村上春樹 「納屋を焼く」

村上春樹 「納屋を焼く」(初出は『新潮』1983年1月号)

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『村上春樹初期短編集』から今回は「納屋を焼く」を読んだ。初出は1983年『新潮』1月号とある。『羊をめぐる冒険』(1982)を出した後、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を執筆している頃、並行するように書かれたものかと想像する。もともとリアリティより架空性の高い作品を書く作者だが、これもその傾向が強い。

31歳で結婚している「僕」は小説を書いている、とあるから、この「僕」はいわゆる「鼠三部作」の「僕」(相棒と翻訳会社を立ち上げている)とは違うのだが、読んでいるとつい「鼠三部作」の「僕」であるかのように感じてしまう。このあたりは読者の快楽ではないかと思う。まるで「鼠三部作」のスピンアウト小説のように読むというわけだ。

小説を書いて暮らしている31歳の「僕」は、知人の結婚パーティで一回りほど年の違う「彼女」と出会い、仲良くなる。といっても「僕」は結婚しており、「彼女」と男女の関係になるわけではなく、飲み食いしながらとりとめのないことを話すのがお互いに楽しい、という不思議な関係である。「彼女」はパントマイムの練習で「蜜柑むき」をして「僕」を感心させるが、どうやって暮らしているのか謎である。

その不思議な「彼女」が北アフリカに旅行することになり、帰って来た時には旅行先で知り合ったという彼と一緒だった。彼は貿易関係の仕事をしているとかで、銀色のドイツ製スポーツカーに乗っている。ある日、電話がかかってきて彼らが「僕」の家に遊びに来るという。食べ物とワインを持って彼らは「僕」の家にやってきて、三人で飲み食いするのだが、「彼女」は眠たくなった、と別室で寝てしまう。

謎めいた彼と「僕」だけでさらに飲むのだが、彼はインドで手に入れたという草(グラス)をやりませんか、と勧める。この種の草を巻いて火をつけ、煙を吸うことは日本国内においては違法行為であるが、とにかく話の中では彼らはそうする。二人でぶっとんだ状態になったとき、彼が「時々納屋を焼くんです」といきなり切り出す。少し引いておきましょう。

「つまり君が納屋を焼くのは、モラリティーにかなった行為であるということかな?」
「正確にはそうじゃありませんね。それはモラリティーを維持するための行為なんです。でもモラリティーのことは忘れたほうがいいと思います。それはここでは本質的なことじゃありません。僕が言いたいのは、世界にはそういう納屋がいっぱいあるということです。僕には僕の納屋があり、あなたにはあなたの納屋がある。本当です。僕は世界のほとんどあらゆる場所に行きました。あらゆる経験をしました。何度も死にかけました。自慢しているわけじゃありません。でももうやめましょう。僕はふだん無口なぶん、グラスをやるとしゃべりすぎるんです」(村上春樹『象の消滅』所収「納屋を焼く」より)

そして「僕」が、次に焼く納屋はもう決まっているのか、と訊くと、彼は、それはすでに決まっていて、今日はその下見に来た、このすぐ近くの納屋だ、という。その後「僕」は近所を歩き回り、納屋を見つけておき、朝のランニングのコースにいくつかの納屋を通るようにして、毎朝ランニングしながら納屋がどうなったかチェックする。

とまあ、そんな具合に話は進んでいくのだが、本当に彼は納屋を焼いたのかどうか、それは最後までわからない。そもそも、納屋を焼く話もぶっ飛んだ状態で口から出まかせにした法螺話かもしれない。架空だとわかっているんだけど、つい読んでしまうというか読まされてしまうというべきか。そういう不思議な魅力がある話だ。


【付記】
● 本編には全く関係ありませんが、作中でオートチェンジのガラード(レコード・プレーヤー)について話す場面がほんの少しだけ出てくるんですが、そういうのはオーディオ好きにとってちょっと嬉しいものなんです。ちなみに、何かの雑誌で読んだのですが、御自身はトーレンスとデンオン(デノン)のプレーヤーをお使いだそうです。


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夏目漱石 「吾輩は猫である」

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夏目漱石を断続的に読んでいるが「吾輩は猫である」でかなりの時間を食ってしまった。前回「坊っちゃん」の記事を書いた日付を見ると、2013年の2月24日となっている。かなりの長編とはいえ、集中して読めば3~4日で読めてしまうはずであるが、どういうわけかこんなにかかってしまったわけである。というわけで「猫」を読了した。

「猫」は高浜虚子の勧めによって漱石が執筆、『ホトトギス』に掲載されたもので、当初は読み切りのつもりで書いたところたいへん好評で、続編を書き連ねているうちに現在残っているような長編になったのだという。構想を練ってから書いたものではなく、かなり自由に行けるところまで行ったら好かろう、という感じに見える。

当時漱石は高校と大学の英語教師をしており、そちらのほうが本業であって、門外漢としての自覚のもとに気楽な立場から書いたと思われる。なのでかなり軽口、なにか落語か漫才、講談のような調子のよさがある。人によっては「ふざけている」と受け取る場合もあったかもしれぬ雰囲気の一方、並みならぬ博識ぶりに驚かされる。

以前はこれをペダンティックだと感じたのだが、今日改めて読み返してみるとそれほど衒学ぶっているとは感じなかった。ということは自分も少しは進歩したということなのかもしれない。もっとも、やはりていねいに入っている注釈なしでは何のことかわからぬ部分も多いことは事実。自分の進歩といってもそんなに大したものではないことを改めて思い知らされた。

巻末の解説によると、「猫」の執筆当時、漱石は38歳、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝大英文科講師となるも「文学論」の講義が難しいと不評で、さらに学生たちがハーンを慕うあまりに、漱石に人気が出なかったことなど、苦しいことも多かったとある。さらに鏡子夫人の実家では父が相場に失敗し悲惨な状態だったとあり、洋行して「出世」した漱石の元に親類縁者が金をせびりに来ることもあったという。

それを大学教師といっても実際はこんなひどいものなのだ、と暗澹たる重たい方向に進まず、自分を戯画化して笑い飛ばしてしまおう、という方向に行ったところに漱石の漱石たる所以があると言えるだろう。戯画化が過ぎて小人物として描かれている苦沙弥先生だが、終わりのほうでいわゆる「近代的自我の肥大」について自説をぶちかましている。

登場人物たちが一堂に会するというエンディングはよくあるもので、よく知られた(?)ところではニーチェの『ツァラトゥストラ』がそうであろうし、フェリーニ監督のイタリア映画でもお馴染みのパターンですね。そうして、人物たちが一人去り、二人去り、と終わりに向かう部分になるとさびしい。少し引いておきましょう。

 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。(夏目漱石『夏目漱石全集 1』「吾輩は猫である」ちくま文庫より)

この一言に尽きますね。これは今回読んだ「猫」の中で一番印象に残ったものである。風刺文学というか「笑いの書」として知られる「猫」であるけれど、根底に流れる通低音はじつはこれなのではないか、なんてことをぼんやり考えた。かなり長い作品なので、細かい部分にかかわるときりがない。で、この一言を選んでみた。


【付記】
● いやあ、「猫」、やっと読み終わりましたよ。ここから「三四郎」まで第2、3、4巻を残すのみとなりました。だけどなんでこの全集には「夢十夜」と「文学論」が収録されていないんでしょうね。


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村上春樹 「四月のある晴れた朝に…」

村上春樹 「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

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村上春樹初期短編集『象の消滅』(2005年、新潮社)から今回は「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」を読んだ。初出は1981年7月とあるから、前回取り上げた「カンガルー通信」より先に執筆されたのかもしれぬ、作者デビュー後最初期の作品である。32歳の「僕」は題名にある通り、四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会った。

100パーセント、というのはおそらく好みが云々などを通り越して「自分にとってはこの人しかいない」と思えるような相手、ということなんだろうか。まさに運命の人、とでもいうべき存在なんだろうけど、現実にはそのような出会いに恵まれる機会はそうそうあるものではないのではないか。作者がいうように75パーセントの相手といることもあるのではないか。だがとにかく、話の中で「僕」は100パーセントの女の子と出会ったのである。

だが、彼女が自分にとって100パーセントの女の子であると直感的にわかったにもかかわらず、「僕」は彼女に声をかけることができずに通り過ぎてしまう。なんとかして彼女が自分にとって100パーセントの女の子であることをわかってもらいたいのだが、二人は向かい合って歩いていて、その距離はどんどん縮んでいく。「僕」はあれやこれやの言葉を考えるのだが、どうも現実離れしていて切り出せない。少し引いておきましょう。

 花屋の店先で、僕は彼女とすれ違う。暖かい小さな空気の塊が僕の肌に触れる。アスファルトの舗道には水が撒かれていて、あたりはバラの花の匂いがする。僕は彼女に声をかけることもできない。彼女は白いセーターを着て、まだ切手の貼られていない白い角封筒を右手に持っている。彼女は誰かに手紙を書いたのだ。彼女はひどく眠そうな顔をしていたから、あるいは一晩かけてそれを書き上げたのかもしれない。そしてその角封筒の中には彼女についての秘密の全てが収まっているのかもしれない。
 何歩か歩いてから振り返った時、彼女の姿はもう既に人混みの中に消えていた。(村上春樹『象の消滅』所収「四月のある晴れた朝に…」より)

そのときは「100パーセントの彼女」に声をかけられなかった「僕」だが、いまはあの時どんなふうに話しかけるべきだったのか、わかっているという。それは18歳の少年と16歳の少女が出会った話である。彼らは一目見た瞬間、お互いに100パーセントの相手だと直感的にわかった。そしてもし、何年かしてもう一度会ったとき、やはりお互いが100パーセントの相手だったらすぐに結婚しよう、と同意して二人は別れる。

だがある年の冬、二人は大流行したインフルエンザにかかってしまい、高熱が続いたためか、過去の記憶をすっかり失くしてしまう。しかし彼らは不運にめげず努力を重ね、立派に社会復帰できた。少年は32歳、少女は30歳になっていた。そして彼らは四月のある晴れた朝に、原宿の裏通りを歩いている。「彼」はモーニング・サービスのコーヒーを飲むため、そして「彼女」は速達用の切手を買うために。

非常に短い架空話なのだが、現在につながっているかもしれぬ過去の話が挟み込まれていて、全然見当違いだと思うが私(乙山)は星新一あるいはO・ヘンリーのことを思い出した。本作には相変わらず(?)リアリティはないのだが、それでも許してしまえる雰囲気がある。もちろんSFではないのだが、星新一やO・ヘンリーのそれにきわめて近いものを私は感じた。それが一個人のあてにならぬ(というか的外れな)感想に過ぎぬことは言うまでもない。


【付記】
● 100パーセントの相手、というのは面白い表現の仕方だな、と思いました。好みとか趣味というものと、それが本当に自分に合っているかどうかは別物なのです。自分の中にどうも「あるタイプ」に惹かれる部分があるようなのですが、そういうタイプの人と仲良くなれた試しはありません。これは不思議でなりません。どうして自分はここにいて、あそこにいないのか? それが結局、自分ということなんでしょうけどね。


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村上春樹 「カンガルー通信」

村上春樹 「カンガルー通信」(初出は『新潮』1981年10月号)

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村上春樹初期短編集『象の消滅』(2005年、新潮社)から今回は「カンガルー通信」を読んだ。初出は『新潮』1981年10月号とあるから、これは作者がデビューしてから書いたものの最初期にあたるのではないかと思う。たしか「風の歌を聞け」は1979年頃だったのではないか。計算してみるともう30年以上前のことになる。えっ、という感じだ。

デパートの商品管理課に勤める26歳の「僕」の仕事内容は、クレーム処理係である。電話や手紙などで寄せられるありとあらゆる苦情に対応する毎日だが、ある一通の手紙に書かれた「苦情」に深く心を惹かれた「僕」が、苦情を申し立てる本人(若い女性)に対して、通常の方法ではなく、カセット・テープに話を録音したものを彼女に贈る、という方法をとる。

もちろんこれは架空話で、現実にはそんなふうに対応することはまずあり得ないだろうけど、架空話だからいいのだ。彼女の「苦情」とは、「ブラームスのシンフォニーとマーラーのシンフォニーのレコードを間違えて買ってしまった」というもの。一週以上経ってしまった商品、しかも開封した商品を、レシートもなしで返品などできるわけはないのだが、なぜか「僕」はそんな彼女の苦情に対応する。

カセット・テープに録音するには録音機が必要なのだろうけど、当時のラジオカセット・テープレコーダーにはマイクロフォンが内蔵してあって、録音ボタンを押すと音声が録音できる仕組みになっていたのではないかと思う。本作では「VUメーターを見ながら」録音している、とあるので、いわゆるラジカセではなく、テープ・デッキにマイクをつないだものかもしれない。少し引いておきましょう。

だから僕は今、ずっとVUメーターの針に向って話しかけています。VUメーターって知ってますよね。音量にあわせてピクピクと針が振れるあれです。VとUというのが何の頭文字なのか、僕にはわからない。しかしなんといっても、彼らは僕の演説に対して反応を示してくれる唯一の存在なのです。(村上春樹『象の消滅』所収「カンガルー通信」より)

これは時代を感じさせてくれますね。こういう部分、知らない人にとっては何のことだかさっぱり意味不明かもしれないが、1970~1980年代前半、CDが登場してデジタル・オーディオに移行するまで、カセット・テープとラジオというのが非常に重要な音楽媒体だった。オーディオが好きな男の子は、テープ・デッキに何を選ぶか、ということに異様に熱心だった、と思う。

アイワ、アカイ、ティアック、ナカミチというテープ・デッキ四天王があって、アイワは格好いいがデザイン先行型だ、アカイはマニアックすぎるしデザインがあか抜けていないとか、ティアックはあの金庫のダイヤルみたいなノブが嫌だ、ナカミチは音はいいだろうが黒一色のデザインが……などと小僧たちは熱い議論を戦わせたものである。

しかもドルビー研究所やdbx社のノイズ・リダクション・システムがどうのこうの、テープもノーマルとフェリ・クローム、メタルテープと色々あって、バイアスを適切にかけないといかんとか、もう百花繚乱、いちばん楽しい頃だった。録音レベルのメーターも、村上春樹がいうVUメーターの他に「ピークレベル・メーター」というものもあって、どちらが云々、面白いと言ったらなかったのである。

話が逸れてしまったが、カセット・テープはあまねく広まっていたと思われるもので、だからこそこの話が成り立つのだろう。今の時代では音楽媒体が一本化していないので、こういうメッセージの伝え方はできないのではないかと思う。「カンガルー通信」は「僕」の一方的なメッセージで、それが苦情を呈した当の女性に伝わったかどうか、それすらわからないのだけど、作者の初期の絶妙な軽口を味わうことができると思う。


【付記】
● なぜカンガルーなのか、どういうわけで苦情に対する対応がカンガルーと結びつくのか、それは本作を紐解いていただくほかありません。いささか突飛な直喩が「村上節」たる所以なのですが、ある意味で本作は村上節全開になっているのではないかと感じました。


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村上春樹 「パン屋再襲撃」

村上春樹 「パン屋再襲撃」 (初出は「マリ・クレール」1985年8月号)

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村上春樹の初期短編集『象の消滅』(2005年、新潮社)から今回は「パン屋再襲撃」を読んだ。法律事務所に勤める「僕」はデザイン・スクールの事務をしている妻がいて、二人は夕方6時ごろに軽い夕食をとり、9時半ごろにはベッドに入って眠ったはずなのだが、どういうわけか深夜2時ごろに目を覚ましてしまう。二人は恐ろしいほどの空腹を感じるのだが、冷蔵庫には食べ物がほとんど残っていなかった。

いわゆる「鼠三部作」に登場する「僕」はたしか相棒と翻訳の会社をしていたはずだから、それらとは全く関係ない「僕」のはずなんだけど、なんだか同じ「僕」のように感じてしまうのは私(乙山)だけではないような気がする。その「僕」と妻は極度の空腹を感じながらビールを飲んでいるのだが、かつてこんなに腹が減ったことがあったのを思い出す。そうだ、あれはパン屋を襲撃したときだった、と。

そして「僕」は妻に、むかしパン屋を襲撃したことがあってね、と話を切り出す。こんなふうに恐ろしいまでの空腹を感じた「僕」と相棒(「鼠」を想起してしまいますね)は、空腹を満たすだけの食べ物を得ようと、小さなパン屋を「襲撃」することにした。深夜、ナイフだの包丁だのを手に、町の小さなパン屋に押し入るのだが、パン屋の主人はワーグナーのオペラ(『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』の序曲)を聴いてくれたら、ただでパンをくれてやる、と提案し、「僕」と相棒はそれを受け入れることにした。

だから「襲撃」は成功したのか失敗したのかよくわからない結果となった。もちろん、パンは手に入れたのだから目的は果たしたことになるのだが、きちんと(?)「襲撃」した結果パンを手に入れたわけではない。彼らはたんに「交渉」に乗っただけなのだ。この奇妙な「パン屋襲撃」の話を聞いた妻は、呪いがかかっているのよ、と言いだし、もう一度、きっちりパン屋を襲撃しないとこの呪いは解けない、という。

「もし君が言うようにそれが呪いだとしたら」と僕は言った。「僕はいったいどうすればいいんだろう?」
「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」と彼女は断言した。「それ以外にこの呪いをとく方法はないわ」
「今すぐに?」と僕は聞きかえした。
「ええ、今すぐよ。この空腹感が続いているあいだにね。果されなかったことを今果すのよ」
「でもこんな真夜中にパン屋が店を開けているものなのかな?」
「探しましょう」と妻は言った。「東京は広い街だもの、きっとどこかに一晩中営業しているパン屋の一軒くらいあるはずよ」(『象の消滅』所収「パン屋再襲撃」より)

それから「僕」と妻は中古のトヨタ・カローラに乗って、午前2時半の東京の街を、パン屋を求めてさまようのだが、驚くべきことに、後部座席には「レミントンのオートマティック式の散弾銃」があって、コンパートメントには「黒いスキー・マスクが二つ」入っていた、とある。もちろん「僕」もどうして妻が散弾銃を所有したりしていたのか、見当もつかなかった、と言っているけれど、日本ではあまりに荒唐無稽に感じてしまう。

アメリカといっても州によって法律も違うだろうから一概には言えないけれど、おそらくアメリカだったら、この部分はさほど違和感なく受け入れられたのではないかと思う。隣の家まで車で何分もかかるような地域に住んでいたら、もし誰かが家に押し入ってきたりしたらどうなるだろう、と想像してしまう。映画などでも、壁にごく普通にライフルや散弾銃が掛けられていて、それをさっと手にする場面を幾度も見たではないか。

ハルキ・ヒーローはだいたい「引き込まれ型」が多いのだが、本作もパン屋の再襲撃は妻が言い出したことで、妻主導で再襲撃が進んでいく。だが、東京で深夜に営業しているパン屋を探し出すことのできない二人が、最終的に選んだターゲットとは? ええっ、それはないでしょう、と思わず笑ってしまうのだが、架空話ではそれもまた「あり」なのである。この話にリアリティを求めてはなりません。


【付記】
● ハルキ・ヒーローはおおむね「引き込まれ型」の典型的なアンチ・ヒーローなのですが、それに対してハルキ・ヒロインは格好いい女性が登場しますね。本作の「妻」もそうですし、彼女たちが後の『1Q84』のハードボイルド・ヒロイン「青豆」に結実するわけですね。


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