚫︎ 下の「全ての記事を表示する」をクリックすると、全記事のタイトル一覧が出ますので過去記事を参照することができます。

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント

openclose

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アーカイヴ

2017/09 (7)

2017/08 (8)

2017/07 (9)

2017/06 (9)

2017/05 (9)

2017/04 (8)

2017/03 (9)

2017/02 (4)

2017/01 (1)

2016/06 (1)

2016/05 (13)

2016/04 (13)

2016/03 (20)

2016/02 (10)

2016/01 (11)

2015/12 (10)

2015/11 (10)

2015/10 (11)

2015/09 (13)

2015/08 (10)

2015/07 (11)

2015/06 (10)

2015/05 (10)

2015/04 (10)

2015/03 (11)

2015/02 (9)

2015/01 (11)

2014/12 (9)

2014/11 (10)

2014/10 (11)

2014/09 (10)

2014/08 (10)

2014/07 (10)

2014/06 (10)

2014/05 (11)

2014/04 (10)

2014/03 (10)

2014/02 (9)

2014/01 (11)

2013/12 (9)

2013/11 (10)

2013/10 (10)

2013/09 (10)

2013/08 (11)

2013/07 (10)

2013/06 (10)

2013/05 (10)

2013/04 (10)

2013/03 (11)

2013/02 (9)

2013/01 (11)

2012/12 (9)

2012/11 (10)

2012/10 (11)

2012/09 (10)

2012/08 (10)

2012/07 (10)

2012/06 (10)

2012/05 (11)

2012/04 (10)

2012/03 (10)

2012/02 (10)

2012/01 (9)

2011/12 (9)

2011/11 (10)

2011/10 (10)

2011/09 (10)

2011/08 (10)

2011/07 (9)

2011/06 (9)

2011/05 (10)

2011/04 (8)

2011/03 (8)

2011/02 (12)

2011/01 (12)

2010/12 (12)

2010/11 (13)

2010/10 (15)

2010/09 (15)

2010/08 (14)

2010/07 (16)

2010/06 (17)

2010/05 (21)

2010/04 (18)

2010/03 (20)

2010/02 (23)

2010/01 (27)

2009/12 (27)

2009/11 (27)

2009/10 (26)

2009/09 (24)

2009/08 (19)

2009/07 (21)

2009/06 (30)

2009/05 (26)