レイモンド・カーヴァー 『大聖堂』

レイモンド・カーヴァー 『大聖堂』 村上春樹訳 中央公論新社 (2007)

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図書館で本を借りて読むことが多い私(乙山)だが、本書『大聖堂』は近所の書店で買い求めたもの。本書はレイモンド・カーヴァー(1938~1988)の短編集で村上春樹が翻訳したものだが、中に収録されている一篇に思い出があり、もう一度きちんと読んでみようという思いもあった。

大学の英語の授業で、先生が「いまから**分間でこれを読んで要約してもらう」と宣言し、アルファベットがびっしり並んだプリントを配布した。あたかも英文科の授業であるかのような展開に、学生たちの間に小さなどよめきが起こった。
小さな、というのはその先生が強面の名物教授で、反論だの抗議だのといったものは一切通用しなかったからである。このとき読んだのがレイモンド・カーヴァー『大聖堂』からコピーした「保存されたもの」(原題:Preservation)だった。

わからない単語も多く、とりあえず読み飛ばして断片から類推した適当な要約を書いて提出したわけだが、もし今それを読んだら赤面すること間違いなしのとんでもない代物だったと思う。強面の先生だったけど、先生のおかげでジョイスの『ダブリン市民』、エドガー・アラン・ポーの「テル・テイル・ハート(うそつき心臓)」、ヘミングウェイの「インディアン・キャンプ」やその他短編、そしてレイモンド・カーヴァーなどの英文に触れることができた。

さて本書は1983年にアメリカで出版され、ピュリッツアー賞の候補になった作品で、12の短編が収められている。仕事場の友人に赤ん坊が生まれ、友人宅に主人公夫婦が招待される「羽根」は短いながらもほろ苦さと心温まるものが感じられる。友人宅の奥さんが飲んでいるのが「ルートビア」。これはノン(低)アルコールの発泡飲料で、いまだに製造されているもの。へえ、本当に飲んでいるんだ、と感心してしまった。

「ささやかだけど、役に立つこと」は、息子(スコッティー)の誕生日にケーキを注文するのだが、当日、息子が交通事故に遭い、意識不明の重体になってしまう。事情を知らないパン屋は、注文主宅に電話をかけ、「スコッティーのことは忘れちまったのかい?」と告げる。やがてスコッティーは意識を取り戻したかと思うと、しばらくして亡くなってしまう。パン屋からはまたしても、スコッティーのことを忘れたのか? と催促の電話がかかってくる。夫婦はパン屋を訪れ、息子が死んでしまったことをパン屋に告げる。

「シェフの家」「注意深く」「ぼくが電話をかけている場所」はアルコール中毒話。レイモンド・カーヴァーは長きに渡りアルコール依存症により苦しんでいたが、これらはそうした経験から生まれたもの。アルコール依存症の話というとどうしても暗く破滅的なイメージが付きまとうが、これらは依存症を克服した後の執筆であることもあって、比較的明るい調子である。とくに「ぼくが電話をかけている場所」のエンディングは印象的だ。

「大聖堂」は妻の昔からの友達である視覚障害者が自宅に泊まりに来るという話。夫は全盲の老人にどのように接していいかわからずとまどうが、妻が眠たいので先に寝る、と言い出し、とうとう夫は全盲の老人と二人きりになってしまう。手持ち無沙汰につけたテレビには大聖堂を映し出しているが、老人は大聖堂がどういうものか理解できない。

そこで老人は夫に「目を閉じて紙に大聖堂の絵を描いてみてほしい」と提案し、そして鉛筆を持つ夫の手に自分の手を重ね、その動きと紙に書かれた線から大聖堂の姿を何とか思い浮かべようとする。そこへ姿を見せた妻は「いったいぜんたい、あなたたち何をしているの?」と驚くが、夫は「こりゃすごいや」と今まで経験したことのない出来事に心を動かされ、はじめはどこか疎ましかった全盲の老人と心を通わせることができるようになる。ちょっとだけ、引いておきましょう。

 ちょっとあとで、彼は言った。「もういいだろう。できたじゃないか」と彼は言った。「目を開けてごらん。どう?」
しかし私はずっと目を閉じていた。もう少し目を閉じていようと私は思った。そうしなくてはいけないように思えたのだ。
「どうしたの?」と彼は言った。「ちゃんと見てる?」
私の目はまだ閉じたままだ。私は自分の家にいるわけだし、頭ではそれはわかっていた。しかし自分が何かの内側にいるという感覚がまるでなかった。
「たしかにこれはすごいや」と私は言った。(レイモンド・カーヴァー『大聖堂』村上春樹訳より)

12の短編をすべて紹介するわけにはいかないが、娯楽性に乏しい、どちらかというとシリアス(ハイブラウ?)な部類のフィクションで、一般受けするとは思えない内容だが、私はこういうフィクションも好きである。この手のフィクションでは暗示的/象徴的に書かれることの多い短編。一度読んだだけでは「?」となった箇所も、いくつかあったと正直に書いておきましょう。

だからこそ、なのかもしれないが、この手のフィクションは手元に置いて何度でも読み返したくなる不思議な魅力があるのだと思う。巻末には翻訳者・村上春樹によるていねいな解説も付いているので、そちらを読むのも本書の楽しみではないだろうか。


【付記】
● 「保存されたもの〈preservation〉」は題名からして暗示的/象徴的ですね。よくジャムとかで「プリザーブ・スタイル」とかあるでしょう。イチゴなどの形がある程度残されている、という意味。仕事がなくなってしまった夫がソファに寝そべって生活するようになるんですが、そのうち、家の冷蔵庫が壊れてしまう。中に冷蔵/冷凍保存していたものがどんどん腐り始めるんですね。

妻はその中からまだ食べられそうなポーク・チョップを焼き、晩御飯に食べてしまおうとするのですが、なぜか夫はそれを見て唖然とし、またいつものソファへと戻ってしまう、というような話。「保存されたもの」とはなにか? こういう部分、今でも難しいなあ。大学生のとき、ろくに読めなかったのも無理はありません。


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