「工場萌え」の源流? 坂口安吾 『日本文化私観』

坂口安吾 『日本文化私観』 講談社文芸文庫 (1996)

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先日あるテレビ番組を見ていると、工業地帯の景観を愛でるという人たちが増えているというようなことを紹介していた。なんでも「工場萌え」などと称して数人で巨大コンビナートや工場のパイプラインを観賞し、デジタル写真機に収めている姿があった。「萌え」という言葉についてはよくわからないが、何かある対象に猛烈に惹かれる感情を指すのではないかと思う。

巨大な工場群を撮影した写真集が発売されてなかなか人気があるらしいし、工場観賞ツアーなるものも企画されているという。はては臨海工業地帯を船上から観賞する「工場観賞クルーズ」というものまであるらしい。工場地域を擁する自治体と旅行会社が結託した産物だろうと想像するが、これらの動向を見る限り少なからぬ人たちが工場の景観に何らかの魅力=美的価値を見出しているようだ。

いかにも現代的で、脱工業化(ポスト・インダストリアル)時代らしい現象といえるかもしれないが、こうした「工場萌え」の始祖あるいは先覚者とでもいうべき人物が存在する。その人物こそ、すでに1940年代初頭において工場の景観を「美しい」と言い切った坂口安吾なのである。安吾は「日本文化私観」(1942)というエッセイの中の〈美に就いて〉という章で美しいものとして小菅刑務所、ドライアイス工場、駆逐艦の三つを挙げている。少し引いておきましょう。

さて、ドライアイスの工場だが、これが奇妙に僕の心を惹くのであった。
工場地帯では変哲もない建物であるかも知れぬ。起重機だのレールのようなものがあり、右も左もコンクリートで頭上の遥か高い所にも、倉庫からつづいている高架レールのようなものが飛び出し、ここにも一切の美的考慮というものがなく、ただ必要に応じた設備だけで一切の建築が成り立っている。町家の中でこれを見ると、魁偉であり、異観であったが、然し、頭抜けて美しいことが分るのだった。
聖路加病院の堂々たる大建築。それに較べれば余り小さく、貧困な構えであったが、それにも拘わらず、この工場の緊密な質量感に較べれば、聖路加病院は子供達の細工のようなたあいもない物であった。この工場は僕の胸に食い入り、遥か郷愁につづいて行く大らかな美しさがあった。
(『日本文化私観 坂口安吾エッセイ集』講談社文芸文庫より)

これら三つのものを「美しい」と断定されてもちょっとなあ、と違和感を抱いてしまう向きもあるのではないだろうか。なので要するにこれは坂口安吾の一風変わった彼独自の趣味だとか、いかにも安吾らしい反骨精神の現れのようなもの、などと理解することもできるかもしれない。だが安吾が三つのものを見て「美しい」と判断するときの内的状態(気分ないし心のありよう)は、圧倒的に巨大あるいは壮大なもの(たとえばスイス・アルプスやヒマラヤの高峰とか、南極や北極圏の巨大氷塊の崩落など)を目にしたときの感じと似ているのではないかと思う。

それは人がある対象を見て美しいと感じるときの状態にかなり近い、崇高と呼ばれるものだろう。一般に美しいとされるものを見たとき、人は容易に美的愉楽とでも言うべき状態(対象への関心を離れた想像力の自由な遊び)に浸ることができるのだが、圧倒的に壮大なものを見たときはそれに対抗する意識というか精神力が必要とされる。この点が、美と崇高の違いで、坂口安吾の挙げる「三つの美しいもの」はこの崇高と、必要に応じたものだけで成り立っているという機能主義的美意識が合わさったところにあると言える。

 ぼくの仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、とくに美を意識して成された所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。(坂口安吾、同書より)

もうじゅうぶんにエスタブリッシュされた、権威主義的な美的愉楽にたゆたうのではなく、敢えてそれを退ける禁欲的で求道者的なところがいかにも坂口安吾らしい。こうした、ラディカルともいえる資質の持ち主であったからこそ、一般に美しいとされるものを退け、ちょっと首を傾げたくなるような対象に美的価値を見出すことができたのではないかと思う。それが坂口安吾個人の変わった趣味でないことは、近ごろ増えているという「工場萌え」の人たちが証明している。


【付記】
● 小菅刑務所とドライアイス工場、駆逐艦がなぜ美しいのか、それは坂口安吾自身が自問しています。それらは美しい、というよりは崇高といったほうがよいのです。両者は美的カテゴリーにおいて近しい関係にあるので、安吾が「美しい」といったのもむべなるかな、というか、当たらずしも遠からず、ということなのです。ちなみに、安吾の挙げた「三つの美しいもの」の問題をいち早く崇高であると見抜いた人は、柄谷行人ではないかと思います。乙山の記述がそれによっていることは言うまでもありません。

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No title

ダム萌えとかいうジャンルもあるみたいですね~
やはり人間って自然・人工物を問わず巨大な存在に対して無意識に
畏怖を感じるのでしょうか??
まぁ工場萌えは「機能美」に対するこだわりが更に強い気もしますが・・・
学生時代に小さな印刷工場でバイトした時、がっちゃんこがっちゃんこと
絶えず働き続ける機械達を飽きず眺めてしまったあの感覚も一種の
工場萌えだったのか!?
(単なるメカマニアかもしれませんが(笑)

Re:zumiさん

zumiさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そうですか「ダム萌え」というのもあるんですね!
知らなかったなあ。ジャンル、ということなんですね。
今後、もっといろいろなジャンルでの「萌え」が増えていくのでしょう。

「萌え」というのは少し違和感を感じますが、
ある名詞の後に付ければいいわけですよね?
それでいまどきの人には通用するのかな。

「萌え」を使わないにしても、何かある対象に惹かれるというのは
昔からあったことかもしれません。
フェティシズムということなのでしょうね。
細分化されたフェティシズム、それが今後どんどん進化(深化?)していく
ような気がしています。

No title

えぇ~!(@_@)
驚きました。「工場萌え」って初めて聞きました。
しかも、原点が坂口安吾にあったとは・・・
いやはや、勉強になりました。
三島由紀夫の実話に基づいた「金閣寺」、金閣寺の美への嫉妬ゆえに放火してしまったという主人公の気持ちが全くもって理解不能でしたが、只野尾乙山さんのこの工場萌えの話とどこか共通するものがあるのかもしれませんね。
無機物にも萌える事ができるのは、男性に独特のものの様な気がします。

Re:かえるままさん

かえるままさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
試しに「工場萌え」などと入力して検索してみてください。
けっこうな数がヒットすると思います。

坂口安吾が原点、かどうかはわかりませんが、
安吾の「日本文化私観」にドライアイス工場をはっきり
「美しい」と断言するくだりがあるのです。

「工場萌え」の番組を見たとき、そのことをまず思い出しました。
それからしばらく、構想を寝かせておいて
機が熟したのでウェブログに書いてみました。

どうやら「工場萌え」は男性だけではないようですよ?
工場観賞ツアーの中のは女性もいましたからね。
「~に萌える」というのはふつうに使うもんなんですかね?
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