広瀬正 『マイナス・ゼロ』

広瀬正 『マイナス・ゼロ』 集英社文庫 (1970:初出年)

HiroseTadashi_MinusZero.jpg
昭和20年(1945年)5月25日、アメリカ軍の爆撃で東京は火の海と化していた。焼夷弾で家を失った中学二年生の浜田俊夫と母親は、「疎開するので留守番がてら家にいてくれないか」と頼まれ、その人の家に住んでいた。だがそこも爆撃を受け母子は必死で消火に励み、なんとか火災を食い止めたが、隣には変わり者の伊沢先生と娘が住んでいて、そこにも火の手が上がろうとしていた。助けに行った浜田俊夫は、虫の息になった先生からある頼みごとを受けた。

1963年。成長し、31歳になった浜田俊夫は伊沢先生からの「頼みごと」を実行するため、戦時中住んでいた地所を訪ねる。先生の頼みごとは「1963年5月26日午前0時、研究室へ行くこと」というものだった。件の場所は現在及川氏の所有地となっていたが、事前に連絡をしておいたこともあって、及川氏は多少怪訝な様子を見せたものの、かつて先生が住んでいた「研究室」を使わせてほしい、という妙な頼みを受け入れてくれた。

そして、問題の時刻。浜田俊夫が研究室のドアを開けると、そこには妙な服装をした若い女性がいた。その女性こそ、かつて浜田俊夫が憧れとともに淡い恋心を寄せていた、先生の娘、伊沢啓子だった。動揺する二人だったが、先生の残したノートなどを読んでいるうちに、どうやら先生は未来からタイムマシンを使って過去の世界にやってきた人間であることがわかり、先生は死ぬ間際に啓子をタイムマシンに乗せて1963年の世界に送り届けたことを二人は理解した。浜田俊夫は、タイムマシンのことを詳しく知ろうと、先生がやって来た次の年に合わせて、タイムマシンに乗り込むが……

タイムマシンの存在自体を受け入れられない人はいるかもしれないが、私(乙山)はタイムトリップものは好きである。本書では未来像は描かれておらず、もっぱら現在(1960年代)と過去(1932年~)に焦点が当てられているのだけど、戦争前の町の様子や物価など、風俗がかなり詳しく書かれているのには驚かされる。解説はあの星新一によるもので、作者の広瀬正が当時の銀座の店の並びをすっかり調べたことや、当時の〈アサヒグラフ〉をたくさん集めていたことが語られている。星新一の言葉をちょっと引いておきましょう。

「昭和十年代に書かれた風俗小説はたくさんあるが、いまはほとんど読まれていないらしい。古びてしまったのだ。しかし、広瀬さんの作品は、いずれも新鮮なのである。おそらく、将来においても古びないのではないだろうか。まさに、空前の手法といっていいと思う。」(広瀬正 『マイナス・ゼロ』 集英社文庫 星新一「解説」より)

作者の広瀬正はジャズ・ミュージシャンとして活動していた時期もあるという。1970年に本書『マイナス・ゼロ』を刊行した後、続いて『ツィス』『エロス』を刊行するも、1972年に心臓発作で亡くなっている。作家としてこれから、というときになくなったのが残念である。だから本の刊行数もおのずと少ないわけで、その少ない広瀬正の本をゆっくりと味わっていこうと思っている。


【付記】
●広瀬正はジャズ・ミュージシャンだった経歴もあるせいか、どうも書くものを見ているとオーディオにもかなり血筋をあげていたのではないかと思わせる節があります。たとえば過去に戻った主人公が1930年代の銀座の電気店で電蓄を見る場面などがそれです。

「それは、かねて名を聞いていた、RCAビクターの、245のプッシュプル、RE45型電蓄だった。(中略)ラジオのチューナー部分は、なんと高周波増幅五段! スーパーにしなかったのは音質を考えてのことだろうが、戦後の技術者なんかには、とてもできる芸当ではない。そのわりに低周波部分が、ごく普通のA級増幅であるところをみると、RCAの技術者たちは、レコードのみならずラジオも最高の音質で聞ける、ということを武器にしてクレデンザ型になぐり込みをかけるべく、このRF部分に全精力を注ぎこんだのに違いない。(中略)終段は三極管のプッシュプルだし、この電蓄が、戦後のハイファイのキンキンした音に馴れた人間が聞いたら、信じられないくらいの、やわらかく美しい音を出すであろうことは、聞かなくても察しがついた。」

乙山はこういう部分につい目が行ってしまうんですね。だけどこの作者、カメラもたぶん大好きなんです。電気店の次に写真機店へ行くのですが、そこでも語る、語る。ライカが、ツァイスが、コンタックスが、イコンタが、とくるわけです。男の作者だなあ、とつくづく思うところです。

人気ブログランキングへ blogram投票ボタン
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

只野乙山

Author:只野乙山

⚫︎ できれば「只野乙山=ただのおつざん」とお読みくだされば、と思います。

⚫︎ 文字中心のウェブログ。ほとんど一話完結で、どの記事をご覧になっても楽しめ(?)ます。文字数だけなら一冊の本に匹敵(凌駕?)するほどありますので、ごゆっくりどうぞ。

⚫︎ 下の「全ての記事を表示する」をクリックすると、全記事のタイトル一覧が出ますので過去記事を参照することができます。

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント

openclose

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アーカイヴ

2017/08 (5)

2017/07 (9)

2017/06 (9)

2017/05 (9)

2017/04 (8)

2017/03 (9)

2017/02 (4)

2017/01 (1)

2016/06 (1)

2016/05 (13)

2016/04 (13)

2016/03 (20)

2016/02 (10)

2016/01 (11)

2015/12 (10)

2015/11 (10)

2015/10 (11)

2015/09 (13)

2015/08 (10)

2015/07 (11)

2015/06 (10)

2015/05 (10)

2015/04 (10)

2015/03 (11)

2015/02 (9)

2015/01 (11)

2014/12 (9)

2014/11 (10)

2014/10 (11)

2014/09 (10)

2014/08 (10)

2014/07 (10)

2014/06 (10)

2014/05 (11)

2014/04 (10)

2014/03 (10)

2014/02 (9)

2014/01 (11)

2013/12 (9)

2013/11 (10)

2013/10 (10)

2013/09 (10)

2013/08 (11)

2013/07 (10)

2013/06 (10)

2013/05 (10)

2013/04 (10)

2013/03 (11)

2013/02 (9)

2013/01 (11)

2012/12 (9)

2012/11 (10)

2012/10 (11)

2012/09 (10)

2012/08 (10)

2012/07 (10)

2012/06 (10)

2012/05 (11)

2012/04 (10)

2012/03 (10)

2012/02 (10)

2012/01 (9)

2011/12 (9)

2011/11 (10)

2011/10 (10)

2011/09 (10)

2011/08 (10)

2011/07 (9)

2011/06 (9)

2011/05 (10)

2011/04 (8)

2011/03 (8)

2011/02 (12)

2011/01 (12)

2010/12 (12)

2010/11 (13)

2010/10 (15)

2010/09 (15)

2010/08 (14)

2010/07 (16)

2010/06 (17)

2010/05 (21)

2010/04 (18)

2010/03 (20)

2010/02 (23)

2010/01 (27)

2009/12 (27)

2009/11 (27)

2009/10 (26)

2009/09 (24)

2009/08 (19)

2009/07 (21)

2009/06 (30)

2009/05 (26)