芦原すなお 『青春デンデケデケデケ』
『青春デンデケデケデケ』 (1992) 日本

原作:芦原すなお
監督:大林宣彦
出演:林泰文、大森嘉之、浅野忠信、永堀剛敏、佐藤真一郎ほか

原作:芦原すなお
監督:大林宣彦
出演:林泰文、大森嘉之、浅野忠信、永堀剛敏、佐藤真一郎ほか
芦原すなお原作の同名小説を映画化したもの。変な題名だが、私(乙山)は原作を先に読んでいたのでこの意味がわかる。「デンデケデケデケ」は、ベンチャーズというロックバンド(?)がよく使った、エレクトリック・ギターによる"トレモロ・グリッサンド奏法"の擬声(擬音)語なのだ。
右手でピックを高速に動かして連続弾きをすると同時に、左手の指をフレットの高音部から低音部に向けて動かすという演奏方法だが、これはある程度エレクトリック・ギターをいじればわりとできるようになるようなもので、それほど高度な技術ではない。実際にベンチャーズを聴いてみると「ああ、これね」とおわかりいただけると思う。
舞台は1965年春、四国の田舎町で高校入学を控えていた藤原竹良=ちっくん(林泰文)は、昼寝をしているときにラジオから流れてきたベンチャーズの「パイプライン」の"デンデケデケデケ~"という音を聞いて衝撃を受けた。まさに天啓とはこのこと、みたいに感じたちっくんは、「やーっぱ、ロックでなけらいかん!」と一念発起、高校でロックバンドを結成することを決意した。
寺の住職の息子である合田富士男(大森嘉之)はベース担当、ドラムにはブラスバンド部の岡下巧(永掘剛敏)、そしてギターが上手な白井清一(浅野忠信)をバンドのリードギターを担当してもらい、僕こと藤原竹良はヴォーカルとサイドギターをやることになった。そしてバンドの名前は〈ロックング・ホースメン〉と決定し、メンバーたちはバンド活動を始めた。機械いじりが得意なしーさんこと谷口静夫(佐藤真一郎)はギターアンプを作ってくれ、彼をロッキング・ホースメンの名誉メンバーとして加えることにメンバー全員が同意した。
1960年代はほとんど記憶にないはずなのに、なぜ懐かしい「あのころ」の感じがわかったような気になって、どっぷり浸ることができるのだろうか。これは『ALWAYS三丁目の夕日』(2005)でも感じたことだが、『ALWAYS』にいたっては1950年代後半の設定である。なのにどういうわけか共感できるのが不思議だ。これは私(乙山)が1970年代の空気をしっかり吸って育ったからなのだろうか。
1970年代はまだ1960年代の雰囲気をじゅうぶんに残していた、と思う。今(2010年)からすると考えられないことだが、1970年代初頭の大阪では、一斗缶の下のほうに穴を開けたもので家庭ごみなどを燃やす「とんと」と称するものが一般的で、各々家の前で「とんと」を燃やしていた。それが学生アパートとか集合住宅になるとドラム缶でごみを燃やしていたものだ。
夕方になると幹線道路の街路樹に向かって立小便をしていても、だれも不思議に思わなかった時代である。さすがに七輪を持ち出して魚を焼いている人を見かけたことはないが、たとえそうしていたとしても、やはりだれも不思議に思わなかったのではないかと思う。
それはともかく、『青春デンデケデケデケ』は音楽にしても風俗にしても1960年代テイストに満ち溢れているいい映画だと思う。大林宣彦監督は、瀬戸内とか尾道、四国あたりを舞台にしたいいものを撮る人だ。映画化するとがっかり、みたいな作品も多いけれど、これは芦原すなおの原作から読んでもいいだろうし、映画を見た後で小説を読んでもいいのではないか。小説には映画で表現し切れなかった細部があり、映画では一瞬でわかる、あの「デンデケデケデケ~」を聞くことができるわけです。
右手でピックを高速に動かして連続弾きをすると同時に、左手の指をフレットの高音部から低音部に向けて動かすという演奏方法だが、これはある程度エレクトリック・ギターをいじればわりとできるようになるようなもので、それほど高度な技術ではない。実際にベンチャーズを聴いてみると「ああ、これね」とおわかりいただけると思う。
舞台は1965年春、四国の田舎町で高校入学を控えていた藤原竹良=ちっくん(林泰文)は、昼寝をしているときにラジオから流れてきたベンチャーズの「パイプライン」の"デンデケデケデケ~"という音を聞いて衝撃を受けた。まさに天啓とはこのこと、みたいに感じたちっくんは、「やーっぱ、ロックでなけらいかん!」と一念発起、高校でロックバンドを結成することを決意した。
寺の住職の息子である合田富士男(大森嘉之)はベース担当、ドラムにはブラスバンド部の岡下巧(永掘剛敏)、そしてギターが上手な白井清一(浅野忠信)をバンドのリードギターを担当してもらい、僕こと藤原竹良はヴォーカルとサイドギターをやることになった。そしてバンドの名前は〈ロックング・ホースメン〉と決定し、メンバーたちはバンド活動を始めた。機械いじりが得意なしーさんこと谷口静夫(佐藤真一郎)はギターアンプを作ってくれ、彼をロッキング・ホースメンの名誉メンバーとして加えることにメンバー全員が同意した。
1960年代はほとんど記憶にないはずなのに、なぜ懐かしい「あのころ」の感じがわかったような気になって、どっぷり浸ることができるのだろうか。これは『ALWAYS三丁目の夕日』(2005)でも感じたことだが、『ALWAYS』にいたっては1950年代後半の設定である。なのにどういうわけか共感できるのが不思議だ。これは私(乙山)が1970年代の空気をしっかり吸って育ったからなのだろうか。

夕方になると幹線道路の街路樹に向かって立小便をしていても、だれも不思議に思わなかった時代である。さすがに七輪を持ち出して魚を焼いている人を見かけたことはないが、たとえそうしていたとしても、やはりだれも不思議に思わなかったのではないかと思う。
それはともかく、『青春デンデケデケデケ』は音楽にしても風俗にしても1960年代テイストに満ち溢れているいい映画だと思う。大林宣彦監督は、瀬戸内とか尾道、四国あたりを舞台にしたいいものを撮る人だ。映画化するとがっかり、みたいな作品も多いけれど、これは芦原すなおの原作から読んでもいいだろうし、映画を見た後で小説を読んでもいいのではないか。小説には映画で表現し切れなかった細部があり、映画では一瞬でわかる、あの「デンデケデケデケ~」を聞くことができるわけです。
【付記】
こういう映画を見ると、ロックバンドの真似事をしていた高校生時代を思い出します。ほんと、練習場所に苦労するんですよね。貸しスタジオみたいなところはお金がかかるし、ドラムセットの運搬は苦労の種。思いっきり音を出して演奏できるところを町中で探すのは一苦労どころではなかったあのころです。
こういう映画を見ると、ロックバンドの真似事をしていた高校生時代を思い出します。ほんと、練習場所に苦労するんですよね。貸しスタジオみたいなところはお金がかかるし、ドラムセットの運搬は苦労の種。思いっきり音を出して演奏できるところを町中で探すのは一苦労どころではなかったあのころです。
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こんばんは。
無沙汰を重ねてしまいました。
「青春デンデケデンデケ」。懐かしい映画です。
映画もですが、私の高校生時代は、ベンチャーズ一期生とでもいうべき
ロック少年ばかり周りにいましたから、『パイプライン』などという曲名を
聞いただけでもう懐かしく。
私は大森嘉之という俳優さんを、「瀬戸内少年野球団」の頃から、
うまいなあ、と注目してました。
いかにも少年らしい顔。今、どうなさってるかしら。
出てらしても、こちらが気づかない、ということもあるのかもしれませんが。
大林宣彦監督作品は『転校生』が好きでした。
小林聡美はそれ以来、贔屓にしています。
「青春デンデケデンデケ」。懐かしい映画です。
映画もですが、私の高校生時代は、ベンチャーズ一期生とでもいうべき
ロック少年ばかり周りにいましたから、『パイプライン』などという曲名を
聞いただけでもう懐かしく。
私は大森嘉之という俳優さんを、「瀬戸内少年野球団」の頃から、
うまいなあ、と注目してました。
いかにも少年らしい顔。今、どうなさってるかしら。
出てらしても、こちらが気づかない、ということもあるのかもしれませんが。
大林宣彦監督作品は『転校生』が好きでした。
小林聡美はそれ以来、贔屓にしています。
こんばんわ。
いやあ、乙山さんの時代認識の的確なこと!
この「青春デンデケデケデケ」こそ私の世代。観ました。
「ALWAYS三丁目の夕日」は小学校の時のイメージですね。
ミゼットは大村昆を思い出します。
大学になると「パッチギ」かな。フォークルを歌いながら、聴くのはジャズでした。
友人に全共闘の闘士も右翼もいました。私は麻雀をしていたノンポリでしたが(笑)
今思うと不思議な時代でしたね。
70年代初頭はなんといっても大阪万博ですよね。時代が高揚していました。
そして入った会社が大阪。大阪に3年いました。
だから乙山さんの地理感覚だいたいわかります。
関西はいろいろ面白かったです。
この「青春デンデケデケデケ」こそ私の世代。観ました。
「ALWAYS三丁目の夕日」は小学校の時のイメージですね。
ミゼットは大村昆を思い出します。
大学になると「パッチギ」かな。フォークルを歌いながら、聴くのはジャズでした。
友人に全共闘の闘士も右翼もいました。私は麻雀をしていたノンポリでしたが(笑)
今思うと不思議な時代でしたね。
70年代初頭はなんといっても大阪万博ですよね。時代が高揚していました。
そして入った会社が大阪。大阪に3年いました。
だから乙山さんの地理感覚だいたいわかります。
関西はいろいろ面白かったです。
Re:彼岸花さん
彼岸花さん、コメントありがとうございます。
ベンチャーズ、ビーチ・ボーイズ、ビートルズ。
あのころ、といっても乙山には追体験でしかないのですが、
ともかくそのころの生き生きとした流行があったわけです。
エレキ・ギター禁止、ボタンダウン・シャツ禁止と、
校則も学校によってはあったわけで、
それらと格闘(?)しながらのロックとの付き合いでした。
いまどきの若いもんは……
などとといえた義理ではない乙山なのです。
昔の自分は、今の子よりもっとアホでしたからね。
ベンチャーズ、ビーチ・ボーイズ、ビートルズ。
あのころ、といっても乙山には追体験でしかないのですが、
ともかくそのころの生き生きとした流行があったわけです。
エレキ・ギター禁止、ボタンダウン・シャツ禁止と、
校則も学校によってはあったわけで、
それらと格闘(?)しながらのロックとの付き合いでした。
いまどきの若いもんは……
などとといえた義理ではない乙山なのです。
昔の自分は、今の子よりもっとアホでしたからね。
Re:mapことクワトロ猫さん
mapさん、コメントありがとうございます。
鮮明な記憶として残っていないのですが、
町中でオート三輪が走っているところは、
ひょっとしたら見たかもしれません。
『ALWAYS』を見ると、なぜだか涙腺が緩んで仕方がなかったのです。
でもそれは、どうやら脳の老化でコントロールが効かなくなっているだけらしいのです。
乙山の人間自体が丸くなったわけでも、優しくなったわけでもないようです。
以前ウェブログにも書きましたが、乙山はこれでも大阪万博を経験しています。
まだ、ほんの子どものころでしたが。
真空管式の白黒でもテレビが珍しく、カセットコーダーにしがみついて録音し、
あとでこっそりプレイバックしてもう一度楽しむのが好きでした。
鮮明な記憶として残っていないのですが、
町中でオート三輪が走っているところは、
ひょっとしたら見たかもしれません。
『ALWAYS』を見ると、なぜだか涙腺が緩んで仕方がなかったのです。
でもそれは、どうやら脳の老化でコントロールが効かなくなっているだけらしいのです。
乙山の人間自体が丸くなったわけでも、優しくなったわけでもないようです。
以前ウェブログにも書きましたが、乙山はこれでも大阪万博を経験しています。
まだ、ほんの子どものころでしたが。
真空管式の白黒でもテレビが珍しく、カセットコーダーにしがみついて録音し、
あとでこっそりプレイバックしてもう一度楽しむのが好きでした。
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Re:藍色さん
藍色さん、コメントありがとうございます。
『青春デンデケデケデケデ』は、原作と映画のギャップが少ないほうではないかと。
どちらから入ってもいい、と思います。
『青春デンデケデケデケデ』は、原作と映画のギャップが少ないほうではないかと。
どちらから入ってもいい、と思います。