レイモンド・チャンドラー 「大いなる眠り」
レイモンド・チャンドラー 『大いなる眠り』 双葉十三郎訳 創元推理文庫(1959)


村上春樹はレイモンド・チャンドラーが好きなんだろうな。ごく最近、『ロング・グッドバイ』(2007)、『さよなら、愛しい人』(2009)、『リトル・シスター』(2010)とチャンドラーの作品を続けて翻訳しているし、『ノルウェイの森』の主人公の口調を「ハンフリー・ボガートみたい」と言わせているほど。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』はチャンドラーの『長いお別れ/ロング・グッドバイ』の影響を強く受けていると思うが、私(乙山)にとって村上春樹やチャンドラーは、とくに読みたい本がないけれど何か読みたいな、というときにすっと手が伸びる作家なんである。どういうわけか私の本棚には、一番手の届きやすい場所にチャンドラーと村上春樹の文庫本がずらりと並んでいる。
さて本書『大いなる眠り』はチャンドラーが1939年に出した処女長編で、映画化もされている。日本では『三つ数えろ』(1946)というタイトルで公開されたようで、フィリップ・マーロウ役にハンフリー・ボガート、ヴィヴィアン・スターンウッド役にローレン・バコールというキャスティングだった。テレビで見たのは何年も前だったので正確には覚えていないが、たしかモノクロ映画だったはずだ。
映画の冒頭はスターンウッド将軍から依頼を受けたマーロウが、温室みたいなところで車椅子に座っている将軍を訪ねて行く場面で、上着を脱いだマーロウの背中に汗がにじんでいくところが印象的だった。本でもマーロウが将軍を訪ねて行くところから始まるが、依頼は古本屋のガイガーという男から妹娘のことで脅迫を受けているので何とかしてほしいというもの。要するにゆすりの処理だが、とりあえずマーロウはガイガーの家に向かった。
マーロウがガイガーの家に到着するや否や、銃声が聞こえ、ガイガー邸に入り込んだマーロウはガイガーが撃ち殺されているのを見つける。傍らにはスターンウッド将軍の妹娘カーメンが裸体で虚ろな目をして椅子に座っていた。マーロウはカーメンをスターンウッド邸まで送り届けるが、翌日、マーロウはスターンウッド家の運転手をしていたオウエン・テイラーが自動車事故で亡くなったことを地方検事局捜査長バーニー・オウルズとともに確認する。
精神的に不安定な妹娘カーメン、賭博場に入り浸っている姉娘ヴィヴィアン、そして失踪してしまったヴィヴィアンの夫ラスティ・リーガン。ガイガー殺しの真犯人と、失踪したラスティ・リーガンを見つけようとするマーロウが、込み入リ錯綜した人間関係に翻弄されながらも少しずつ真相に近づいていく姿は、これぞハードボイルドといいたくなるような展開である。
本書には「大仕掛けのトリックを解く」といった趣向の、いかにも推理小説といった楽しみはなくて、リアリズムとでもいうべき文体で書き進められる描写に力点が置かれているので、推理小説というよりも一般的な小説に近い読み方ができる。そういうところが本書というかチャンドラーの楽しみの一つではないだろうか。ミステリーというジャンルに入れるのがなんとなくためらわれる部分があるんですね。なによりチャンドラーがマーロウに語らせている台詞も魅力である。少し引いておきましょう。
「骨の髄から人殺しというわけね、警官と同じだわ」
「むちゃ言うなよ」
「肉屋が殺した牛に同情するほどの気持もない冷酷無残な男なのね。はじめ会ったときからわかっていたわ」
「でも君はもっと怪しげな連中を友達にしているじゃないか」
「あの連中なんか、あなたにくらべりゃ甘いものよ」
「おほめをいただいてありがとう。君だってお茶うけのビスケットにゃ見えないぜ」(本書より)
これはほんの一例。長めになるので引用を差し控えさせていただくが、本書には他にも気の利いた台詞がたくさんあります。いまさらチャンドラー、という気がしないでもないし、マーロウのような屈強なヒーローはいまや化石といってもいいくらい最近の本には登場しないけれど、なぜかたまに手にとって読みたくなるのがチャンドラーなのだ。たぶんそれは、自分にないものをせめて本の中だけでも、という憧れがいまだに根強く私の中に残っているせいなのかもしれない。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』はチャンドラーの『長いお別れ/ロング・グッドバイ』の影響を強く受けていると思うが、私(乙山)にとって村上春樹やチャンドラーは、とくに読みたい本がないけれど何か読みたいな、というときにすっと手が伸びる作家なんである。どういうわけか私の本棚には、一番手の届きやすい場所にチャンドラーと村上春樹の文庫本がずらりと並んでいる。
さて本書『大いなる眠り』はチャンドラーが1939年に出した処女長編で、映画化もされている。日本では『三つ数えろ』(1946)というタイトルで公開されたようで、フィリップ・マーロウ役にハンフリー・ボガート、ヴィヴィアン・スターンウッド役にローレン・バコールというキャスティングだった。テレビで見たのは何年も前だったので正確には覚えていないが、たしかモノクロ映画だったはずだ。
映画の冒頭はスターンウッド将軍から依頼を受けたマーロウが、温室みたいなところで車椅子に座っている将軍を訪ねて行く場面で、上着を脱いだマーロウの背中に汗がにじんでいくところが印象的だった。本でもマーロウが将軍を訪ねて行くところから始まるが、依頼は古本屋のガイガーという男から妹娘のことで脅迫を受けているので何とかしてほしいというもの。要するにゆすりの処理だが、とりあえずマーロウはガイガーの家に向かった。
マーロウがガイガーの家に到着するや否や、銃声が聞こえ、ガイガー邸に入り込んだマーロウはガイガーが撃ち殺されているのを見つける。傍らにはスターンウッド将軍の妹娘カーメンが裸体で虚ろな目をして椅子に座っていた。マーロウはカーメンをスターンウッド邸まで送り届けるが、翌日、マーロウはスターンウッド家の運転手をしていたオウエン・テイラーが自動車事故で亡くなったことを地方検事局捜査長バーニー・オウルズとともに確認する。

本書には「大仕掛けのトリックを解く」といった趣向の、いかにも推理小説といった楽しみはなくて、リアリズムとでもいうべき文体で書き進められる描写に力点が置かれているので、推理小説というよりも一般的な小説に近い読み方ができる。そういうところが本書というかチャンドラーの楽しみの一つではないだろうか。ミステリーというジャンルに入れるのがなんとなくためらわれる部分があるんですね。なによりチャンドラーがマーロウに語らせている台詞も魅力である。少し引いておきましょう。
「骨の髄から人殺しというわけね、警官と同じだわ」
「むちゃ言うなよ」
「肉屋が殺した牛に同情するほどの気持もない冷酷無残な男なのね。はじめ会ったときからわかっていたわ」
「でも君はもっと怪しげな連中を友達にしているじゃないか」
「あの連中なんか、あなたにくらべりゃ甘いものよ」
「おほめをいただいてありがとう。君だってお茶うけのビスケットにゃ見えないぜ」(本書より)
これはほんの一例。長めになるので引用を差し控えさせていただくが、本書には他にも気の利いた台詞がたくさんあります。いまさらチャンドラー、という気がしないでもないし、マーロウのような屈強なヒーローはいまや化石といってもいいくらい最近の本には登場しないけれど、なぜかたまに手にとって読みたくなるのがチャンドラーなのだ。たぶんそれは、自分にないものをせめて本の中だけでも、という憧れがいまだに根強く私の中に残っているせいなのかもしれない。
【付記】
● 村上春樹の新訳によるチャンドラー、まだ一冊も読んでおりません。本書や他のチャンドラーの翻訳もなかなかいいのですが、多少古さを感じさせる部分もあるので村上春樹訳のチャンドラーを楽しみに取ってあるのです。
● 村上春樹の新訳によるチャンドラー、まだ一冊も読んでおりません。本書や他のチャンドラーの翻訳もなかなかいいのですが、多少古さを感じさせる部分もあるので村上春樹訳のチャンドラーを楽しみに取ってあるのです。
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No title
あ!この本、私の実家にもありました!
わが父ながら本に関しては良い趣味を持っていたようです♪
まぁ小娘時代の私は読むこともなかったのですが・・・
中年になった今こそ、こんな世代を超えた名作をじっくりと
読みたいです。
図書館ではつい貸し出し可能冊数ギリギリまで料理本を
借りてしまうので、実家に帰省した時にでも(^^;)
わが父ながら本に関しては良い趣味を持っていたようです♪
まぁ小娘時代の私は読むこともなかったのですが・・・
中年になった今こそ、こんな世代を超えた名作をじっくりと
読みたいです。
図書館ではつい貸し出し可能冊数ギリギリまで料理本を
借りてしまうので、実家に帰省した時にでも(^^;)
Re:zumiさん
zumiさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
いやあ、いまどき「ハードボイルドですか?」なんて思う人も
いるんじゃないかと思うんですけどね。
だけどなぜかまた読みたくなるんですよね。
本もいいけれど、映画のほうもいいですね。
ただね、『大いなる眠り』はちょっとわかりにくい!
初めて読んだときは「?」という感じでした。
謎を楽しむというよりは台詞を楽しむ?
チャンドラーはそんな読み方をしてしまうんです。
いやあ、いまどき「ハードボイルドですか?」なんて思う人も
いるんじゃないかと思うんですけどね。
だけどなぜかまた読みたくなるんですよね。
本もいいけれど、映画のほうもいいですね。
ただね、『大いなる眠り』はちょっとわかりにくい!
初めて読んだときは「?」という感じでした。
謎を楽しむというよりは台詞を楽しむ?
チャンドラーはそんな読み方をしてしまうんです。