朝倉かすみ 『声出していこう』

朝倉かすみ 『声出していこう』 光文社 (2010)

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札幌市内の地下鉄で通り魔事件が発生した。地下鉄を出るなり若い男がサバイバルナイフを振り回し、十数名が負傷したが死者は出なかった。犯人はまだ捕まっておらず、くだんの駅周辺の町は厳戒態勢に入った。

とくると、通り魔事件をめぐるミステリー小説なのかと思わせるが、そうではない。事件が起こった駅周辺の町に住む六人の男女がそれぞれ主人公となった六つの物語が織り合わさったのが本書『声出していこう』である。

よくある「連続短編」のような体裁なんだけど、六つの物語を貫くテーマのようなものがあるわけでもなく、だれかが中心になって通り魔事件の犯人を追及するわけでもない。本当に、たまたまその地域に住んでいるだけという一般市民の、日常の姿を描き出している。六人の男女はお互いに知り合いではなくて別々の物語が進んでいくわけだが、それらが最終的に収斂するとかいうわけではなく、ごく緩いつながりがあるようだ。

六人の登場人物は茂森正則(13)、辻村有紀子(17)、最上幹基(20)、安西奈緒美(30)、工藤泰介(46)、倉持のぶ子(50)という面々で、よくこれだけ違った年齢の登場人物をそれぞれ描き分けられるなと感心させられるのだが、その中でも特に印象に残ったのが最上幹基と工藤泰介の二人。

最上幹基が主人公の第三話「みんな嘘なんじゃないのか」は、とあるラーメン店に入ってきた「かのじょ」を最上幹基が目ざとく見つけるところから始まる。かつて「かのじょ」が自分に恋心を抱いていたことを幹基は知っている。中学生だった「かのじょ」は幹基がアルバイトしているコンビニ店にやってきてはちらちらと幹基に視線を送り、レジでバーコード読取器を操作する幹基をうっとりと見ていた、と幹基は記憶している。

幹基は自分には「モテセンサー」が備わっていて、女の子が秋波を送るとすぐにそれが作動するのだと思っている。少し引いておきましょう。

(説明しよう。モテセンサーとは、モテ慣れている男子にしか存在しない装置である。女子の熱視線や半びらきの唇を感知したり、口には出せないやるせない思慕、及び、はしたなくて表明できない肉体的接触の希望に感応し、「いま、モテている」、あるいは「すぐにでもやれる」信号を装置の持ち主にすみやかに送ってくる)(本書より)

モテセンサーが作動している以上、「かのじょ」は幹基に恋心を抱いているに違いない。というか、それはもう、動かしようのない事実なのだ。なので幹基はコンビニ店で買い物をしている女の子に近づいて行って「じゃ、つき合う?」といきなりささやく。「かのじょ」は驚いて逃げるようにコンビニ店を後にする。それから数年、「かのじょ」は今幹基の前でラーメンを食べているが、幹基に気付きもしないし、しかもさえない男と一緒なのだ。

第五話「大きくなったら」は喫茶店マスターの工藤泰介が主人公。四歳のとき世界中の国旗、国名、首都を言えたことで神童と騒がれたが、その後は平凡な会社員として暮らしていた。しかし彼はそういう現状にいつも不満である。ちょっと引いておきましょう。

 泰介は、いつも、じぶんとは不似合いなランクの場所にいる気がして仕方なかった。学校でも、職場でも、泰介は泰介が思う泰介ではなかった。
 かれの潜在能力をもってすれば、さほど勉強しなくても成績はいいはずだし、よい大学に入れるはずだし、一流企業に就職できるはずだ。そのようにならない現実をじぶんではちょっとおかしいと思っていた。もっとおかしいのは、「泰介が思う泰介」に気づくひとがひとりもいないことだ。(本書より)

喫茶店のマスターも自分でやりたいと思って始めたわけではない。両親と付き合いのある老人がオーナーなのだが、今の雇われマスターがいい加減な人物で信用できないから、ということで「お前がやってみたら」と持ちかけられた話に乗ってみただけだ。カッコいいマスターを気取ってあれこれやってはみるものの、アルバイトの女の子から「キモい」と言われてしまう。

最上幹基にしても工藤泰介にしても、どこまでも情けなくて痛いキャラクターである。だけど「痛いよなあ」と思いながら読んでいるうちに、なんとなくその人たちに不思議な懐かしさを覚えるようになってしまった。というか正確に言うと、ここに自分がいる、と思うようになってしまったのだ。自分の中に、そういう情けなくて痛い部分が確かにあって、それを本当にわかりやすい形で見せてくれているからなのだろうか。

作者の他の作品『田村はまだか』でも感じたことだ(記事へ≫)が、この人はじつにキャラクター作りの巧みな人で、全く別の人びとが登場しているにもかかわらず、それぞれの人を巧みに描き出している。ちょっと違うかもしれないが、本書を読んでいるとジョイスの『ダブリン市民』(1914)を思い出したのである。


【付記】
● 男性の描き出し方に舌を巻く思いがするのですが、女子高校生と三十歳の主婦、五十歳の独身女性を描いたほうもいい。脇役として全編に見え隠れする理髪店の男性店員ふたり(じつはゲイ)が、これまたいい味を出しているんです。一話完結で、独立した読み物になっていますが、ゆるやかに連結している。それに一役買っているのが理髪店の二人なんですね。
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かえるままは札幌在住ですので、この本は面白そうです。
モテセンサー、面白いですね!
只野乙山さんはお持ちでしょうか。

Re:かえるまま21さん

かえるままさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
この作者の本はよいですよ。
北海道(札幌)を舞台にしたものが多いようです。
『田村はまだか』や『ともしびマーケット』、
どちらも過去ログで上げております。

たぶん乙山はモテセンサーを持っていないと思います。
「女心を解さぬ野暮」で、自分の好きなことばかり熱中する、
女性にしてみればつまらないタイプというのがいちばん近いかも。

注目の作家さんです

こんにちは。
朝倉かすみ、「声出していこう」は未読なのですが、
先日「夏目家順路」という小説を読んで、大変感銘を受けました。
ちなみに夏目漱石とは関係ありません。
「田村はまだか」も面白かったし、現在個人的に大注目の作家さんです。

Re:木曽のあばら屋さん

木曽のあばら屋さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
乙山は「夏目家順路」をまだ読んでいませんが、
木曽のあばら屋さんがそのように仰るのなら間違いなし。
ぜひ読んでみようと思います。

この作家の書いたキャラクターは妙にリアリティがあります。
おそらく身近にモデルのような人がいるのでしょうが、
そういう人を見逃さない鋭い観察眼を持った人なのでしょうね。
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只野乙山

Author:只野乙山

⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

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