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静かに、しかし容赦なく世界を映す眼

ジュンパ・ラヒリ 『停電の夜に』 新潮社 (2000)

jhumpa_rahiri_interpreter of maladies
一人称の主人公「私(僕)」に作者自身が投影されている、あるいはほとんど私=作者であるフィクションを日本の作家はたくさん書いてきたし、読者もそういうフィクションを好んで読んできたわけであるが、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』では作者自身の影というか痕跡のようなものはほとんど感じられない。

そもそも妙齢の女性としての「私」が主人公になっているものは、九つの短編からなる本書の中になく、唯一それに該当すると思われるのは、第二編「ピルザダさんが食事に来たころ」の語り手である少女の「私」が幼いころの作者をなんとなくイメージさせることくらいである。

あまり馴染みのないインド系の作家ということで、初めはちょっと引いた感じで開いた本書だが、さほど違和感なく読み進めることができた。これは、癖のない平明な文体によるところも大きかったのかもしれない。実際、読んでいて「なんだこれは」といいたくなる長い文や難しい言い回しなどを思い出すこともできないくらいなのに、いつの間にか引き込まれてしまうのが不思議だ。

初めて一緒に過ごしたころの熱が冷め始めた若い夫婦が住む地域に、夜八時から一時間停電するのが五日間ほど続く、という知らせが入る。ロウソクの光に寄り添う二人は、いままで秘密にしていたことをお互いに語り合う。夫婦の危機が回避されたかのように思えた矢先、停電が予定より早く復旧し、明るい部屋の中で二人は最も重要な秘密をお互いに明かすという、どこかO・ヘンリーの「賢者の贈り物」を思わせるような第一編「停電の夜に」。

タクシーで観光案内をするかたわら、病院で患者から聞いた病状を英語に通訳する仕事をしている男が、アメリカ人家族の観光案内を引き受ける。アメリカ人の妻が「病気の通訳」に興味を示したことから、男はあらぬ妄想を抱き始める。途中、アメリカ人の夫と子供たちが見物に出て行った後、車内に残った妻から意外な事実を告げられる。どういうわけか映画『インドへの道』(1984年、イギリス)を思い出してしまった第三編「病気の通訳」。

アメリカ社会における少数派として差別・摩擦・軋轢といったものを扱って戦闘的になるのでもなく、女性としての立場から何かを告発しようとするのでもないジュンパ・ラヒリの眼はなんと静かな眼なのだろう。だが、そこに甘さは、ない。静かだけれども人間の姿を、容赦なく映し出す眼なのである。彼女の眼を借りて、読者はインド的なもの、女性としての立場、マイノリティーであることの向こうの、人間の姿を見るだろう。


【付記】
● 『停電の夜に』は新潮クレストブックスに収録されていますが、現在(2009年11月)では新潮文庫でも入手できるようです。
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