最後の弟子

ホテルの仕事はフロント係を募集していたので応募したんだけど、だからと言って他都道府県出身でその土地に精通していない人間がいきなりフロントに立つのは無理である。チェックアウト時に、宿泊客は様々なことをフロント係に尋ねる。「ここから一番近いガソリンスタンドはどこか」とかはまだ大したことはない。

「JRで**まで帰るのだが何時の列車に乗ればいいか」くらいなら時刻表を見れば済むけれど、「経路はどれがベストか」ならばPCで乗り換え案内を起動して調べる必要がある。途中で乗り継ぎが悪くて時間が空いている場合、「**で時間つぶしをしたいが、どういう施設があるか」となることもある。

男鹿と当ホテルが旅の通過点である時は、次の予定は決まっているので問題はないのだが、男鹿と当ホテルが終着点である場合、宿泊客はただ帰るだけではなく、帰りがてらにも何か楽しい経験をしたいのだ。そんな時、気の利いたプラニングをさっと提案できるのと、「さあ」で終わってしまうのとでは雲泥の差がある。

このように、フロント係は当該地域とその周辺の広範囲にわたる詳細な情報もしくは事情を把握している必要があり、「関西から来た男」は「3ヶ月間は何でもしてもらいますよ」と面接の時に言い渡された。そして実際、ゴミの回収とゴミ出し、布団上げと布団敷き、風呂掃除、ハタキ(膳を下げた後の残飯の片付け)と何でもすることになった。

今だからこうして語ることができるが、8月に生ゴミと可燃ゴミの混合物を入れたビニール袋を野外に放置すればどうなるか、想像していただきたい。現実にはカラスもいるので放置するのではなく、周囲を囲った「ゴミ小屋」に捨てていくわけなんだけど、冷房装置などあるはずもなく、3日も経てばもう、ヤバいくらい臭ってくるんですね。

読んでいる方が食事をしながらではないことを祈るばかりだが、半径20mの範囲に臭いは拡散していると思う。で、扉を開けるともう……書けないですね。ある昆虫とその幼虫が数え切れないほどそこにいるわけ。当初は軽いめまいと吐き気がしたものだが、そのうち慣れてくる。このゴミ出しを、1日に3〜4回もやるんだから、もう……

布団上げと布団敷きを夏季にやると、ものすごい汗が出る。本当にものすごいと書いてもいささかも誇張表現ではなく、ハンパなく汗が出るのだ。ポロシャツの色によっては「びしょ濡れ」になるほど。3ヶ月間で体重が5kg以上落ちたので、「ちゃんとマンマ(ご飯)食べてっか?」といったい何人に言われたことだろう。

布団上げと布団敷きをきちんと出来、人に教えられるようになるには時間がかかる。特に、布団をビシッとキレイに敷くには技術の習得が必要である。私はヒヤマさんという人とコンビを組んで布団敷きと布団上げをよくやった。余裕のある時、布団敷きは二人で行う。頭の部分を上級者が、足の部分を初心者が受け持って行うのだ。

足の担当は頭の担当の動きをよく見て、動きを合わせるようにシーツを引っ張る。初心者は力を入れて引っ張るのだが、コツをつかんでいる人は軽くススッと引っ張るだけでキレイに仕上がる。たったそれだけのことだけど、ヒヤマさんは渋い顔をして何度もシーツを直していた。何も言われなくなったのは3ヶ月目に入った頃だったと思う。

とうとうある日、ヒヤマさんいわく「明日オレいねえからヨ、おめえ一人で敷くべ」となってしまったのである。「ここさ、こうやってヨ、な?」とヒヤマさんがまずやって見せ、できるだけその通りに真似をしてみると、「んだ、んだ」と嬉しそうな顔をした。昔の職人気質の人で、曲がった事ができない人だった。

人が見ていなくても、宿泊客が少なくても常にハイペースで仕事をするので、ヒヤマさんと組んでやる時は、いつも走って後からついていく形になる。私はよく叱られたほうだけど、いつしか「Tちゃん(私)が来てくれてヨ、助かってっぞ、ホントだべ」などと布団敷きをしながらホテルの昔話をしてくれるようにもなった。

3ヶ月も終わりが近づいた頃、「オレと組んでヨ、文句言わねえで済むのはTちゃんだけだべ」とヒヤマさんが言った。そして自分は年金をもらえる歳になったから、この冬で辞める、だけどTちゃんがいるから心配ない、という内容を口にした。いやそうじゃなくて、俺ね、この仕事すんの3ヶ月だけだから、とはどうしても口にできなかった。

3ヶ月が終わった11月から、私と数名のホテルスタッフは、秋田市内の某食品工場へ出張研修として勤務することになった。週末の夜だけホテルで布団敷きをするのだが、ヒヤマさんは「おっ、Tちゃん、来たか! よし、やるべ!」となんだかとても嬉しそうに見えた。11月いっぱいでヒヤマさんは来なくなったが、辞めたのではなく「休み」に入ったと聞いた。

そして4月。ホテルにヒヤマさんの姿はなかった。そして私も服装自由の裏方から、制服組の配属になった。もうヒヤマさんはいないのか、と寂しい気持ちになったけど、ちょっと待てよ、ってことは、布団をまともに敷ける人間、いないじゃん? Sさんという達人がいるけれど、Sさんが休みの日だけ制服を脱ぎ、私はヒヤマさんの最後の弟子として、布団敷きをしている。


【付記】
⚫︎ 宿泊客が少ない場合、一人だけで布団敷きをすることがありますが、20件以上になると厳しいですね。1件を6分間で終えたとしても2時間かかるわけですから。一部屋の宿泊人数にもよりますが、一人で3人部屋を5分以内に敷けたら、もうマスター・クラスでしょう。

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只野乙山

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