保坂和志 『プレーンソング』

保坂和志 『プレーンソング』 中公文庫 (1990:初出年)

HosakaKazushi_PlaneSong.jpg
保坂和志『プレーンソング』は筋らしい筋がない、かなり変わった小説である。都心から少し離れた町に住む「ぼく」の2LDKに居候する形で暮らす若者たちの、冬の終わりから翌年の夏までを奇妙な共同生活を描いた「小説」の出だしは、こんな感じである。ちょっと引いておきましょう。

一緒に住もうと思っていた女の子がいたから、仕事でふらりと出掛けていった西武池袋線の中村橋という駅の前にあった不動産屋で見つけた2LDKの部屋を借りることにしたのだけれど、引越しをするより先にふられてしまったので、その部屋に一人で住むことになった(保坂和志『プレーンソング』中公文庫)。

「ぼく」のことでわかるのは彼が三十歳くらいの会社員で競馬好きであることくらいで、どういう仕事をしているのかなどはよくわからない。さほど猫が好きではない「ぼく」のところに時折姿を見せる子猫に少し興味を持ち、少しずつ子猫に近づいていこうとするのだが、猫は「ぼく」に懐く様子はない。

競馬が開催されると、競馬仲間の「三谷さん」や「石上さん」などと競馬場に行くのだが、「ぼく」はさほど競馬にのめり込んでいるふうではなくて、三谷さんや石上さんの「競馬論」を引き合いに出しながら他にすることもないから、という感じで競馬をやっているみたいな描かれ方である。

そのうちに映画関連の仕事をしているらしいアキラという二十歳くらいの男と、アキラが連れてきたよう子という女の子が同居人として「ぼく」の部屋に住み始め、そこにとりあえず会社員をしているが映画が好きだという島田と、自分で8ミリビデオを撮っているゴンタという男も加わって、四人が共同生活をすることになった。

仕事のないアキラはぶらぶらしており、よう子は「ぼく」が見かけた茶色の子猫に遭遇しようとキャットフードを持って近所を巡回パトロールするようになる。島田は仕事が終わったら上着だけを脱いでネクタイもしたまま布団にもぐり込むような、ちょっと浮世離れしたような男で、ゴンタはそんな若者たちの姿を、断片的に8ミリビデオに収めていく。

子猫がやがて懐いて「ぼく」のところに居着くようになるとか、競馬で大穴を当てる、あるいは名勝負が展開されるなどという「見せ場」というか「ヤマ」があるわけではない。よう子をめぐって男たちの壮絶な戦いや恋愛のドタバタが繰り広げられるわけでもなく、淡々と話(?)が進んでいくわけなんだけど、なぜか読み続けてしまうのはどういうわけなんだろう。

この、筋らしい筋や何か大きな出来事があるわけでもないのに、なぜか読み進めてしまう、というところが保坂和志の小説の不思議な魅力である。後に作者は『書きあぐねている人のための小説入門』(2003)の中で明らかにしているのだが、「悲しいことは起きない話にする」とか「比喩を使わない」などのルールを設定し、構造分析によって説明されない小説を目指したそうである。

思えば『プレーンソング』が出た1990年前後というのは、現代思想が流行し、かつてないほど批評が強力な磁場と影響力を形成していたように思う。ロラン・バルトやミシェル・フーコー、柄谷行人や蓮實重彦、そして浅田彰といった人たちの言説が流布した時代。そんなときだからこそ阿部和重や保坂和志が出てきたのかなあ、などと勝手に想像している。


【付記】
● いい本=感動を与えてくれる本でなければ、という方にはやはり本書『プレーンソング』はお勧めできません。作者がそういう期待を意図的に外しているからです。なので人によっては極度の退屈のあまり本を投げ出してしまうかも……ヴァージニア・ウルフやプルーストが大好き、という方にお勧めしたい一冊です。


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