『セックスと嘘とビデオテープ』
『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年、アメリカ映画、100分)

原題:Sex, Lies, and Videotape
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:アンディ・マクダウェル、ジェームズ・スペイダー、ピーター・ギャラガー、ローラ・サン・ジャコモほか

原題:Sex, Lies, and Videotape
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:アンディ・マクダウェル、ジェームズ・スペイダー、ピーター・ギャラガー、ローラ・サン・ジャコモほか
『セックスと嘘とビデオテープ』が公開当時かなり話題になっていたのは何となく知っていた。だがいつものようにひねくれた性格が邪魔をして「とりあえずパス」になっていた。もう相当前の作品だが自分は1940~50年代の映画もとくに古いとは思わずに見るので、自分の中ではまったく問題がない。のんきな、というか呆けた男である。
アメリカのどこかの郊外が舞台で、主人公のアン(アンディ・マクダウェル)は弁護士の夫ジョン(ピーター・ギャラガー)と大きな邸宅に暮らしていた。一見平和に見える家庭生活だが、アンは心療内科に通ってカウンセラーにセラピーを受け、夫のジョンとはセックスレスが続いていた。ところが、同じ町にアンの妹、シンシア(ローラ・サン・ジャコモ)が住んでいて、アンの知らぬ間にジョンと通じていた。
ある日、ジョンの大学時代の友人だというグレアム(ジェームズ・スペイダー)が、同じ町で家を探すため、数日ジョンとアンの邸宅に住むことに。弁護士然としたジョンとは違って、どこか変わり者で若い頃の雰囲気を残すグレアムにアンは興味を持つ。知人としてグレアムの新宅の様子を見ようと軽い気持ちでアンはグレアムの部屋を訪ねるが、不特定多数の女性が性的なことについて語るのを撮影したビデオテープがあるのを見て衝撃を受ける。
とまあ、途中まではそんな感じで進んでいくんだけど、題名からするとかなり露出があるんじゃないかと想像したが、思ったほど露出がなくてかえって呆気にとられたほどだった。露出があるのはジョンとシンシアが密会を重ねているときくらいで、アンに至っては全く脱がないといったように、全体に抑制が効いているように思えた。
何か大きな事件が起こって主人公たちがそこに巻き込まれていく、といったタイプの映画ではなく、また主人公が何か目的を達成するために奮闘するというものでもない。なんだか筋らしい筋はないというか、じつに淡々と進んでいくのである。こういう映画は得てして退屈になりがちなんだけど、巧いのは最初のほうに不倫関係を提示したことで、それによって見ている者は緊張が持続するサスペンド状態に置かれることになる。
まあ、たいてい不倫っていつか露見して修羅場になってしまうものでしょう? それが来るのをもう予感していて、観客はいつかな、どうなるかな、と緊張しながら見続けてしまう仕掛けになっている。もちろん本作もその一瞬はやって来るんだけど、不倫の二人が肌を合わせている現場に妻が現れる、などという絵に描いたような修羅場にはならず、あることでふとアンがそれに気づく。このあたりはエレガントですね。
登場人物を絞り込み、撮影現場もかなり限定しているようだから、おそらく低予算の映画だと思うが、仕上がりは上々で、いささかも低予算ゆえのチープさを感じさせられなかった。時系列の交錯がなくストレートに進行するためか、まるでドキュメンタリー映画とか一種のロードムーヴィーを見ているような不思議な感じがした。題名とは裏腹でむしろ上品な作風の映画じゃないだろうか。エンディングもちょっと意外で面白かった。
アメリカのどこかの郊外が舞台で、主人公のアン(アンディ・マクダウェル)は弁護士の夫ジョン(ピーター・ギャラガー)と大きな邸宅に暮らしていた。一見平和に見える家庭生活だが、アンは心療内科に通ってカウンセラーにセラピーを受け、夫のジョンとはセックスレスが続いていた。ところが、同じ町にアンの妹、シンシア(ローラ・サン・ジャコモ)が住んでいて、アンの知らぬ間にジョンと通じていた。
ある日、ジョンの大学時代の友人だというグレアム(ジェームズ・スペイダー)が、同じ町で家を探すため、数日ジョンとアンの邸宅に住むことに。弁護士然としたジョンとは違って、どこか変わり者で若い頃の雰囲気を残すグレアムにアンは興味を持つ。知人としてグレアムの新宅の様子を見ようと軽い気持ちでアンはグレアムの部屋を訪ねるが、不特定多数の女性が性的なことについて語るのを撮影したビデオテープがあるのを見て衝撃を受ける。
とまあ、途中まではそんな感じで進んでいくんだけど、題名からするとかなり露出があるんじゃないかと想像したが、思ったほど露出がなくてかえって呆気にとられたほどだった。露出があるのはジョンとシンシアが密会を重ねているときくらいで、アンに至っては全く脱がないといったように、全体に抑制が効いているように思えた。
何か大きな事件が起こって主人公たちがそこに巻き込まれていく、といったタイプの映画ではなく、また主人公が何か目的を達成するために奮闘するというものでもない。なんだか筋らしい筋はないというか、じつに淡々と進んでいくのである。こういう映画は得てして退屈になりがちなんだけど、巧いのは最初のほうに不倫関係を提示したことで、それによって見ている者は緊張が持続するサスペンド状態に置かれることになる。
まあ、たいてい不倫っていつか露見して修羅場になってしまうものでしょう? それが来るのをもう予感していて、観客はいつかな、どうなるかな、と緊張しながら見続けてしまう仕掛けになっている。もちろん本作もその一瞬はやって来るんだけど、不倫の二人が肌を合わせている現場に妻が現れる、などという絵に描いたような修羅場にはならず、あることでふとアンがそれに気づく。このあたりはエレガントですね。
登場人物を絞り込み、撮影現場もかなり限定しているようだから、おそらく低予算の映画だと思うが、仕上がりは上々で、いささかも低予算ゆえのチープさを感じさせられなかった。時系列の交錯がなくストレートに進行するためか、まるでドキュメンタリー映画とか一種のロードムーヴィーを見ているような不思議な感じがした。題名とは裏腹でむしろ上品な作風の映画じゃないだろうか。エンディングもちょっと意外で面白かった。
【付記】
● 劇中でアンは「自分は性的快感を感じたことはない。とくにセックスが必要なわけではない」とカウンセラーに明言しますし、グレアムは勃起不全であることをアンに明かします。種と遺伝子を残すための性的行為が「本能」とすれば、そうではなく目的が曖昧でどこか「遊び」の要素を含んだ性的行為は「文化」に近いものかもしれません。ですが両者をはっきり峻別することは難しく、多くの場合入り混じって表れてくるのではないでしょうか。性の多様性について考えさせられる映画でした。
● 劇中でアンは「自分は性的快感を感じたことはない。とくにセックスが必要なわけではない」とカウンセラーに明言しますし、グレアムは勃起不全であることをアンに明かします。種と遺伝子を残すための性的行為が「本能」とすれば、そうではなく目的が曖昧でどこか「遊び」の要素を含んだ性的行為は「文化」に近いものかもしれません。ですが両者をはっきり峻別することは難しく、多くの場合入り混じって表れてくるのではないでしょうか。性の多様性について考えさせられる映画でした。
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