和田誠 『ねこのシジミ』 ほるぷ出版
和田誠 『ねこのシジミ』 ほるぷ出版 (1996)

私(乙山)の狭い知識の中で和田誠といえば、村上春樹との共著『ポートレイト・イン・ジャズ』の中にある、ジャズメンを描いた絵くらいしかはっきりと思い出せない。だけどこの絵本の奥付を見るとグラフィックデザイナー、イラストレーター、映画監督とある。『和田誠・装丁の本』(リブロポート)などもあるようだから、知らず知らずのうちにお世話になっていたんだろうと思う。
さて、この絵本『猫のシジミ』は、公園に捨てられていた四匹の子猫のうちの一匹が、ショウコちゃんに拾われて、育っていく様子を描いている。絵本によくあるような、猫のシジミが冒険をして……などという展開にはならず、淡々とシジミの日常が描かれる。
ぼくのようじは「ごはん」「みず」「トイレ」のみっつ。
というわけで、何を食べるとか、水はどんなふうにして飲むとか、トイレはどうやってするとか、まあそんなことが描かれているわけです。
絵はペンと色鉛筆(たぶん)で描かれているんだけど、色使いが繊細だ。淡い緑がベースになっていて、その上に描かれているザリガニやニンジンなんかも色を抑えてある。それがなんともいえない味わいを出していて、ページをめくるスピードが遅くなる。なんか、ずっと見ていたい感じがする。
この、ずっと見ていたい感じがする絵で思い出すのは、ブライアン・イーノの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』の裏ジャケットに描かれている小さな四つの絵である。ピーター・シュミットという人が描いたらしいけど、どういう人か私は知らない。だけど、水彩画で描かれた小さな四つの絵は、なんともいえない魅力がある。カラーコピーして、額縁に入れて飾ろうかな、と思うくらいだ。
そうそう、猫のシジミの話は「ごはん」「みず」「トイレ」だけではなくて、ちょっとした事件もあるんですよ。
さて、この絵本『猫のシジミ』は、公園に捨てられていた四匹の子猫のうちの一匹が、ショウコちゃんに拾われて、育っていく様子を描いている。絵本によくあるような、猫のシジミが冒険をして……などという展開にはならず、淡々とシジミの日常が描かれる。
ぼくのようじは「ごはん」「みず」「トイレ」のみっつ。
というわけで、何を食べるとか、水はどんなふうにして飲むとか、トイレはどうやってするとか、まあそんなことが描かれているわけです。
絵はペンと色鉛筆(たぶん)で描かれているんだけど、色使いが繊細だ。淡い緑がベースになっていて、その上に描かれているザリガニやニンジンなんかも色を抑えてある。それがなんともいえない味わいを出していて、ページをめくるスピードが遅くなる。なんか、ずっと見ていたい感じがする。
この、ずっと見ていたい感じがする絵で思い出すのは、ブライアン・イーノの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』の裏ジャケットに描かれている小さな四つの絵である。ピーター・シュミットという人が描いたらしいけど、どういう人か私は知らない。だけど、水彩画で描かれた小さな四つの絵は、なんともいえない魅力がある。カラーコピーして、額縁に入れて飾ろうかな、と思うくらいだ。
そうそう、猫のシジミの話は「ごはん」「みず」「トイレ」だけではなくて、ちょっとした事件もあるんですよ。
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児島なおみ 『うたうしじみ』 リブロポート
児島なおみ 『うたうしじみ』 リブロポート


子どものころ読んだ絵本で覚えているのはもうあんまりないんだけど、確実に覚えているものがある。
詳しい内容は曖昧なのだが、たぶんそれは、次のようなものだったと思う。
貧しい家の子が、魔法使いのおばあさんか何かに、不思議な鍋をもらい、それに「お鍋や、ぐつぐつ」と呪文を唱えると、鍋の中におかゆができ、おなかいっぱい食べて幸せな気分になる。
ところが、その子は鍋におかゆ作りをやめさせる呪文「お鍋や、おしまい」を聞き忘れ(聞いたけど、忘れた?)ていたのだ。おかゆは鍋から溢れて家の中がおかゆだらけになり、さらに家の中からおかゆが出て、町中がおかゆだらけになる、みたいな内容だったと思う。
さて、この絵本は魔法使いのおばあさんがしじみを買ってきて食べようと、ボウルに水を張ってしじみを入れておいたのはいいけれど、しじみの安心しきった様子を見て、食べてしまうのが忍びなくなってしまう。
飼い猫のトラジ(なぜか関西弁)は、そんな魔女のおばあさんを見てため息をつきながらも、ふつふつ煮立っただしの中に、しじみを入れることができない。「実なしのみそ汁」でご飯を済ませた後で、猫のトラジがぼそっとつぶやく。
「わしらは、アホや」
しじみたちの「海に帰りたい」という声を聞いた魔女のおばあさんは、なんとかしじみたちを海に戻そうと思うけれど、海に行くまでのお金が足りない。おばあさんとトラジ、そしてしじみたちは、いったいどうなってしまうのか?
そういえばもう何年も、しじみのみそ汁なんて口にしてないなあ。
詳しい内容は曖昧なのだが、たぶんそれは、次のようなものだったと思う。
貧しい家の子が、魔法使いのおばあさんか何かに、不思議な鍋をもらい、それに「お鍋や、ぐつぐつ」と呪文を唱えると、鍋の中におかゆができ、おなかいっぱい食べて幸せな気分になる。
ところが、その子は鍋におかゆ作りをやめさせる呪文「お鍋や、おしまい」を聞き忘れ(聞いたけど、忘れた?)ていたのだ。おかゆは鍋から溢れて家の中がおかゆだらけになり、さらに家の中からおかゆが出て、町中がおかゆだらけになる、みたいな内容だったと思う。
さて、この絵本は魔法使いのおばあさんがしじみを買ってきて食べようと、ボウルに水を張ってしじみを入れておいたのはいいけれど、しじみの安心しきった様子を見て、食べてしまうのが忍びなくなってしまう。
飼い猫のトラジ(なぜか関西弁)は、そんな魔女のおばあさんを見てため息をつきながらも、ふつふつ煮立っただしの中に、しじみを入れることができない。「実なしのみそ汁」でご飯を済ませた後で、猫のトラジがぼそっとつぶやく。
「わしらは、アホや」
しじみたちの「海に帰りたい」という声を聞いた魔女のおばあさんは、なんとかしじみたちを海に戻そうと思うけれど、海に行くまでのお金が足りない。おばあさんとトラジ、そしてしじみたちは、いったいどうなってしまうのか?
そういえばもう何年も、しじみのみそ汁なんて口にしてないなあ。