ヴィクトル・ペレーヴィン 『宇宙飛行士オモン・ラー』

ヴィクトル・ペレーヴィン 『宇宙飛行士オモン・ラー』 群像社 (2010)

VictorPelevin_OmonRa2.jpg
アポロ11号のアメリカ宇宙飛行士のそれに比べたらかなりタイトであり、それで本当に大丈夫かと思わせる宇宙服、頭の部分にはヘルメットではなくハヤブサ(エジプト神話における太陽神ラー)が描かれている妙にインパクトのある表紙。ロシアでとても人気のある作家、ヴィクトル・ペレーヴィンの『宇宙飛行士オモン・ラー』を読んでみた。

舞台はおそらく1970年代のソビエトで、子どもの頃から宇宙飛行士にあこがれていた主人公のオモン・クリヴァマーゾフは、高校を卒業した後、友人のミチョークとともにザライスク航空学校の入学試験を受ける。無事合格したオモンとミチョークは航空学校の訓練生になるのだが、ほどなくして上官に呼び出され、あるミッションを命じられる。

オモンの任務はルノホート(月面走行車)で月面にできた断層の底を走って情報を地球に届ける、というもの。だがロケットは月面までは行くことができても、そこから帰還することはできない、というのだ。あわてて辞退しようとするオモンだが、もし断れば国家反逆罪で捕まえられることになるという説明を受け、後にも引けない状況に追い込まれ、とうとう月までの片道飛行ロケットに登場する宇宙飛行士としての訓練が始まる。

ロケットは大気圏を離脱するまでが大変で、一段、二段、三段と切り離しながら飛ぶというのはアポロ計画の映像でもご存知だろうと思う。ソビエトのロケットも同じ方法をとるのだが、一段目のロケットの担当者は切り離したロケットと運命を共にしないといけない。つまり彼は発射後およそ4分で命を絶つことになる。もちろん、二段目も三段目の担当者も同じ運命が待ち受けている。そういうミッションに参加する若者たちが集まってきて、合宿訓練のようなものを行うのだが、そのうちミチョークが発狂してしまう。

題材からするとSF小説ということになるのだろうけど、まるでフランツ・カフカの『審判』(1925)などを思わせる不条理な話の展開である。巨大な権力のもとに組織が動いていて、個人の力ではどうすることもできず、また組織がいったいどうなっているのか、オモンにも読者にもさっぱり見当がつかない。しかし命令に逆らうことはできず、計画は着々と進行していく。

暗く塗り込められたような雰囲気で物語は進行していくが、月面着陸する段階で残っている乗組員はオモンとジーマ・マチュシェーヴィチだけ。月面上空で慣性飛行を続けるオモンは退屈のあまりジーマに連絡を取る。ジーマはソビエトのラジオ放送〈灯台〉を聴いているのだが、そこで意外なものが登場して度肝を抜かれます。ちょっと引いておきましょう。

「聴いたか」と興奮気味にジーマは言った。
「ああ。最後のちょっとだけど」
「なんの曲かわかったか?」
「いや」
「ピンク・フロイドだよ。〈吹けよ風、呼べよ嵐〉」
「ほんとか? そんなの勤労者がリクエストするなんてことあるかな」
「ちがうんだ。〈科学の生活〉って番組のテーマ曲なんだ。アルバム《おせっかい》に入ってる。完全なアングラ」
「ピンク・フロイドが好きなのか?」
「俺か? 大ファンだよ。アルバムはほとんど持ってた。おまえは?」
ジーマがこんな生き生きした声で話すのを聴くのははじめてだった。
「まあ、悪くないかな」と僕は言った。「ぜんぶ好きってわけじゃないけど。ジャケットに牛が描いてあるのがあるだろう」
「《原子心母》だな」(本書より)

もう少し続くのでこれ以上は割愛させていただくが、本当にこの部分だけ、ぱあっと明るくなるんですね。ピンク・フロイドのファンなら思わずニヤッとしてしまう部分。1970年代のソビエトでピンク・フロイドが聴かれていたというのはちょっと意外な感じがしたが、ソ連は他の共産主義圏ほど強い文化的隔離政策を施していなかったということなんだろう。ソ連崩壊後の独立したウクライナを描いたアンドレイ・クルコフもちょっと怖い話だったけど(記事へ≫)、現代ロシア/東欧にはあまり知られていない面白い作家がわりといるようである。


【付記】
● ヴィクトル・ペレーヴィンが取り上げているのはシド・バレットが抜け、デイヴ・ギルモアが参加してからのピンク・フロイドですね。『MORE』(1969)、『ウマグマ』(1969)、『原子心母』(1970)、『おせっかい』(1971)が出てきて、『狂気』(1973)が取り上げられていないところをみると、時代設定はやはり米国がアポロ11号で月面着陸を成功させた1969年直後の、1970年代初頭だということになりそうです。
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