高級時計、なぜか身に付かず

昔の話で恐縮だが、たしか1993年ごろのことである。あるとき何かの雑誌で時計の特集をしており、その中の一つが私を捉えた。それはスイス製の時計で、長方形だった。文字盤はピンクゴールドで、爬虫類の押し型をほどこしたグレイの革製バンドがついていた。
メーカーは Tissot で時計の名前は「ベル・エポック」とある。35000円と、私(乙山)にしてはかなり高額な買い物だったが、あこがれやみがたく時計店に行ってふらふら購入してしまった。JR大阪駅付近にある店で、そこでしかその時計は手に入らなかったのである。その後しばらくお金に困ったのはいうまでもない。衝動買いというものは、えてしてそんなものである。
ううむ、時計はやはりスイス製に限るなあ、などと思いながら大いに満足して使っていたが、電池が切れた際にその店で交換してもらった。そのときは女性店員にしてもらったが、時計の裏に以前はなかった傷がついていることに、後になって気がついた。なかなか裏蓋を外せず、無理やり何かでこじ開けたのだろう。
傷をつけたと認めたくない気持ちはわかるが、私としては情けないやら悲しいやらで、その店を信用できなくなってしまった。それに証拠もないので文句の言いようもない。だが、そこでしか手に入らないということは、今後もその店で電池交換するしかないと思い込んでいたのである。
その後、何度目かの電池交換のとき、禿げた男の店員が担当した。彼は数10分奥に入ったまま出てこない。ふつう、時計の電池交換な5分もあればできるはずなのに、20分くらい経っても出てこないのだ。どこか、おかしいのではないか、何かが起きているのでは、と苛立ちと不安が高まった。
やっと出てきた店員は、額に汗を流していた。なにやら、大格闘でもやらかした様子である。そして、いったいなにごとであろう、「原因はわかりませんが壊れているようですね……一度お預かりして修理いたします」などと言うのである。
電池が切れて止まったのは明白なのに、彼はあくまでも時計のメカニズムが故障していると言い張るのだ。それで、ちゃんとその時計用の電池を使ったのか、と問い詰めると、お茶を濁して曖昧な答えしか返ってこない。呆れてものも言えなかった。
それからしばらくして、修理代がいくらかかりまして云々という電話があったが、あほらしくて放っておいた。そのうち、そちらの手違いで時計がおかしくなったのではないですかと抗議しようと(=お前が壊したんとちゃうんか、ぼけ、などと怒鳴り込んでやろうと)計画を練っているうちに時が過ぎ、時計のことも忘れてしまった。
その時計店は、今はもうない。不景気の余波を受けたのか、私の時計もろとも、閉店してしまったのである。きつい言い方かもしれないが、あのような対応しかできない店員がいる限り、つぶれてしかるべき時計店だったと思う。だがあの時計を取り返そうとしても、もう手の打ちようがなくなってしまったことも事実である。
新しい時計が必要だが、革の時計バンドを夏場に使い続けていると、汗でぼろぼろになってしまう。せめて夏場だけでも、とナイロン製のバンド付きの、軍用めいた安物時計を買った。日付と曜日、12時間と24時間表示が一目でわかるその時計は実に便利で、夏を過ぎてもそれを手放せなかった。わりと気に入って何年か使っていたが、うっかりして(こればっかりだが)いつの間にか紛失してしまった。
いま使っている時計は電卓メーカー製の、金属バンドでボディはチタン製のクロノグラフモデルである。ナイロンのバンドはわりと丈夫だが、使っているうちにやはりぼろぼろになってしまうし、交換しようにも気に入ったナイロンバンドがあまりない。その点、金属バンドは簡単にへこたれないから安心で、10気圧防水なので水に浸けてじゃぶじゃぶ洗っても大丈夫だ。
しかも電波時計で恐ろしいほど正確に時を刻み続けてくれているし、ソーラー電池を内蔵しているので、ここ数年間は電池交換をしていないし、今後もする必要がないだろう。名だたる高級腕時計ほどではないかもしれないが、不思議な高級感もあって、身に着けていて恥ずかしく思ったりすることはない。
デザインに惹かれて買ったクロノグラフだが、やはり私には不要な機能が多すぎる。時計は短針・長針・秒針と、日付と曜日がわかればじゅうぶんで、そのほかの機能は購入してから一度も使ったことがないし、使う機会に遭遇したこともない。必要にしてじゅうぶんな機能だけを持ちながらデザイン的にも洗練されていて飽きのこないような時計、そういうものに憧れている。
メーカーは Tissot で時計の名前は「ベル・エポック」とある。35000円と、私(乙山)にしてはかなり高額な買い物だったが、あこがれやみがたく時計店に行ってふらふら購入してしまった。JR大阪駅付近にある店で、そこでしかその時計は手に入らなかったのである。その後しばらくお金に困ったのはいうまでもない。衝動買いというものは、えてしてそんなものである。
ううむ、時計はやはりスイス製に限るなあ、などと思いながら大いに満足して使っていたが、電池が切れた際にその店で交換してもらった。そのときは女性店員にしてもらったが、時計の裏に以前はなかった傷がついていることに、後になって気がついた。なかなか裏蓋を外せず、無理やり何かでこじ開けたのだろう。
傷をつけたと認めたくない気持ちはわかるが、私としては情けないやら悲しいやらで、その店を信用できなくなってしまった。それに証拠もないので文句の言いようもない。だが、そこでしか手に入らないということは、今後もその店で電池交換するしかないと思い込んでいたのである。
その後、何度目かの電池交換のとき、禿げた男の店員が担当した。彼は数10分奥に入ったまま出てこない。ふつう、時計の電池交換な5分もあればできるはずなのに、20分くらい経っても出てこないのだ。どこか、おかしいのではないか、何かが起きているのでは、と苛立ちと不安が高まった。
やっと出てきた店員は、額に汗を流していた。なにやら、大格闘でもやらかした様子である。そして、いったいなにごとであろう、「原因はわかりませんが壊れているようですね……一度お預かりして修理いたします」などと言うのである。
電池が切れて止まったのは明白なのに、彼はあくまでも時計のメカニズムが故障していると言い張るのだ。それで、ちゃんとその時計用の電池を使ったのか、と問い詰めると、お茶を濁して曖昧な答えしか返ってこない。呆れてものも言えなかった。
それからしばらくして、修理代がいくらかかりまして云々という電話があったが、あほらしくて放っておいた。そのうち、そちらの手違いで時計がおかしくなったのではないですかと抗議しようと(=お前が壊したんとちゃうんか、ぼけ、などと怒鳴り込んでやろうと)計画を練っているうちに時が過ぎ、時計のことも忘れてしまった。
その時計店は、今はもうない。不景気の余波を受けたのか、私の時計もろとも、閉店してしまったのである。きつい言い方かもしれないが、あのような対応しかできない店員がいる限り、つぶれてしかるべき時計店だったと思う。だがあの時計を取り返そうとしても、もう手の打ちようがなくなってしまったことも事実である。
新しい時計が必要だが、革の時計バンドを夏場に使い続けていると、汗でぼろぼろになってしまう。せめて夏場だけでも、とナイロン製のバンド付きの、軍用めいた安物時計を買った。日付と曜日、12時間と24時間表示が一目でわかるその時計は実に便利で、夏を過ぎてもそれを手放せなかった。わりと気に入って何年か使っていたが、うっかりして(こればっかりだが)いつの間にか紛失してしまった。
いま使っている時計は電卓メーカー製の、金属バンドでボディはチタン製のクロノグラフモデルである。ナイロンのバンドはわりと丈夫だが、使っているうちにやはりぼろぼろになってしまうし、交換しようにも気に入ったナイロンバンドがあまりない。その点、金属バンドは簡単にへこたれないから安心で、10気圧防水なので水に浸けてじゃぶじゃぶ洗っても大丈夫だ。
しかも電波時計で恐ろしいほど正確に時を刻み続けてくれているし、ソーラー電池を内蔵しているので、ここ数年間は電池交換をしていないし、今後もする必要がないだろう。名だたる高級腕時計ほどではないかもしれないが、不思議な高級感もあって、身に着けていて恥ずかしく思ったりすることはない。
デザインに惹かれて買ったクロノグラフだが、やはり私には不要な機能が多すぎる。時計は短針・長針・秒針と、日付と曜日がわかればじゅうぶんで、そのほかの機能は購入してから一度も使ったことがないし、使う機会に遭遇したこともない。必要にしてじゅうぶんな機能だけを持ちながらデザイン的にも洗練されていて飽きのこないような時計、そういうものに憧れている。
【付記】
● 高級ブランドだからそれに憧れるのではなくて、技術の限りを尽くした完璧無比なムーヴメントそのものに憧れてしまうのです。小さな限られたスペースの中で各パーツがしっかりと役割を果たして機能している様子がたまらなく魅力的で、見ているだけでうっとりしてしまう。すべての男には、とは言いませんが、ある男たちにはそういうどうしようもないところが多分に残っているのです。
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