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Footway bridge

彼女が初めて店に来たのはいつのことだったか定かでないが、1988年だったことは覚えている。当初彼女はカウンター席ではなくテーブル席に座り、連れ合い達と談笑しながら酒を飲み、カラオケを歌っていた。カウンター席は主に常連客が座ることが多く、一見客や馴染みのない客はテーブル席に座った。彼女はM子さんといって、ピアノの個人レッスンをしているひとだった。

彼女たちが注文した飲み物や食べ物を持って行き、少し言葉を交わしているうちに私たちは少しずつ近づいていった。自分が大学生であり、このカラオケパブでアルバイトしていることを話すと、M子さんは名刺を渡してくれた。真ん中に小さなピアノのイラストがあり、彼女の名前もわかった。自分の名前のMと同じ漢字なのも不思議な感じがした。

彼女が着ているネイビーのワンピースは肩パッドが入っており、ネックはかなりゆったりめで鎖骨が露出していた。ウエストは絞りが効いていて膝上丈のタイトなスカートで、全体的に身体のラインがよくわかるデザインになっていた。ハイヒールがよく似合う、なんというかセクシーな女性だった。前髪を切らず、肩にかかる以上の長さにしていた。

銀のネックレスがとても印象的だったので、そのネックレス可愛いですね、ティファニーですか?と言ったら彼女は笑顔になって「へぇ、わかるんだ。あなた意外と見る目あるかもね」と言った。そんなふうに私たちは出会ったんだけど、そのうちM子さんはカウンター席に座るようになり、ジン・トニックとかバーボン・ソーダを飲みながらカラオケを歌った。

ピアノを弾く人なので歌も上手で、低めの声がまた魅力的だった。アン・ルイスの歌が得意だったけど、彼女の声域とよく合っていた。その頃女の子はよく松田聖子を歌うことが多かったけど、ささやくようなか細い声の子が多数だった中、M子さんは絶唱タイプの歌い手だったので彼女がマイクを持つと聞き入る客も少なくなかった。まるでジブリアニメの一コマみたいにね。

詳しいことは訊けなかったけどたぶん彼女は30代の独身女性で、実家で両親と暮らしているように話から想像できた。なぜか私を気に入ってくれたようで、私をTちゃんと呼び、カラオケパブが休みの日に電話がかかってきて「今ミナミの**にいるから一緒に飲もうよ」と誘ってくれた。明日は朝から講義があると頭の片隅にあったけど、M子さんの誘いを断るわけにはいかなかった。

私はカラオケパブのスタッフとして自分の魅力で集客する必要があったし、M子さんもカラオケパブやそれ以外の時間で疑似恋愛というか恋人ごっこみたいな感覚で私を必要としていた、と思う。互いの利害が一致して、私たちはつかず離れずの曖昧で微妙な関係を保っていた。可能性を可能性のままにしておく宙吊りの状態だったけど、その微妙な距離感が心地よかった。

そんなふうにして何人かの女の子と同様の関係を保ちつつ、彼女たちが店に来てくれるようにするんだけど、女の子と2人だけでいる時には「君だけを見ている」みたいに振る舞った。それが正しいかどうかなんて考えもしなかった。ただそんなふうに揺れてたゆたいながらその場をすり抜けていればよかった。世の中自体が妙に浮かれて熱を帯び、異様な雰囲気の只中にあった。

夏の終わり、店が引ける間近に電話がかかってきてスタッフが「Tちゃんだって」という。出るとM子さんが「**で飲んでるから来ない?」と。わかった、と言って受話器を置き、店じまいをしてM子さんを迎えに行った。わりと酔っているように見えたけど彼女曰く「まだまだ余裕」と。「もうちょっと飲みたいな」というのでこの時間でやっている店を目指して私たちは歩いた。

寺田町の深夜営業している中華料理店に入り、ビールを飲んだ。この店は当時住んでいたアパートから歩いて行けるので後に店主と会話するまでになったけど、いちばん最初に話したとき店主は「あんたのことは信用できない。来る度に違う女を連れてる」と。いやあれは業務上の理由で、というと「素敵な業務もあったもんだ。あんたなに、ホストさん?」と手厳しい。

中華料理を食べながらビールを飲み、紹興酒まで進んで私たちはしたたかに酔った。だけどM子さんをひとりで帰らせるわけにはいかない。JR天王寺駅や天王寺公園周辺には道端で寝ている人もいて、かなり物騒だから。自分の足元も怪しいくらいだったのでM子さんのくびれた腰を持つようにして歩き、谷町筋を北上してM子さんの家の方向を進むと歩道橋が見えた。

M子さんは「あれで向こうに渡ろうよ」と言った。え、なんで?というと「ウチらけっこうヤバいよ。わかるでしょ」と。こんな深夜に、だれも渡ることのない歩道橋をゆっくり進むと私たち二人きりになった。「ねえ」とM子さんが言って私たちは立ち止まったけど、M子さんがぐらっと傾きそうになったので慌てて抱きとめ、なんだかハグしているような格好になった。

しばらく私たちは抱き合うようなかたちでいたが、M子さんは「私、Tちゃんと寝れるよ?」と言った。いきなりのことにすぐに言葉を返せなかったけど、ちょっと休もうか、と言えば私たちの行き先は決まったはずだ。谷町筋の天王寺界隈には歩いてすぐの所に「ホテル」があるとわかっていたから。だけど私の口から出た言葉はどうしてだか「そんなふうに言わないでよ」だった。

M子さんは私の胸に顔を埋めていたけど顔を上げ「ここでいいよ。ひとりで帰れる」と言った。いや家までちゃんと送るから、というと「大丈夫だから」と言ってひとりで歩き出した。少し危なげだけどしっかりした足取りで。ひとり歩道橋の上に残された私は、それをしたからといってどうなるわけでもないんだけど、タバコを取り出して火を点け、星が見えない空を見上げた。


【付記】
この文章は事実を基に若干の脚色を加えたものです。

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Re: やばい;トニーさん

トニーさん、今回は内容が内容だけに、
非公開にしたほうがいいと思いますがいかがですか。
なので乙山の回答を書いてみたいと思います。

私なら割り切ったセ*レの関係でいたいです。
それぞれの生活がありますし。
ただ、そこへ落とし込むのは難しい年齢かも(自分もね)。
お互い、相手に何をもとめているのか、
じっくり探り合うのもいいではありませんか。

ありがとうございます。

乙山さん。回答いただいた、最後の二行に正しい結論があります。よく分かりました。感謝します。

Re: ありがとうございます。;トニーさん

トニーさん、コメントありがとうございます。
いえいえ、そんなにお力にはなれないと思いますが……
せっかくのご縁ですから大切になさってくださいね。
そういう縁は中々ないと思いますので。
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