村上春樹 1Q84 BOOK1

村上春樹 『1Q84 BOOK1』 新潮社 (2009)

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話題になっている本はとりあえずパスしておいて、ほとぼりが冷めたころに読んでみることにしている。その後ほとぼりはとうに冷めたはずなのにそのままになって、ずっと読まずに過ごしてきたというような本もいくつかある。正確に言うと、そういう本のほうが読んだ本の数より多いのかもしれないが、それでも過去の作品でまだ読んでいないものが膨大にあると思えば気が遠くなってくる。

村上春樹『1Q84 BOOK1』を読んだ。これはほとぼりが冷めたから読んだ、というのではなくて家族が図書館に予約を入れておいてくれたものが手元にある、というわけ。せっかく手元にあるんなら読まなくちゃね。なにしろ私(乙山)は村上春樹の隠れファンなのだ。こうして人目に触れるような形で書いている以上、本当の意味で隠れファンでいることはできなくなったわけだけど、村上春樹が書いたものなら全部好き、というほどのファンでもないのでやっぱり隠れファン程度なんだと思う。

さて『1Q84 BOOK1』は、題名から推測されるように1984年を舞台にしている。スポーツジムでインストラクターなどをしている青豆という女性(30歳くらい)と、小説家志望で予備校の数学教師をしている天吾という男性(30歳くらい)の、二つの物語が交互に進行していくという形になっていて、初期村上春樹作品に多かった「僕」という一人称ではなく、三人称が使われており、登場人物それぞれにわりとしっかり名前が付けられている。

わざとぼかしたような書き方ではなく、地名にしろ時代にしろしっかり書き込んであるし、会話の部分よりいわゆる「地の文」の割合が多くなっていて、これは『ノルウェイの森』(1987)や『ねじまき鳥クロニクル』(1992~95)の手法と似ているように思えた。まったく別の人生を歩んでいたかに見える青豆と天吾だが、読み進んでいくうちに彼らの意外な接点が明らかになってくる。

青豆の仕事はスポーツジムのインストラクターなのだが、スポーツ医学や鍼灸を通じて身体の構造を熟知したことに加え、天性の勘のようなもので触った人間の体の状態がわかるという能力を開花させ、それを巧みに利用して暗殺者としての「仕事」もしている。『1Q84』は青豆がタクシーに乗って仕事に向かおうとしている場面から始まるけれど、彼女が行おうとしている「仕事」がそれなのだ。

そして天吾は新人文学賞の下読みをしていたときに、17歳の高校生女子が書いた「空気さなぎ」という作品に惹かれるが、編集者の小松から「これを書き直してみないか」という話を持ちかけられる。ためらいながらも作品の魅力に抗い切れず、書き直した作品は見事新人賞に選ばれ、17歳の高校生ふかえり(深田絵里子)はマスコミの注目を集めるが、そのときから天吾は本当の自分の作品を書いてみたい、という気持ちを強く持ち始める。

青豆は殺人者として、そして天吾はゴーストライターとして、ともに後ろめたい気持ちを抱えながら話が進んでいくので、いったいこれがどうなっていくんだろうという、サスペンドされた気持ちを持ちながら頁をめくっていくことになる。やがて青豆のターゲットがある宗教団体の重要人物であり、同時にふかえりの父親が彼であるということから、青豆と天吾は知らず知らずのうちに近づいていくことになる。

『1Q84 BOOK1』は地の文の割合が多く、会話は抑えられているけれど「村上節」は健在である。相当抑えられてはいるものの、時折ひょこっと顔を出すのがちょっと嬉しい。少しだけ引いておきましょう。

「人間の霊魂は理性と意志と情欲によって成立している、と言ったのはアリストテレスでしたっけ?」と天吾は尋ねた。
「それはプラトンだ。アリストテレスとプラトンは、たとえて言うならメル・トーメとビング・クロスビーくらい違う。いずれにせよ昔はものごとがシンプルにできていたんだな」と小松は言った。「理性と意志と情欲が会議を開き、テーブルを囲んで熱心に討論しているところを想像すると楽しくないか?」
「誰が勝てそうにないか、だいたい予測はつきますが」
「俺が天吾くんに関して気に入っているのはね」と小松は人差し指を宙に上げて言った。「そのユーモアのセンスだ」(『1Q84 BOOK1』310~311頁)

プラトンとアリストテレスの違いは、メル・トーメとビング・クロスビーの違いのようなものだ、ときましたね。このあたりが典型的な村上節だと言えるでしょう。私はあまりピンとこなかったんだけど、わかります? ビング・クロスビーはフランク・シナトラの先輩で大歌手、俳優でエンターテイナー。一方メル・トーメはビング・クロスビーから20年ほど後の人で、小粋なジャズ・シンガーというのがぴったりのヴォーカリスト。ジャズを徹底的に聴きこんだ村上春樹ならではの比喩ということなんだろうけど、ううむ、やっぱりわからないな。


【付記】
● 今後の展開はどうやらある宗教団体に天吾と青豆が絡んでいくことになリ、ある時点で二人が接触すると予想できますが、青豆の立場になってみると、とてつもない純愛物語なのです。10歳の時に出逢った男を約20年思い続ける女。一概には言えませんが、これはやはり男の作った、男がこうあってほしいと憧れの物語であるような気がしてきます。男の恋愛は「ハードディスク蓄積ときどき思い出して楽しむ型」ですが、女の恋愛は「そのつど上書き更新あれはなかったこと型」なのではないかと思うんですがね。


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努力とIQ・・・

努力とIQ、
どっちが上かな?と
ふと考えてしまう、
私であった・・・

No title

あー私も話題作は敢えて(?)後回しにし、しかもそのまま
忘れてしまうことが多いです・・・話題作=自分好みの本とも
限らないのですが、手っ取り早く名著に出会う機会を自ら
逃しているのは勿体無いなぁとは思いつつ(^^;)
まぁその代わり偶然手に取った本が「アタリ」だった時の
満足感は倍増すし、と自分に言い訳しています(笑)

No title

図書館でいまだに予約上位ですね。3巻まで出ると思わなかった。
ムラカミハルキはまったく読んだことがないのですが…なにかコムズカシソウな印象で。

HDD恋愛ですか。確かに。バックアップ取って後生大事にするぐらいですからねぇ~

Re:テラゲン合格さん

テラゲン合格さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
乙山は努力をとりますね。

Re:zumiさん

zumiさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
数秒に一人と言われる出産数と、
出版数を比べてみるのも面白いかもしれません。

人間の場合、生まれる数は多いけれど、必ず死にますからね。
書籍の場合、いいものは残ります。それが違いでしょう。
なので残っているものだけを相手にしておけば間違いはない、
はずなのですが、残っているものはだいたい「古典」と呼ばれるのです。

ま、たまには話題の本も読んでみたらいいかもしれません。
昔シドニー・シェルダンの『ゲームの達人』ってなかったですか?
あれなど、実際に読んでみるとなかなかなんですよ。

Re:RSさん

RSさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
この際、何か読んでみたらどうですか?
少しだけ、気になるんでしょう?

男の恋愛観。
乙山の比喩は適切ではないかもしれませんが、
過去を回想してあれこれ想う頻度は、
男のほうが多いんじゃないかと。

No title

只野乙山さん、こんにちは。
私の方のブログで、只野さんのコメントが行方不明になってまして、
返信が遅れて大変申し訳ありませんでした。

「話題になっている本はとりあえずパスしておいて、ほとぼりが冷めたころに読んでみることにしている。その後ほとぼりはとうに冷めたはずなのにそのままになって、ずっと読まずに過ごしてきたというような本もいくつかある。」って、私も同じです。
なんだか、流行に乗るのがちょっと、イヤだったりしますよね。
中身の善し悪しよりも、流行で読みたくないって気持ち、あります。

この本読みたかったです。
「ノルウエイの森」も本棚にあります・・・
独特の世界ですよね。
今日も、面白い記事をありがとうございます!

Re:かえるまま21さん

かえるままさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
話題作はとりあえずパス。
「遊歩者 只野乙山」に訪れてくださる人には
わりとそういう方がいらっしゃるようで、
ああ、やっぱりそうなんだ、と思うこともあります。

いまでも基本的にそういう姿勢なんですが、
ちょっと遅れてやってきた話題作がせっかく手元にあるわけですから、
あれこれ言わずに読んでみたわけです。
やはり独特の世界、というべきでしょうね。
図書館でゆっくり手にとれるようになってから、どうぞ。

こんばんは。

話題作はとりあえずパス。

私もお仲間です(笑)。
でも、これは割合出るとすぐ読みました。
『ノルウェイの森』は、つい最近(笑)。

『1Q84』は、乙山さんの記事の続きを待つことにいたしまして、

>男の恋愛は「ハードディスク蓄積ときどき思い出して楽しむ型」ですが、
>女の恋愛は「そのつど上書き更新あれはなかったこと型」

という乙山さんの恋愛観に、思わず反応してしまいました。
男の方って、そうなんですか?乙山さんも?
女は・・・確かに、そういうところはある気がいたします。
私ですか?もう卒業、ですね(笑)。
すべては淡い夢の中。

Re:彼岸花さん

彼岸花さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
まあこの恋愛話は『1Q84』に出てくる青豆というヒロインから
出たものなんですが、なにしろ10歳のときに好きになった男を
30歳になっても想い続けているという、とてつもない純愛物語。

そういう女性が存在するはずないじゃないか、とわかってはいても
それでもなお、そういう理想の女性みたいなものを
書かずにいられないというか、求めずにいられないところが
男にはあるような気がして、そういう意味ではよくわかるんです。

現実に女性と付き合っていたとしても、心のどこかに
たぶん自分だけの理想の女性を抱き続けている、そんなところが
男にはあって、青豆もそういう部分から出てきているんじゃないかと
勝手に考えています。

ですが世界のどこかには青豆みたいな女性が
本当に存在するかもしれませんね。
一概には言えませんが、昔のことを思い出して浸るのは男にはある、と思います。
表には出さないけど思い出をわりと大事にして生きているんです。


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