星新一 『妄想銀行』 新潮文庫 (1978)
星新一 『妄想銀行』 新潮文庫 (1978)


ときどきふっと手にとって読みたくなる本のひとつが星新一だ。そんなにたくさん持っているわけではないが、本書『妄想銀行』はずいぶん前に購入して本棚にずっと存在して続けている。たぶん20年以上は経っていると思われるが、値段を見たら280円とあるではないか。もう読まないかな、と思う本は整理して蔵書をできるだけ少なくしているのだが、『妄想銀行』はどういうわけか所有者の非情な眼をくぐりぬけて今日まで残っている。
『妄想銀行』は1967年に新潮社から単行本として出版されているが、これはその文庫版で1978年の出版。私(乙山)が所有しているのは第三版で、手荒な扱いを受けているわりには保存状態がよい(と思う)。本書はショート・ショートの名手である星新一によるショート・ショート32編が収録されている。全作品を列挙するわけにはいかないが、私が気に入っているのは「美味の秘密」「陰謀団ミダス」「古風な愛」などである。今回は「美味の秘密」についてちょっとだけ書いておきましょう。
さて「美味の秘密」は、美食を趣味とする社長エヌ氏が、社員の一人に「うまい店がある」という話を聞くところから始まる。あらゆる美味を口にしてきたエヌ氏はたいていの味には驚かなくなっており、どうせ知れたこと、と相手にしようとしない。だが「辞表を賭けてもいい」と主張する社員の話を、エヌ氏は聞いてみることにした。
ある会社員たちが一杯飲んだ後、食事をしようと小さなレストランに入るのだが、店主=料理人にやる気のまったくないことがすぐさまわかるような雰囲気。出てきた料理もいかにもまずそうである。観念した客たちが一口食べてみると、それが信じられないほど美味だったのである。しかも代金はとてつもなく高い金額で、有り金全部を払わねばならなかった、という。会社員の料理にかんするコメントを、ちょっと引いておきましょう。
「値段のことを聞いているのではない。味はどうだったのだ。うまかったのか」
「はい。あれは、うまいなんてものではありません。幻の味としか言いようがありません。古今東西の四季の料理、その長所ばかり集めたとしても、ああはならないでしょう。そんな水準より一段うえの……」(星新一『妄想銀行』新潮文庫)
たまらんなあ。まったく熱意がこもっておらず、態度もきわめてぶっきらぼうな料理人の手になる「デバートの食堂のランチ」のようなものが、どういうわけかエヌ氏を心から感服させてしまう。それからエヌ氏はくだんの小さなレストランに通いつめ、「美味の極致」を堪能し、ついにその「美味の秘密」を知ることになるのだが……これ以上はご勘弁を。
仕事柄、昼食を外で済ませることもあり、それこそ「本日のランチ」なるものを食べる機会もわりとあるのだが、そんなときふと思い出すのが「美味の秘密」。街の食堂の日替わり定食で「美味の極致」を味わえるような経験ができるとは思いもよらないけれど、上に引いたようなものはまさに言葉の力、といえるだろう。現実にありえないようなものでも、言葉によって喚起されてイメージすることができるわけで、ここに他のメディアにはない想像力(イメージ)の愉楽があるのだと思う。
「陰謀団ミダス」や「古風な愛」のほかにも「鍵」「黄金の惑星」、そしてタイトル作「妄想銀行」など、いい味わいの作品ぞろいである。短めの読み物として多くの人の支持を得ているものに、アメリカの作家O・ヘンリーがある。アメリカには「聖書」のほかにO・ヘンリーの本がそっと枕元に備え付けてあるというホテルもあるという。日本で、そういう本を探してみるとなると、第一番目にくるのが星新一ではないかと思うが、いかがだろうか。
『妄想銀行』は1967年に新潮社から単行本として出版されているが、これはその文庫版で1978年の出版。私(乙山)が所有しているのは第三版で、手荒な扱いを受けているわりには保存状態がよい(と思う)。本書はショート・ショートの名手である星新一によるショート・ショート32編が収録されている。全作品を列挙するわけにはいかないが、私が気に入っているのは「美味の秘密」「陰謀団ミダス」「古風な愛」などである。今回は「美味の秘密」についてちょっとだけ書いておきましょう。
さて「美味の秘密」は、美食を趣味とする社長エヌ氏が、社員の一人に「うまい店がある」という話を聞くところから始まる。あらゆる美味を口にしてきたエヌ氏はたいていの味には驚かなくなっており、どうせ知れたこと、と相手にしようとしない。だが「辞表を賭けてもいい」と主張する社員の話を、エヌ氏は聞いてみることにした。
ある会社員たちが一杯飲んだ後、食事をしようと小さなレストランに入るのだが、店主=料理人にやる気のまったくないことがすぐさまわかるような雰囲気。出てきた料理もいかにもまずそうである。観念した客たちが一口食べてみると、それが信じられないほど美味だったのである。しかも代金はとてつもなく高い金額で、有り金全部を払わねばならなかった、という。会社員の料理にかんするコメントを、ちょっと引いておきましょう。
「値段のことを聞いているのではない。味はどうだったのだ。うまかったのか」
「はい。あれは、うまいなんてものではありません。幻の味としか言いようがありません。古今東西の四季の料理、その長所ばかり集めたとしても、ああはならないでしょう。そんな水準より一段うえの……」(星新一『妄想銀行』新潮文庫)
たまらんなあ。まったく熱意がこもっておらず、態度もきわめてぶっきらぼうな料理人の手になる「デバートの食堂のランチ」のようなものが、どういうわけかエヌ氏を心から感服させてしまう。それからエヌ氏はくだんの小さなレストランに通いつめ、「美味の極致」を堪能し、ついにその「美味の秘密」を知ることになるのだが……これ以上はご勘弁を。
仕事柄、昼食を外で済ませることもあり、それこそ「本日のランチ」なるものを食べる機会もわりとあるのだが、そんなときふと思い出すのが「美味の秘密」。街の食堂の日替わり定食で「美味の極致」を味わえるような経験ができるとは思いもよらないけれど、上に引いたようなものはまさに言葉の力、といえるだろう。現実にありえないようなものでも、言葉によって喚起されてイメージすることができるわけで、ここに他のメディアにはない想像力(イメージ)の愉楽があるのだと思う。
「陰謀団ミダス」や「古風な愛」のほかにも「鍵」「黄金の惑星」、そしてタイトル作「妄想銀行」など、いい味わいの作品ぞろいである。短めの読み物として多くの人の支持を得ているものに、アメリカの作家O・ヘンリーがある。アメリカには「聖書」のほかにO・ヘンリーの本がそっと枕元に備え付けてあるというホテルもあるという。日本で、そういう本を探してみるとなると、第一番目にくるのが星新一ではないかと思うが、いかがだろうか。
【付記】
● 電車で移動しているとき、目の前に座っている小学生が、星新一の本を読んでいたのを目撃したことがあります。ところが他日、女子高校生がやはり星新一の本を読んでいるのも目にしました。とくに「子ども向け」と銘打って本を出しているわけではなく、本来は大人向けのものなのでしょう。星新一の作品はSF的設定が「無国籍的」という入り込みやすさを生んでおり、なおかつ上品でいて皮肉の利いた面白みがある、そんなところに小学生から大人まで、多くの読者を獲得している理由があるのかもしれません。
● 電車で移動しているとき、目の前に座っている小学生が、星新一の本を読んでいたのを目撃したことがあります。ところが他日、女子高校生がやはり星新一の本を読んでいるのも目にしました。とくに「子ども向け」と銘打って本を出しているわけではなく、本来は大人向けのものなのでしょう。星新一の作品はSF的設定が「無国籍的」という入り込みやすさを生んでおり、なおかつ上品でいて皮肉の利いた面白みがある、そんなところに小学生から大人まで、多くの読者を獲得している理由があるのかもしれません。


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No title
星新一、昔々学生時代によく図書館で借りて読みました・・・
自宅にあるのはほんの数冊ですが、捨てられませんよね~これは(^^;)
今から10年後くらいにぺらっと頁をめくっても古さを感じさせないかも。
細かな設定だけを見ると確かに時代を感じますが、作風自体は恒久的に
通用しそうな・・・
いかん、また読みたくなってきました(笑)
あ、先日勝手ながらリンク貼らせて頂きました!
何か不都合ございましたら、またご連絡お願い致します(^^;)
ではこれからもブログ楽しみにしています~♪
自宅にあるのはほんの数冊ですが、捨てられませんよね~これは(^^;)
今から10年後くらいにぺらっと頁をめくっても古さを感じさせないかも。
細かな設定だけを見ると確かに時代を感じますが、作風自体は恒久的に
通用しそうな・・・
いかん、また読みたくなってきました(笑)
あ、先日勝手ながらリンク貼らせて頂きました!
何か不都合ございましたら、またご連絡お願い致します(^^;)
ではこれからもブログ楽しみにしています~♪
Re:zumiさん
zumiさん、コメントありがとうございます。
やはりSFということで、設定を近未来的にしたのが、
無国籍風につながっているのでしょうね。
たぶん翻訳が進んでいないだけで、それがなされると、
どこの国の人でも読んで楽しめる内容ではないかと思うのです。
ちょっと残念なことですね。
リンク、オーケーですよ!
じゃあ、こっちからもzumiさんへのリンクを張っておきますよ?
よろしくお願いします。
やはりSFということで、設定を近未来的にしたのが、
無国籍風につながっているのでしょうね。
たぶん翻訳が進んでいないだけで、それがなされると、
どこの国の人でも読んで楽しめる内容ではないかと思うのです。
ちょっと残念なことですね。
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じゃあ、こっちからもzumiさんへのリンクを張っておきますよ?
よろしくお願いします。