内田百間 『新稿 御馳走帖』

内田百間 『新稿 御馳走帖』 三笠書房 (1969)

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内田百間(最後の「間」は「門構えに月」が正式名称であるが、それは環境依存文字扱いとなっており、正しく表示されない場合があるので「内田百間」とさせて頂きます)の『第一阿房列車』(新潮文庫)を読んでから、その文体や人となりに惹かれ、「何か百間先生の本はないかなあ」とお願いしておいたところ、家族が図書館から借りてきてくれたのが本書『新稿 御馳走帖』(三笠書房)である。

早速本を開いてみると、旧仮名遣いではないか! 奥付を見ると出版は昭和43年(1969)で、「新稿」とあるのは、もともと昭和21年に出版された『御馳走帖』に、戦後発表したものを付け加えて出したからだと平山三平(=ヒマラヤ山系)による「編集後記」に明記されている。

旧仮名遣いといってもまったく動じることなく読み通す。なにしろ、母が遺してくれた太宰治全集は全編、旧仮名遣いになっていて、それでじゅうぶん鍛えられているわけです。たとえば「メリイクリスマス」で、太宰と面識があったが戦争で亡くなってしまった婦人の娘さんと太宰が、亡婦人を偲んで鰻を食べる場面なんて「食べちやはうか」(食べちゃおうか)などと書かれています。

それはさておき、『御馳走帖』という題名から現代の「グルメブーム」に通じるあれこれの「御馳走」についてあれこれ書かれていると連想しがちであるが、少し違うと思う。確かに食べ物についてのエッセイではあるけれど、高級料理が連続して登場し、薀蓄が続くという内容では、ないのです。

たとえば「序に代えて」という冒頭の部分などは昭和20年の7月終わりから8月初め頃のことが書かれていて「いよいよお米がなくなった」という内容だし、本文に取り扱われている見出しを少しかいつまんで挙げてみると以下のようなものである。

「おから」「沢庵」「蒲鉾」「林檎」「シュークリーム」「牛乳」「カステラ」「紅茶」「缶詰」「油揚」「三鞭酒(シャンパン)」

題名からもおわかりのように、非常に「控えめ」な内容ではないかと思う。名だたる珍味や高級料理の列挙ではないのであって、これは『第一阿房列車』の中に出てきた、旅行はするけれど観光名所には行かない、という精神とどこか通じるところがあるのではないかと思う。

読んでいくうちに内田百間の食生活が次第にわかってくるのだが、朝は牛乳とビスケット、果物を少々。「ビスケットは英字の形をした余りうまくないのを常用している。アイやエルは割が少ないので口に入れても歯ごたえがない。ビイやジイは大概腹の穴が潰れて一塊りになっているから口の中でもそもそする。そう云う色色の形を指先で選り分けて摘んで食べる」(「百鬼園日暦」)

昼は決まって蕎麦を食べる。暑いときは盛りそば、寒いときはかけ蕎麦、一年中それを通す。決して間食はせず、ただひたすらに夕食を楽しみにしている百間先生。だから用事で人の邸宅に立ち寄ったとき、「まあ一杯召し上がれ」と出される饗応を逃げるようにして辞退する。逃げる暇なく出された鰻が旨かったりすると、つい食べてしまいながら今夜の食事がまずくなることに不機嫌になる百間先生なのである。

わがままで、気まぐれで、気難しいお人柄で知られた内田百間であるが、どういうわけか人に好かれてしまうところがあるのだ。戦時中内田百間は日本郵船の嘱託として勤務しており、世話をしてくれる給仕が兵隊に取られていってしまったので、僕が先生のお世話を引き継ぎます、と胸の悪い青年が申し出る。

UchidaHyakken_IpponNanashaku.jpg昭和19年の寒い冬、百間先生の机の上に会社の封筒で包んだ小さな壜が置いてあり、何だろうと訊くと、青年は「僕が国民酒場から汲んで来たのです」という。酒が飲めない、飲めないと嘆いている百間先生の言葉を聞いて動いてくれたのだ。
寒風の吹きすさぶ中、夕方から行列に並んで、くじが外れれば手ぶらで帰ってこなければならぬ、と百間先生は知っており、青年の胸が悪いことも承知しているから、もう止めなさい、というのだが、青年は、はあ、とは言うものの、何日かしたらまた酒を持ってきてくれるのだ。百間先生に何かしてもらえるわけではなくて、ただもう、百間先生の喜ぶ顔が見たくて、青年は酒を届け続ける。

暮れも、正月も、二月になっても青年は百間先生の家まで酒を届けてくれる。それも一合に足りなくて、いつも一本、それも七勺と決まっている。本当に配給ではそれしか手に入らなかった時代なのだろう。とうとう三月に青年の自宅方面が空襲を受け、焼け出された青年は母親とともに北陸の田舎へ帰ることになった。そうして程なく、青年は二十歳を過ぎたばかりの年に北陸の田舎で亡くなってしまう。

戦後間もない頃はまだまだ食糧難が続いており、内田百間が甘木君と入った精養軒食堂でも一人「一本七勺」まで、となっていた。「今晩こうして杯を重ねている精養軒食堂のお銚子が一本七勺、手に持った杯の縁がうるんでよく見えなくなった」というエンディングが印象に残る「一本七勺」。

いずれも短い、いいエッセイが集められているけれど、この一篇が特に心に残った。青年の目には、近づきがたく思われている内田百間の内側にある、まっすぐな心や優しさがよく見えていたのではないだろうか。そうして、百間先生の中にも、あの青年の心尽くしがいつまでも残っていた。こうした「心」は何年時を経ようとも、人の心に届くものだと、私は信じている。


【付記】
● 乙山が読んだのはとても古い単行本ですが、現在では中公文庫から『新稿 御馳走帖』が出ているようです。実物を確かめたわけではないのですが、乙山が読んだ古い『御馳走帖』では「収録枚数の都合で割愛した」ものも収録されているようで、新しい中公文庫版がいわゆる「完全版」ということになるのかもしれません。
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No title

うちにあるのは文庫本の方なんですよ。
恥ずかしながら彼の名を余りよく知らなかった私は、古本屋さんの店頭のザルに摘んであったひと山200円のなかにこの本を見いだしました・・・というよりも、たまたまその中に入っていました。

それから、何度読み返したことか・・・今はすり切れたページもあるほどです。

Re:gatayanさん

gatayanさん、コメントありがとうございます。
乙山はつい最近読んで唸ってしまった感じです。

名前だけは聞いていたんですが、
ちゃんと読んでいなかった。
それは正直に書いておきたいと思います。

古本屋さんでの出会い、素敵ですね。
店頭の安売りで出会った中に
いい本がある、というのがまた、いい感じなんですよね。

内田百

乙山さん、おはようございます。
すっかり、朝型人間になってきました。

内田百の本、私も名ばかりで読んだことがなかったです。
乙山さんの記事を読むうちに、どんどん内田百の
生活ぶりが脳裏に浮かんできました。

いやいや、何かといいますと、
内田百を描いた映画「まあだだよ」の場面の数々のことです

戦後のある時期、掘立小屋に生活する百先生。
がんこで優しく誇り高い質素な生活がとても印象的でした。
期待しないで見た映画でしたが、惹きこまれましたね。
先生を師と仰ぐ多くの仲間の一人に、
所ジョージが演じていてこれがまた面白かった。

Re:mapことクワトロ猫さん

mapさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうそう、内田百間は東京大空襲のときに焼け出され、
しばらく近所の掘立小屋に住んでいた、
と『御馳走帖』にも記述があります。

偶然かもしれませんが、今回の記事の二つ目の写真は、
『御馳走帖』の中の「一本七勺」というエッセイの最後の部分を
デジタル写真機で写したものですが、そこに
「五月の空襲で焼け出され、近所の掘立小屋に……」という文字が見えますね。

乙山、映画『まあだだよ』は、まだ見ておりません。
mapさんのお話を伺うと、とても面白そうですね。

No title

内田百といえば(愛すべき)偏屈さが強調されがちですが
こんなエッセイもあるんですねぇ・・・
『御馳走帖』チェックしておきます。
旧仮名遣い文をきちんと読みこなせるか、少々不安ですが(笑)

Re:zumiさん

zumiさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そうなんですよ。
一見、取り付きにくい、気難しい人の代表のように
思われている内田百間先生ですが、
じつは、今様でいうと「好かれキャラ」でもあるようです。

乙山が読んだ『御馳走帖』は現在流通しているものではないので、
ふつうに読むなら中公文庫版でOKなのでは?
無理に旧仮名遣いを読む必要はありません。
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