Footway bridge
彼女が初めて店に来たのはいつのことだったか定かでないが、1988年だったことは覚えている。当初彼女はカウンター席ではなくテーブル席に座り、連れ合い達と談笑しながら酒を飲み、カラオケを歌っていた。カウンター席は主に常連客が座ることが多く、一見客や馴染みのない客はテーブル席に座った。彼女はM子さんといって、ピアノの個人レッスンをしているひとだった。
彼女たちが注文した飲み物や食べ物を持って行き、少し言葉を交わしているうちに私たちは少しずつ近づいていった。自分が大学生であり、このカラオケパブでアルバイトしていることを話すと、M子さんは名刺を渡してくれた。真ん中に小さなピアノのイラストがあり、彼女の名前もわかった。自分の名前のMと同じ漢字なのも不思議な感じがした。
彼女が着ているネイビーのワンピースは肩パッドが入っており、ネックはかなりゆったりめで鎖骨が露出していた。ウエストは絞りが効いていて膝上丈のタイトなスカートで、全体的に身体のラインがよくわかるデザインになっていた。ハイヒールがよく似合う、なんというかセクシーな女性だった。前髪を切らず、肩にかかる以上の長さにしていた。
銀のネックレスがとても印象的だったので、そのネックレス可愛いですね、ティファニーですか?と言ったら彼女は笑顔になって「へぇ、わかるんだ。あなた意外と見る目あるかもね」と言った。そんなふうに私たちは出会ったんだけど、そのうちM子さんはカウンター席に座るようになり、ジン・トニックとかバーボン・ソーダを飲みながらカラオケを歌った。
ピアノを弾く人なので歌も上手で、低めの声がまた魅力的だった。アン・ルイスの歌が得意だったけど、彼女の声域とよく合っていた。その頃女の子はよく松田聖子を歌うことが多かったけど、ささやくようなか細い声の子が多数だった中、M子さんは絶唱タイプの歌い手だったので彼女がマイクを持つと聞き入る客も少なくなかった。まるでジブリアニメの一コマみたいにね。
詳しいことは訊けなかったけどたぶん彼女は30代の独身女性で、実家で両親と暮らしているように話から想像できた。なぜか私を気に入ってくれたようで、私をTちゃんと呼び、カラオケパブが休みの日に電話がかかってきて「今ミナミの**にいるから一緒に飲もうよ」と誘ってくれた。明日は朝から講義があると頭の片隅にあったけど、M子さんの誘いを断るわけにはいかなかった。
私はカラオケパブのスタッフとして自分の魅力で集客する必要があったし、M子さんもカラオケパブやそれ以外の時間で疑似恋愛というか恋人ごっこみたいな感覚で私を必要としていた、と思う。互いの利害が一致して、私たちはつかず離れずの曖昧で微妙な関係を保っていた。可能性を可能性のままにしておく宙吊りの状態だったけど、その微妙な距離感が心地よかった。
そんなふうにして何人かの女の子と同様の関係を保ちつつ、彼女たちが店に来てくれるようにするんだけど、女の子と2人だけでいる時には「君だけを見ている」みたいに振る舞った。それが正しいかどうかなんて考えもしなかった。ただそんなふうに揺れてたゆたいながらその場をすり抜けていればよかった。世の中自体が妙に浮かれて熱を帯び、異様な雰囲気の只中にあった。
夏の終わり、店が引ける間近に電話がかかってきてスタッフが「Tちゃんだって」という。出るとM子さんが「**で飲んでるから来ない?」と。わかった、と言って受話器を置き、店じまいをしてM子さんを迎えに行った。わりと酔っているように見えたけど彼女曰く「まだまだ余裕」と。「もうちょっと飲みたいな」というのでこの時間でやっている店を目指して私たちは歩いた。
寺田町の深夜営業している中華料理店に入り、ビールを飲んだ。この店は当時住んでいたアパートから歩いて行けるので後に店主と会話するまでになったけど、いちばん最初に話したとき店主は「あんたのことは信用できない。来る度に違う女を連れてる」と。いやあれは業務上の理由で、というと「素敵な業務もあったもんだ。あんたなに、ホストさん?」と手厳しい。
中華料理を食べながらビールを飲み、紹興酒まで進んで私たちはしたたかに酔った。だけどM子さんをひとりで帰らせるわけにはいかない。JR天王寺駅や天王寺公園周辺には道端で寝ている人もいて、かなり物騒だから。自分の足元も怪しいくらいだったのでM子さんのくびれた腰を持つようにして歩き、谷町筋を北上してM子さんの家の方向を進むと歩道橋が見えた。
M子さんは「あれで向こうに渡ろうよ」と言った。え、なんで?というと「ウチらけっこうヤバいよ。わかるでしょ」と。こんな深夜に、だれも渡ることのない歩道橋をゆっくり進むと私たち二人きりになった。「ねえ」とM子さんが言って私たちは立ち止まったけど、M子さんがぐらっと傾きそうになったので慌てて抱きとめ、なんだかハグしているような格好になった。
しばらく私たちは抱き合うようなかたちでいたが、M子さんは「私、Tちゃんと寝れるよ?」と言った。いきなりのことにすぐに言葉を返せなかったけど、ちょっと休もうか、と言えば私たちの行き先は決まったはずだ。谷町筋の天王寺界隈には歩いてすぐの所に「ホテル」があるとわかっていたから。だけど私の口から出た言葉はどうしてだか「そんなふうに言わないでよ」だった。
M子さんは私の胸に顔を埋めていたけど顔を上げ「ここでいいよ。ひとりで帰れる」と言った。いや家までちゃんと送るから、というと「大丈夫だから」と言ってひとりで歩き出した。少し危なげだけどしっかりした足取りで。ひとり歩道橋の上に残された私は、それをしたからといってどうなるわけでもないんだけど、タバコを取り出して火を点け、星が見えない空を見上げた。
彼女たちが注文した飲み物や食べ物を持って行き、少し言葉を交わしているうちに私たちは少しずつ近づいていった。自分が大学生であり、このカラオケパブでアルバイトしていることを話すと、M子さんは名刺を渡してくれた。真ん中に小さなピアノのイラストがあり、彼女の名前もわかった。自分の名前のMと同じ漢字なのも不思議な感じがした。
彼女が着ているネイビーのワンピースは肩パッドが入っており、ネックはかなりゆったりめで鎖骨が露出していた。ウエストは絞りが効いていて膝上丈のタイトなスカートで、全体的に身体のラインがよくわかるデザインになっていた。ハイヒールがよく似合う、なんというかセクシーな女性だった。前髪を切らず、肩にかかる以上の長さにしていた。
銀のネックレスがとても印象的だったので、そのネックレス可愛いですね、ティファニーですか?と言ったら彼女は笑顔になって「へぇ、わかるんだ。あなた意外と見る目あるかもね」と言った。そんなふうに私たちは出会ったんだけど、そのうちM子さんはカウンター席に座るようになり、ジン・トニックとかバーボン・ソーダを飲みながらカラオケを歌った。
ピアノを弾く人なので歌も上手で、低めの声がまた魅力的だった。アン・ルイスの歌が得意だったけど、彼女の声域とよく合っていた。その頃女の子はよく松田聖子を歌うことが多かったけど、ささやくようなか細い声の子が多数だった中、M子さんは絶唱タイプの歌い手だったので彼女がマイクを持つと聞き入る客も少なくなかった。まるでジブリアニメの一コマみたいにね。
詳しいことは訊けなかったけどたぶん彼女は30代の独身女性で、実家で両親と暮らしているように話から想像できた。なぜか私を気に入ってくれたようで、私をTちゃんと呼び、カラオケパブが休みの日に電話がかかってきて「今ミナミの**にいるから一緒に飲もうよ」と誘ってくれた。明日は朝から講義があると頭の片隅にあったけど、M子さんの誘いを断るわけにはいかなかった。
私はカラオケパブのスタッフとして自分の魅力で集客する必要があったし、M子さんもカラオケパブやそれ以外の時間で疑似恋愛というか恋人ごっこみたいな感覚で私を必要としていた、と思う。互いの利害が一致して、私たちはつかず離れずの曖昧で微妙な関係を保っていた。可能性を可能性のままにしておく宙吊りの状態だったけど、その微妙な距離感が心地よかった。
そんなふうにして何人かの女の子と同様の関係を保ちつつ、彼女たちが店に来てくれるようにするんだけど、女の子と2人だけでいる時には「君だけを見ている」みたいに振る舞った。それが正しいかどうかなんて考えもしなかった。ただそんなふうに揺れてたゆたいながらその場をすり抜けていればよかった。世の中自体が妙に浮かれて熱を帯び、異様な雰囲気の只中にあった。
夏の終わり、店が引ける間近に電話がかかってきてスタッフが「Tちゃんだって」という。出るとM子さんが「**で飲んでるから来ない?」と。わかった、と言って受話器を置き、店じまいをしてM子さんを迎えに行った。わりと酔っているように見えたけど彼女曰く「まだまだ余裕」と。「もうちょっと飲みたいな」というのでこの時間でやっている店を目指して私たちは歩いた。
寺田町の深夜営業している中華料理店に入り、ビールを飲んだ。この店は当時住んでいたアパートから歩いて行けるので後に店主と会話するまでになったけど、いちばん最初に話したとき店主は「あんたのことは信用できない。来る度に違う女を連れてる」と。いやあれは業務上の理由で、というと「素敵な業務もあったもんだ。あんたなに、ホストさん?」と手厳しい。
中華料理を食べながらビールを飲み、紹興酒まで進んで私たちはしたたかに酔った。だけどM子さんをひとりで帰らせるわけにはいかない。JR天王寺駅や天王寺公園周辺には道端で寝ている人もいて、かなり物騒だから。自分の足元も怪しいくらいだったのでM子さんのくびれた腰を持つようにして歩き、谷町筋を北上してM子さんの家の方向を進むと歩道橋が見えた。
M子さんは「あれで向こうに渡ろうよ」と言った。え、なんで?というと「ウチらけっこうヤバいよ。わかるでしょ」と。こんな深夜に、だれも渡ることのない歩道橋をゆっくり進むと私たち二人きりになった。「ねえ」とM子さんが言って私たちは立ち止まったけど、M子さんがぐらっと傾きそうになったので慌てて抱きとめ、なんだかハグしているような格好になった。
しばらく私たちは抱き合うようなかたちでいたが、M子さんは「私、Tちゃんと寝れるよ?」と言った。いきなりのことにすぐに言葉を返せなかったけど、ちょっと休もうか、と言えば私たちの行き先は決まったはずだ。谷町筋の天王寺界隈には歩いてすぐの所に「ホテル」があるとわかっていたから。だけど私の口から出た言葉はどうしてだか「そんなふうに言わないでよ」だった。
M子さんは私の胸に顔を埋めていたけど顔を上げ「ここでいいよ。ひとりで帰れる」と言った。いや家までちゃんと送るから、というと「大丈夫だから」と言ってひとりで歩き出した。少し危なげだけどしっかりした足取りで。ひとり歩道橋の上に残された私は、それをしたからといってどうなるわけでもないんだけど、タバコを取り出して火を点け、星が見えない空を見上げた。
【付記】
この文章は事実を基に若干の脚色を加えたものです。
この文章は事実を基に若干の脚色を加えたものです。
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Planetarium
ホテルのメイン・バーのアルバイトを辞めた後、歩いて自宅へ帰れる場所で深夜まで働けるという条件で探し、天王寺は夕陽丘の図書館にほど近い所にあるステーキハウスで働いた。ラストは深夜1時まで、その時間帯に働くのは大学生以上の男子が多かった。高校や大学の女の子たちはだいたい9時で終わって帰るシフトが多く、ちょうど入れ替わりみたいな感じだ。
ラストまでやるスタッフに気心の知れたいい仲間ができて、大学を卒業して京都の某大学の聴講生だった後までお世話になった。飲食店で2年以上働くとベテラン扱いになり、年齢が高かったこともあってみんなのまとめ役とか相談役みたいな役回りにいつしかなっていた。飲食店バイトは入れ替わりが激しく、いつの間にかいちばん古い人の部類になっていた。
そうなるとバックヤードで女の子たちとダベっているより、前に出てサービスに気を配ることの方が多くなり、スープ引いてメイン出して、とか、お水お願い、とか指示する機会が増えてくる。バックヤードとホールの間には仕切りがあって、多くの子たちはその仕切りの内側が定位置で、私は仕切りの前にいることが多くなった。
仕切り前には観葉植物やテーブルクロス代わりのペーパーシートが置いてあって、誰かが食器を片付けるとシートを敷き、セッティングの指示をするって感じ。その日もペーパーシートの横に立っていたけど、いつしかシートを挟んで女の子が立っていた。彼女はミドリといって看護学校に通っていて、ショートカットで眼の大きな子だった。
大きいのは眼だけではなくて、ブラウスの前が張っているのがわかる胸が印象的だった。しばらく私たちは会話もないまま立っていたけど、ふいに彼女が何か話しかけてきた。すかさずいいかいミドリちゃん、こっち向いて話すんじゃなくて、前を向いたまま、ね。わかる? と言った。賢い子だったので私の言おうとする意味を理解してくれたようだ。
「今度の休みだけど、どこか良い所知ってます?」と前を向いたままミドリは言った。「良い所ねえ……ま、いくつかあるよ。教えてあげるけど……ていうか一緒に行ってみる?」というと彼女は賛成した。日にちと時間、待ち合わせ場所を決めるため相談していると、他の女の子が「すいませんね、お邪魔して」とペーパーシートを取りに来た。
私たちは中之島で落ち合った。1993年5月の晴れた日だった。ミドリは紺のブレザーに白のブラウス、グレーの膝丈スカートに黒のローファーで、ストッキングを履いているのも良かった。私は背抜きの紺ブレにベージュのコットン・トラウザーズ、ギンガムチェックのシャツにノーネクタイ、アーガイル・ソックスに茶色のローファーだった。
ブレザーお揃いだったね、というと彼女は少し照れて「どこ行くんですか?」と言った。この近くにプラネタリウムがあるんだ。知ってた? というと「だって遠足で来たじゃないですか」と。間抜けなことを訊いたな、大阪市立科学館にプラネタリムウムがあって、ほとんどの小学生は見学で体験する。交通科学博物館とかね。
中之島の川べりを歩いて程なくすると大阪市立科学館に着いた。プラネタリウムの開演時間までしばらくあったのでロビーで待つ間、私たちは少し話をした。「ずっと疑問に思ってたんだけど、只野さんって昼間なにしてるんですか?」というので学生証を見せた。ミドリは驚いた様子で「そうだったんだ……女の子たちの間でも只野さんって謎の人ですよ」と。
ま、仕方ないか。「大学生だとは聞いてたんだけど、留年しまくってる人って言ってる子もいるし……そうじゃなくてなんか安心した」とミドリは言った。そうか、正体不明の謎の人物だったわけだ。どっちにしろ、バイトの中で浮いてるってことはわかってたけどね。開演時間がきたようなので「さ、僕の正体がわかったところで行こうか」と立ち上がった。
開演の合図の後、照明が少しずつ暗くなってやがて真っ暗になった。少しずつ視界が開けてくると、少し白けて星があまり見えない空になった。アナウンスが現在の大阪の夜を再現しているという。もし大阪の夜から明かりが消えたとしたら、という設定にすると満天に星が現れて観衆からため息ともどよめきともつかぬ声が上がった。
あろうことかミドリのことをほったらかしにして、私は自分にいちばん似ている星を探していた。あまり目立たない3等星くらいの星で、他と離れた所にぽつんと存在しているような星。どの星座の近くにあるとかよくわかんなかったけど、たぶんあれが自分なのだという星を見つけることができたのかできなかったのか、わからぬうちに次のプログラムになった。
プラネタリウムの後、私たちは梅田の高層ビルの最上階にあるレストラン街で食事をした。窓際に外を向いて並んで座った席からの眺めは最高に良くて、食事もとてもおいしかったんだけど、私たちの会話が最高に盛り上がったわけでは、なかった。「また遊ぼうね」というとミドリは「うん。またどこか行こうね」と言ったけど、私たちに次はなかった。
あの暗闇と静寂の中で、まず左に座った彼女の右手に触れるべきだった。そしてしっかり手を繋いでおかねばならなかった。彼女の右手を私の左手で繋いだまま右手の指先が彼女の膝に触れ、そっと這うように太腿から尻、腰のあたりを沿って脇から胸のほうへ動いてゆく。そして指先は彼女の首から顎へ、最後に彼女の柔らかい唇にそっと触れる。
今ならそうするべきだったとわかる。彼女はある意味、自分を差し出してくれていたのだから。なのに暗闇の中でボケっと星を眺めていた。本当に眺めなければいけないのはすぐ近くにいる彼女で、ほんの少し手を動かせば届く所に彼女はいたのに。たぶんあの瞬間も本当はわかっていたはずなんだけど、なにもしなかった自分が今でもよくわからないのである。
ラストまでやるスタッフに気心の知れたいい仲間ができて、大学を卒業して京都の某大学の聴講生だった後までお世話になった。飲食店で2年以上働くとベテラン扱いになり、年齢が高かったこともあってみんなのまとめ役とか相談役みたいな役回りにいつしかなっていた。飲食店バイトは入れ替わりが激しく、いつの間にかいちばん古い人の部類になっていた。
そうなるとバックヤードで女の子たちとダベっているより、前に出てサービスに気を配ることの方が多くなり、スープ引いてメイン出して、とか、お水お願い、とか指示する機会が増えてくる。バックヤードとホールの間には仕切りがあって、多くの子たちはその仕切りの内側が定位置で、私は仕切りの前にいることが多くなった。
仕切り前には観葉植物やテーブルクロス代わりのペーパーシートが置いてあって、誰かが食器を片付けるとシートを敷き、セッティングの指示をするって感じ。その日もペーパーシートの横に立っていたけど、いつしかシートを挟んで女の子が立っていた。彼女はミドリといって看護学校に通っていて、ショートカットで眼の大きな子だった。
大きいのは眼だけではなくて、ブラウスの前が張っているのがわかる胸が印象的だった。しばらく私たちは会話もないまま立っていたけど、ふいに彼女が何か話しかけてきた。すかさずいいかいミドリちゃん、こっち向いて話すんじゃなくて、前を向いたまま、ね。わかる? と言った。賢い子だったので私の言おうとする意味を理解してくれたようだ。
「今度の休みだけど、どこか良い所知ってます?」と前を向いたままミドリは言った。「良い所ねえ……ま、いくつかあるよ。教えてあげるけど……ていうか一緒に行ってみる?」というと彼女は賛成した。日にちと時間、待ち合わせ場所を決めるため相談していると、他の女の子が「すいませんね、お邪魔して」とペーパーシートを取りに来た。
私たちは中之島で落ち合った。1993年5月の晴れた日だった。ミドリは紺のブレザーに白のブラウス、グレーの膝丈スカートに黒のローファーで、ストッキングを履いているのも良かった。私は背抜きの紺ブレにベージュのコットン・トラウザーズ、ギンガムチェックのシャツにノーネクタイ、アーガイル・ソックスに茶色のローファーだった。
ブレザーお揃いだったね、というと彼女は少し照れて「どこ行くんですか?」と言った。この近くにプラネタリウムがあるんだ。知ってた? というと「だって遠足で来たじゃないですか」と。間抜けなことを訊いたな、大阪市立科学館にプラネタリムウムがあって、ほとんどの小学生は見学で体験する。交通科学博物館とかね。
中之島の川べりを歩いて程なくすると大阪市立科学館に着いた。プラネタリウムの開演時間までしばらくあったのでロビーで待つ間、私たちは少し話をした。「ずっと疑問に思ってたんだけど、只野さんって昼間なにしてるんですか?」というので学生証を見せた。ミドリは驚いた様子で「そうだったんだ……女の子たちの間でも只野さんって謎の人ですよ」と。
ま、仕方ないか。「大学生だとは聞いてたんだけど、留年しまくってる人って言ってる子もいるし……そうじゃなくてなんか安心した」とミドリは言った。そうか、正体不明の謎の人物だったわけだ。どっちにしろ、バイトの中で浮いてるってことはわかってたけどね。開演時間がきたようなので「さ、僕の正体がわかったところで行こうか」と立ち上がった。
開演の合図の後、照明が少しずつ暗くなってやがて真っ暗になった。少しずつ視界が開けてくると、少し白けて星があまり見えない空になった。アナウンスが現在の大阪の夜を再現しているという。もし大阪の夜から明かりが消えたとしたら、という設定にすると満天に星が現れて観衆からため息ともどよめきともつかぬ声が上がった。
あろうことかミドリのことをほったらかしにして、私は自分にいちばん似ている星を探していた。あまり目立たない3等星くらいの星で、他と離れた所にぽつんと存在しているような星。どの星座の近くにあるとかよくわかんなかったけど、たぶんあれが自分なのだという星を見つけることができたのかできなかったのか、わからぬうちに次のプログラムになった。
プラネタリウムの後、私たちは梅田の高層ビルの最上階にあるレストラン街で食事をした。窓際に外を向いて並んで座った席からの眺めは最高に良くて、食事もとてもおいしかったんだけど、私たちの会話が最高に盛り上がったわけでは、なかった。「また遊ぼうね」というとミドリは「うん。またどこか行こうね」と言ったけど、私たちに次はなかった。
あの暗闇と静寂の中で、まず左に座った彼女の右手に触れるべきだった。そしてしっかり手を繋いでおかねばならなかった。彼女の右手を私の左手で繋いだまま右手の指先が彼女の膝に触れ、そっと這うように太腿から尻、腰のあたりを沿って脇から胸のほうへ動いてゆく。そして指先は彼女の首から顎へ、最後に彼女の柔らかい唇にそっと触れる。
今ならそうするべきだったとわかる。彼女はある意味、自分を差し出してくれていたのだから。なのに暗闇の中でボケっと星を眺めていた。本当に眺めなければいけないのはすぐ近くにいる彼女で、ほんの少し手を動かせば届く所に彼女はいたのに。たぶんあの瞬間も本当はわかっていたはずなんだけど、なにもしなかった自分が今でもよくわからないのである。
Not blame it on my youth, but...
彼女の額の汗が引き、呼吸が少し落ち着いた頃、目を閉じている彼女に言った。ねえ、終電の時間過ぎてるんだけど、知ってた? だが彼女はそれに答えず「明日……」と言った。え、なんだって明日がどうしたの、っていうと「晴れるかな」と来た。なんだそれ。1989年の晩秋だ。彼女はFSといってアルバイト先のカラオケパブによく来る女の子だった。
そのころ朝夜の冷え込みが大きく、寝るとき被った布団をいつの間にか跳ね除けてしまい、朝に身体が冷えて風邪を拾ってしまった。大学には行ったものの途中で悪寒がしたので早めに帰宅、熱も出てきたようなのでバイト先に連絡を入れ店を休むことにした。FSは私の家をマスターに聞いたのか、お見舞いに来てくれたのである。
彼女がどこで何をしているのか知らなかったけど、ヨンテン(四天王寺)の牛丼屋でアルバイトしていることだけは店で教えてくれた。ひとしきり汗をかいた後、彼女は少し身の上話をした。母子家庭であるが、母親に男ができたみたいで家にいたくない、というか帰りたくない、と。「しばらくここにいていい?」というので「いいよ」といった。
FSはどういうわけか私をU(you)と呼び、自分のことをミーといった。私の本名が古風で呼びにくかったこともあるだろうし、「あなた」とかいうのも照れくさかったのだと思う。大学とアルバイトもあってそんなにかまっていられないことも彼女に話した。ともかく、こんなふうにいろんなことが不詳の女の子との奇妙な共同生活が始まった。
寒い時期だったのも幸いしたかもしれない。お互いの気持ちを曖昧にしたまま、私たちはお互いに相手の身体の温もりを利用していた、のだと思う。客用の布団などなかったし、小さな1人用の布団にくるまって私たちはいくつかの夜を過ごしたけど、先のことなどこれっぽっちも考えていなかった。先のことはわかんないけど、今が良ければそれでよかった。
程なく私とFSの関係はマスターに知られることになったけど、別に意に介さないみたいだった。男性スタッフ中心のカラオケパブはどこかプチ・ホストクラブみたいな面もあって、スタッフの中には3股かけている者もいたくらいだ。Tちゃん手ェ出すんならお金持ってる大人の女にしといたほうがいいよ、というスタッフもいた。
ある日FSが「ねえ、店でミーのことジロジロ見てくる子がいるんだけど、なに?」という。最近そういえば、別アルバイト先の喫茶店で知り合った女の人とその娘が店に来ていたんだった。おそらく娘がFSを見ていたと想像するけど、話しても面倒になるだけだったので「さあ? よくわかんないな。気にすることないよ、放っておくさ」と言った。
困ったのはマスターが変な商売話に本気になっていることだった。ハラ・ゼンザブロウとかいう人が超音波発生装置を作って、それを風呂で使うとすごい健康効果がある、との触れ込みでセミナーに連れて行かれた。ステージの上には何人かの「成功者」がいて、それぞれの成功話をしてくれるのはいいけど、もう露骨なまでの拝金主義だった。
ハラ氏の講演も凄まじい熱気を帯びていて、聞いている人たちはなんだか集団催眠にかかったような浮かれた表情をしていた。つまんないこと言ってるな、と冷めた気持ちで聞いていると「タフでなくては生きていけない。優しくなくては生きている価値がない」と来た。レイモンド・チャンドラーの台詞そのままなんだけど、みんな知らないのか?
セミナーの後、マスターや仲間が連れてきた「カモ」を集めてマンションの一室で「入会手続き」が行われるようで私も誘われたけど「無理」と言って断った。それで私に対する態度が変わらないのがマスターの良いところなんだけど、勧誘に力入れ過ぎて店のほうはほとんど私たちスタッフ任せになってしまっていた。
実のところ、カラオケパブは1970年代だったら通用したかもしれないけど、1980年代の終わり頃では全てにおいて時代遅れな感じがしていた。長年の常連客でなんとかもっているだけで、これからの時代を生き残っていくにはこのままではダメだと思った。でも前借りだってしてくれたんだ、義理ってものをこんな私だって理解できるから。
だけどそれだけでジン・トニックひとつまともに作れないカラオケパブのスタッフを続けるには無理があったし、もう少し自分自身のレベルも上げたかったので、ホテルのメイン・バーのアルバイトをすることにした。JR福島駅が最寄りで、ABC朝日放送とかシンフォニー・ホールがすぐそばにあるホテル。夕方7時から深夜2時まで働き、風呂や仮眠室もある。
自分の部屋が天王寺にあるので方角的には部屋に戻ってから大学へ行くこともできるが、できるだけ睡眠時間を確保するため、バイト先のホテルから直に大学に行くことも増えた。テキストの用意はどうする、と思うかもしれないけど、万年筆とバインダー・ノートさえあれば大学の講義はなんとかなる。テキスト必須、って先生もいるけどあれは商売ね。
とある休日、私たちが2人でいることが珍しくなってしまったけど、FSが言った、「マミーに会ってくれる?」と。そういうのって、もっときちんとしてからのことだと思ったんだけど、慌てたりオタオタしたり、逃げたり隠れたりしなかった。彼女がそうしてほしいんなら、すればいいだけのことではないか。減るもんじゃないし。
JR阪和線の和泉府中駅で降り、見知らぬ町を彼女と歩いた。誘導されるがまましばらく歩くと団地に来た。どうも府営住宅のようで、いつから出来たのか知らないけど、どう見ても全体的に古びた感じがした。FSの母親がどんな人だったか、なにを話したんだか今となっては思い出せないけど、彼女が苦労しているのはなんとなくわかった気がした。
晩ご飯を食べた後、FSはアルバムを持ってきて思い出話をしてくれた。「中学の頃ね」と彼女は言った、「体操やってたんだ」と。写真にはすらっとした女の子たちが写っていた。「この頃ね、塾先(塾の先生)に呼ばれて家に行ったんだけど……イタズラされちゃった。毛、剃られたりとか」っていうので、いったい何年前の話? って言った。
「そう……1年前くらい?」と彼女は言った。そのとき軽い目眩を覚えたが夜、私たちは床に着いた。彼女は耳元で「Uのバカ……寂しかったんだぞ」と言い、私はごめん、ホントにごめん、と言って彼女を抱きしめた。身体が柔らかかったので彼女の足首を持ってするのが好きだったけど、彼女は同じ方向を向いてするのをもとめた。
彼女をほったらかしにしているのはわかっていた。でも理由あってのことだ。誰も信じてくれないけど、大学は自分のお金でなんとかした。だから講義も真面目に受けていた。周囲の雰囲気とはまるで違う、浮いているってわかってたけどね。もう女の子を1人にはしない、だからホテルのマネージャーに辞めることを伝えた。
新しい仕事見つけなくちゃ、と家に帰ると女の子はいなくて、少ない彼女の持ち物一切がっさいが、小さな部屋から消えていた。まるで初めから彼女がいなかったみたいに。女の子と暮らすなんて初めてだったのに、なぜかいつか、どこかで見たような妙な既視感の中で窓がひとつしかない狭い部屋に一瞬、風が渡ったような気がした。
そのころ朝夜の冷え込みが大きく、寝るとき被った布団をいつの間にか跳ね除けてしまい、朝に身体が冷えて風邪を拾ってしまった。大学には行ったものの途中で悪寒がしたので早めに帰宅、熱も出てきたようなのでバイト先に連絡を入れ店を休むことにした。FSは私の家をマスターに聞いたのか、お見舞いに来てくれたのである。
彼女がどこで何をしているのか知らなかったけど、ヨンテン(四天王寺)の牛丼屋でアルバイトしていることだけは店で教えてくれた。ひとしきり汗をかいた後、彼女は少し身の上話をした。母子家庭であるが、母親に男ができたみたいで家にいたくない、というか帰りたくない、と。「しばらくここにいていい?」というので「いいよ」といった。
FSはどういうわけか私をU(you)と呼び、自分のことをミーといった。私の本名が古風で呼びにくかったこともあるだろうし、「あなた」とかいうのも照れくさかったのだと思う。大学とアルバイトもあってそんなにかまっていられないことも彼女に話した。ともかく、こんなふうにいろんなことが不詳の女の子との奇妙な共同生活が始まった。
寒い時期だったのも幸いしたかもしれない。お互いの気持ちを曖昧にしたまま、私たちはお互いに相手の身体の温もりを利用していた、のだと思う。客用の布団などなかったし、小さな1人用の布団にくるまって私たちはいくつかの夜を過ごしたけど、先のことなどこれっぽっちも考えていなかった。先のことはわかんないけど、今が良ければそれでよかった。
程なく私とFSの関係はマスターに知られることになったけど、別に意に介さないみたいだった。男性スタッフ中心のカラオケパブはどこかプチ・ホストクラブみたいな面もあって、スタッフの中には3股かけている者もいたくらいだ。Tちゃん手ェ出すんならお金持ってる大人の女にしといたほうがいいよ、というスタッフもいた。
ある日FSが「ねえ、店でミーのことジロジロ見てくる子がいるんだけど、なに?」という。最近そういえば、別アルバイト先の喫茶店で知り合った女の人とその娘が店に来ていたんだった。おそらく娘がFSを見ていたと想像するけど、話しても面倒になるだけだったので「さあ? よくわかんないな。気にすることないよ、放っておくさ」と言った。
困ったのはマスターが変な商売話に本気になっていることだった。ハラ・ゼンザブロウとかいう人が超音波発生装置を作って、それを風呂で使うとすごい健康効果がある、との触れ込みでセミナーに連れて行かれた。ステージの上には何人かの「成功者」がいて、それぞれの成功話をしてくれるのはいいけど、もう露骨なまでの拝金主義だった。
ハラ氏の講演も凄まじい熱気を帯びていて、聞いている人たちはなんだか集団催眠にかかったような浮かれた表情をしていた。つまんないこと言ってるな、と冷めた気持ちで聞いていると「タフでなくては生きていけない。優しくなくては生きている価値がない」と来た。レイモンド・チャンドラーの台詞そのままなんだけど、みんな知らないのか?
セミナーの後、マスターや仲間が連れてきた「カモ」を集めてマンションの一室で「入会手続き」が行われるようで私も誘われたけど「無理」と言って断った。それで私に対する態度が変わらないのがマスターの良いところなんだけど、勧誘に力入れ過ぎて店のほうはほとんど私たちスタッフ任せになってしまっていた。
実のところ、カラオケパブは1970年代だったら通用したかもしれないけど、1980年代の終わり頃では全てにおいて時代遅れな感じがしていた。長年の常連客でなんとかもっているだけで、これからの時代を生き残っていくにはこのままではダメだと思った。でも前借りだってしてくれたんだ、義理ってものをこんな私だって理解できるから。
だけどそれだけでジン・トニックひとつまともに作れないカラオケパブのスタッフを続けるには無理があったし、もう少し自分自身のレベルも上げたかったので、ホテルのメイン・バーのアルバイトをすることにした。JR福島駅が最寄りで、ABC朝日放送とかシンフォニー・ホールがすぐそばにあるホテル。夕方7時から深夜2時まで働き、風呂や仮眠室もある。
自分の部屋が天王寺にあるので方角的には部屋に戻ってから大学へ行くこともできるが、できるだけ睡眠時間を確保するため、バイト先のホテルから直に大学に行くことも増えた。テキストの用意はどうする、と思うかもしれないけど、万年筆とバインダー・ノートさえあれば大学の講義はなんとかなる。テキスト必須、って先生もいるけどあれは商売ね。
とある休日、私たちが2人でいることが珍しくなってしまったけど、FSが言った、「マミーに会ってくれる?」と。そういうのって、もっときちんとしてからのことだと思ったんだけど、慌てたりオタオタしたり、逃げたり隠れたりしなかった。彼女がそうしてほしいんなら、すればいいだけのことではないか。減るもんじゃないし。
JR阪和線の和泉府中駅で降り、見知らぬ町を彼女と歩いた。誘導されるがまましばらく歩くと団地に来た。どうも府営住宅のようで、いつから出来たのか知らないけど、どう見ても全体的に古びた感じがした。FSの母親がどんな人だったか、なにを話したんだか今となっては思い出せないけど、彼女が苦労しているのはなんとなくわかった気がした。
晩ご飯を食べた後、FSはアルバムを持ってきて思い出話をしてくれた。「中学の頃ね」と彼女は言った、「体操やってたんだ」と。写真にはすらっとした女の子たちが写っていた。「この頃ね、塾先(塾の先生)に呼ばれて家に行ったんだけど……イタズラされちゃった。毛、剃られたりとか」っていうので、いったい何年前の話? って言った。
「そう……1年前くらい?」と彼女は言った。そのとき軽い目眩を覚えたが夜、私たちは床に着いた。彼女は耳元で「Uのバカ……寂しかったんだぞ」と言い、私はごめん、ホントにごめん、と言って彼女を抱きしめた。身体が柔らかかったので彼女の足首を持ってするのが好きだったけど、彼女は同じ方向を向いてするのをもとめた。
彼女をほったらかしにしているのはわかっていた。でも理由あってのことだ。誰も信じてくれないけど、大学は自分のお金でなんとかした。だから講義も真面目に受けていた。周囲の雰囲気とはまるで違う、浮いているってわかってたけどね。もう女の子を1人にはしない、だからホテルのマネージャーに辞めることを伝えた。
新しい仕事見つけなくちゃ、と家に帰ると女の子はいなくて、少ない彼女の持ち物一切がっさいが、小さな部屋から消えていた。まるで初めから彼女がいなかったみたいに。女の子と暮らすなんて初めてだったのに、なぜかいつか、どこかで見たような妙な既視感の中で窓がひとつしかない狭い部屋に一瞬、風が渡ったような気がした。
【後日譚】
数年後、小さな部屋に一通の葉書が届きました。ウェディング・ドレスを着た彼女の横に、男の人が写っていました。なんで今さら、と思うのですが、彼女らしいとも思いました。
数年後、小さな部屋に一通の葉書が届きました。ウェディング・ドレスを着た彼女の横に、男の人が写っていました。なんで今さら、と思うのですが、彼女らしいとも思いました。
Was confirmed as the pervert
高校最後の夏休み、美術部だったので体育祭のメインパネル製作をする名目で学校に集合した。サブロク(90cm×180cm)の木枠にベニヤ板を貼ったパネルに水性塗料のホワイトを塗り、乾いたところでパネルを並べ、かねて描いておいた下絵をメインパネルへ拡大模写するのである。芯が異様に太いスケッチ用鉛筆で下絵を見ながら写していく。
薄いベニヤ板を踏み抜かないよう、それこそ四つん這いになって転写していくんだけど、私のちょうど真ん前で作業している1学年下の女子KSがネック広めのオーバーサイズTシャツを着ていて、少しというかたいへん目のやり場に困ったのである。あちゃあ、もうブラどころかお腹まで見えちゃってるよ。目のやり場に困りながらも、やはりチラ見してしまう。
そうか今日はライトブルーのブラか、としたら下もお揃いなのかな、とかあらぬ事を想像していたら、いつの間にか私の隣に同級生のY君が来ていて、「おいKS、見えてんぞ!」と言った。KSは「キャッ! ごめんなさい」と上体を起こして胸のあたりを隠す仕草をしたんだけど、上体を起こした後ではあんまり意味ないと思って笑ってしまった。
「俺だから正直に言ってやったんだけど、本当のスケベは黙ってじっと見てるだけだからな!」とY君は声高々に宣言し、KSは「ありがとうございます」とか言った。え、ちょっと待てよ。ってことはだね、KSの真ん前にいて何も言わなかった私は、自動的に「本当のスケベ」だってことにならないか? ていうか、はい、本当のスケべに確定されました!
自分がスケベであることに異論はなく、正直に認めるしかないんだけど、この種の男女のやり取りに関しては思うことがある。もちろんすべての女子がそうするわけではないのは言うまでもないが、今度の事に限って言うとKSは「わかっていて、わざとやった」のだと思う。意識的で周到な女子なら、姿見で見え方までチェックしてるはず。
だからそういうアプローチをしてくる女子に対してはむしろ「ちゃんと見てあげないといけない」と思っている。稀にそういう人もいるかもしれないが、彼女たちは自分の特定の一部を、とくに見てほしいのではない。そうではなくて、それを通して自分の方を向いてほしい、自分をちゃんと見てほしい、と言っているのである、と勝手に想像する。
でもあくまで付き合ってもいい、とか、付き合いたい気持ちがある相手にのみそうするべきであって、特に興味のない相手に対してはどこまでも鈍感であるフリを通すほうがいい。KSは「只野さん、体操服用の巾着、作りましょうか」とか言ってくる子だった。その気持ちはわからぬではないが、同級生に好きな女子がいたので距離を取るしかなかった。
音楽好きの仲間とバンドの真似事みたいなのをして、公民館の一室を借りてライヴをすることになった。時間をかけて下準備をしたんだけど、うっかりしてKSにライヴのことを話さなかったし、誘いもしなかった。どこからかライヴの話を聞いたらしくKSは私のところにやってきて「私、ライヴ、行きませんから!」とめっちゃ不機嫌そうに言った。
KSはメガネ女子だったけど、遠視なので眼鏡をかけた彼女の目が大きく見えていた。色白で、しかも眼鏡を外したらびっくりしちゃうくらい可愛い子だった。卒業生送別会の時、「KSとっておきのパフォーマンスをやってほしい」とリクエストしたら「只野さんと2人だけの時ならやってもいいですよ」と言った。部員たちはヒューとか言って散々囃してくれたっけ。
もしもあの時、同級生の好きな女子がいなかったら、と思うほど彼女の存在はいつしか大きくなっていた。結局、同級生の女子に告ったんだけど振られちゃったんで、その時はどうかするとKSに傾きそうになったけど、今では同級生の子にきちんと気持ちを伝えられて本当に良かったと思うし、KSに生半可な気持ちで近づかないで正解だったと思っている。
ちなみにスケベではない正義の紳士、Y君のことを最後に語っておく。Y君はその夏に美術部の1学年下の女の子(KSとは別の子)と仲良くなったようだ。で、2学期になるとどういうわけかY君は学校に来なくなった、というかいなくなっていた。風の噂では女の子のお腹が大きくなったとか云々、本当のことはわかんないけど、その女の子もいなくなった。
薄いベニヤ板を踏み抜かないよう、それこそ四つん這いになって転写していくんだけど、私のちょうど真ん前で作業している1学年下の女子KSがネック広めのオーバーサイズTシャツを着ていて、少しというかたいへん目のやり場に困ったのである。あちゃあ、もうブラどころかお腹まで見えちゃってるよ。目のやり場に困りながらも、やはりチラ見してしまう。
そうか今日はライトブルーのブラか、としたら下もお揃いなのかな、とかあらぬ事を想像していたら、いつの間にか私の隣に同級生のY君が来ていて、「おいKS、見えてんぞ!」と言った。KSは「キャッ! ごめんなさい」と上体を起こして胸のあたりを隠す仕草をしたんだけど、上体を起こした後ではあんまり意味ないと思って笑ってしまった。
「俺だから正直に言ってやったんだけど、本当のスケベは黙ってじっと見てるだけだからな!」とY君は声高々に宣言し、KSは「ありがとうございます」とか言った。え、ちょっと待てよ。ってことはだね、KSの真ん前にいて何も言わなかった私は、自動的に「本当のスケベ」だってことにならないか? ていうか、はい、本当のスケべに確定されました!
自分がスケベであることに異論はなく、正直に認めるしかないんだけど、この種の男女のやり取りに関しては思うことがある。もちろんすべての女子がそうするわけではないのは言うまでもないが、今度の事に限って言うとKSは「わかっていて、わざとやった」のだと思う。意識的で周到な女子なら、姿見で見え方までチェックしてるはず。
だからそういうアプローチをしてくる女子に対してはむしろ「ちゃんと見てあげないといけない」と思っている。稀にそういう人もいるかもしれないが、彼女たちは自分の特定の一部を、とくに見てほしいのではない。そうではなくて、それを通して自分の方を向いてほしい、自分をちゃんと見てほしい、と言っているのである、と勝手に想像する。
でもあくまで付き合ってもいい、とか、付き合いたい気持ちがある相手にのみそうするべきであって、特に興味のない相手に対してはどこまでも鈍感であるフリを通すほうがいい。KSは「只野さん、体操服用の巾着、作りましょうか」とか言ってくる子だった。その気持ちはわからぬではないが、同級生に好きな女子がいたので距離を取るしかなかった。
音楽好きの仲間とバンドの真似事みたいなのをして、公民館の一室を借りてライヴをすることになった。時間をかけて下準備をしたんだけど、うっかりしてKSにライヴのことを話さなかったし、誘いもしなかった。どこからかライヴの話を聞いたらしくKSは私のところにやってきて「私、ライヴ、行きませんから!」とめっちゃ不機嫌そうに言った。
KSはメガネ女子だったけど、遠視なので眼鏡をかけた彼女の目が大きく見えていた。色白で、しかも眼鏡を外したらびっくりしちゃうくらい可愛い子だった。卒業生送別会の時、「KSとっておきのパフォーマンスをやってほしい」とリクエストしたら「只野さんと2人だけの時ならやってもいいですよ」と言った。部員たちはヒューとか言って散々囃してくれたっけ。
もしもあの時、同級生の好きな女子がいなかったら、と思うほど彼女の存在はいつしか大きくなっていた。結局、同級生の女子に告ったんだけど振られちゃったんで、その時はどうかするとKSに傾きそうになったけど、今では同級生の子にきちんと気持ちを伝えられて本当に良かったと思うし、KSに生半可な気持ちで近づかないで正解だったと思っている。
ちなみにスケベではない正義の紳士、Y君のことを最後に語っておく。Y君はその夏に美術部の1学年下の女の子(KSとは別の子)と仲良くなったようだ。で、2学期になるとどういうわけかY君は学校に来なくなった、というかいなくなっていた。風の噂では女の子のお腹が大きくなったとか云々、本当のことはわかんないけど、その女の子もいなくなった。
【付記】
なぜ愛はいつもすれ違ってばかりなんでしょうね。この話は事実を元に多少の装飾を加えてあります。
なぜ愛はいつもすれ違ってばかりなんでしょうね。この話は事実を元に多少の装飾を加えてあります。
A summer drive
洗い物を終えてカウンターに戻ると、従業員仲間のマサとマルちゃん、客のO子とK美たちが何やら盛り上がっていた。1989年、夏の話だ。彼女たちは天王寺の電子とかコンピューターの専門学校生で、帰り道に必ず通る天王寺や阿倍野近辺で遊ぶことが多く、その流れで私がアルバイトしていたカラオケ・パブを見つけたようだ。
K美はマサの、そしてO子は私のファンだという。男性スタッフ中心のカラオケ・パブはプチ・ホストクラブみたいなグレー領域もあって、スタッフの魅力で女性客を集めると評価される。ミナミ経験者のマサがいちばんのやり手で、水商売未経験の私はそっちの路線では今ひとつだったけど、料理や皿洗いで貢献しているつもりだった。
海に行きたい、という。「いいね。あんたらで楽しんできたら。留守番はオレとマスターでなんとかするからさ」というと、マサが「なに言ってんの、Tちゃんメンバーに入ってるよ」ときた。え、何それどういうこと、と訊くと「運転できるのTちゃんだけじゃん」てか。要するに、あんたらの楽しみのためにドライバーになれってわけね。
「O子もいるし、Tちゃんがいないと……」とK美はいう。わかったわかったオレも行くよ、というと彼女たちは嬉しそうにした。マルちゃんもノリノリでもう行く気満々になっている。できるだけ金をかけずシフトに影響の出ないプランとなると、深夜店が引けてから出発、着いたら仮眠して、午前中泳いで帰ってくることになる。
で、夕方からそのまま店に入るというなんともハードなプランだったけど、それしかないでしょう、と押し切られてしまった。車はないのでK美の父親所有のワゴン車を貸してもらうことになり、天王寺公園付近の某所に停める手筈だという。人数のバランスが悪いのでO子が妹のノンノンを連れてくる、って行きたいのは結局のところ彼女たちなんだ。
海行き決行日の数日前、出勤してみるとマサがいて「今日は店、休みになった」という。昼の喫茶(店としての)営業で、排煙ダクトにたまった油に何かの拍子で引火してしまい大変な騒ぎになってしまった、と。消化器で液をぶちまけたので店内が真っ白になり、必死で拭いたんだけどまだこの状態……みんなに迷惑かけてごめんなさい、とマサは言った。
おいおい頼むよ、でも無事でよかったね、とその日は店内の大掃除となった。非常階段に出てあれこれ片付けをしていると紙切れが落ちていた。ゴミかと思って4つ折りのそれを開くと「あのとき一緒に死んでもいいと思ったよ O子」とあった。なるほど、そういうことか。いつの間にかそうなってたんだ。K美はもう知ってるのか? まさかね。
何事もなかったかのように紙切れをゴミ箱に捨て、掃除を続けたけど、海行きを楽しみにする気持ちはなくなっていた。始めから乗り気じゃなかったけど。べつにO子に裏切られたとかそんな気持ちはなかった、ていうか裏切られたというまで関係は進んでいなかったから。ただ、裏を知っているのに何も知らないフリをするってのが、どうもね。
だけどその日がやってきた。閉店後、片付けを済ませてマサがK美から聞いた場所にワゴン車が停まっていたので乗り込んだ。キーはK美からすでに預かっていた。女の子たちをまず拾って、そこから海に向かうんだけど、行き先は須磨海岸だという。二色の浜じゃダメなのかな、というと、女の子たちはどうしても須磨のほうがいいらしい。
まずO子の家に行くとマサが挨拶に行き、O子とノンノンを連れて来た。K美の家はどこにあるの、と訊くと瓢箪山の向こうで云々という。なんだもうほとんど奈良じゃないか、そこからUターンして須磨かよ! でも女の子たちのたっての願いだもんな。K美の家までの道はマサが詳しく聞いてナビしてくれたのはいいけど、挨拶はオレってか!
やれやれ、ていうか、なんでこんな茶番に付き合わないといけないのかな。お車と大事な娘さんをお借りします、事故のないよう安全運転に努めます、とかワケわかんないこと言ってる自分が不思議でならなかった。でもいくら娘の頼みだからって普通すんなり承諾するか? 案の定、不審者を見るような険しい顔つきだった。当然だ。
高速道路は使わずに下の道を走るんだけど、阪神高速道路の高架下を神戸方面に向かって走るだけだから難しくはなかった。いったいどうやって着替えたんだか思い出せないけど、男がいったん外に出たんだっけ? とにかく用意ができたところで仮眠をすることになり、疲れのせいで眠ってしまい詳細は覚えていない。
朝ご飯としてコンビニで買ったサンドウィッチとビールがやけにうまかった。運転しないといけないので本当は飲むべきではないのだが、昼過ぎまで時間はあるし、当時の感覚では「まあいいか」だった。今では絶対通用しない、旧時代のフザけた感覚だけどね。女の子たちは今年初めての海だったようで、白い肌を眺めているだけで気分が良かった。
ポツンと座っているO子に「ちょっと遊ぶ?」と言ってビーチボールを放ってみた。受け止めたO子はうなずいて立ち上がり、私たちは波打ち際でバレーボールの真似事のような、キャッチボールのような意味のわからない謎の遊びをしたけど、O子のぎこちない笑顔が痛かった。そうか、この子も相当無理してるんだ、心はここにないのに。
茶番を続けているのがいたたまれなくなって遊びをやめた。休憩する、と言って車に行くと、しばらくしてからノンノンが来た。バックシートで彼女が「疲れたの?」というので「まあね」と応えた。「ねえ、後ろ髪、触っていい?」と彼女が言った。後ろ髪の生え際が伸びてくると、クルンとして触り心地が良く、つい触ってしまう癖があった。
「そんなに髪、触ってた?」と訊くと「めっちゃ触ってた。赤信号で止まったらすぐ手が後ろに来て……笑っちゃった」と。「見てたんだ……触りたい?」というと、彼女は「うん。触ってみたい」と応えた。いま愛しいと思えるのはノンノン、あんただけだよ。私の後ろ髪を触る彼女の手をつかんで、そのまま引き寄せてしまいたい衝動を抑えながら言った。
もう、いい?
K美はマサの、そしてO子は私のファンだという。男性スタッフ中心のカラオケ・パブはプチ・ホストクラブみたいなグレー領域もあって、スタッフの魅力で女性客を集めると評価される。ミナミ経験者のマサがいちばんのやり手で、水商売未経験の私はそっちの路線では今ひとつだったけど、料理や皿洗いで貢献しているつもりだった。
海に行きたい、という。「いいね。あんたらで楽しんできたら。留守番はオレとマスターでなんとかするからさ」というと、マサが「なに言ってんの、Tちゃんメンバーに入ってるよ」ときた。え、何それどういうこと、と訊くと「運転できるのTちゃんだけじゃん」てか。要するに、あんたらの楽しみのためにドライバーになれってわけね。
「O子もいるし、Tちゃんがいないと……」とK美はいう。わかったわかったオレも行くよ、というと彼女たちは嬉しそうにした。マルちゃんもノリノリでもう行く気満々になっている。できるだけ金をかけずシフトに影響の出ないプランとなると、深夜店が引けてから出発、着いたら仮眠して、午前中泳いで帰ってくることになる。
で、夕方からそのまま店に入るというなんともハードなプランだったけど、それしかないでしょう、と押し切られてしまった。車はないのでK美の父親所有のワゴン車を貸してもらうことになり、天王寺公園付近の某所に停める手筈だという。人数のバランスが悪いのでO子が妹のノンノンを連れてくる、って行きたいのは結局のところ彼女たちなんだ。
海行き決行日の数日前、出勤してみるとマサがいて「今日は店、休みになった」という。昼の喫茶(店としての)営業で、排煙ダクトにたまった油に何かの拍子で引火してしまい大変な騒ぎになってしまった、と。消化器で液をぶちまけたので店内が真っ白になり、必死で拭いたんだけどまだこの状態……みんなに迷惑かけてごめんなさい、とマサは言った。
おいおい頼むよ、でも無事でよかったね、とその日は店内の大掃除となった。非常階段に出てあれこれ片付けをしていると紙切れが落ちていた。ゴミかと思って4つ折りのそれを開くと「あのとき一緒に死んでもいいと思ったよ O子」とあった。なるほど、そういうことか。いつの間にかそうなってたんだ。K美はもう知ってるのか? まさかね。
何事もなかったかのように紙切れをゴミ箱に捨て、掃除を続けたけど、海行きを楽しみにする気持ちはなくなっていた。始めから乗り気じゃなかったけど。べつにO子に裏切られたとかそんな気持ちはなかった、ていうか裏切られたというまで関係は進んでいなかったから。ただ、裏を知っているのに何も知らないフリをするってのが、どうもね。
だけどその日がやってきた。閉店後、片付けを済ませてマサがK美から聞いた場所にワゴン車が停まっていたので乗り込んだ。キーはK美からすでに預かっていた。女の子たちをまず拾って、そこから海に向かうんだけど、行き先は須磨海岸だという。二色の浜じゃダメなのかな、というと、女の子たちはどうしても須磨のほうがいいらしい。
まずO子の家に行くとマサが挨拶に行き、O子とノンノンを連れて来た。K美の家はどこにあるの、と訊くと瓢箪山の向こうで云々という。なんだもうほとんど奈良じゃないか、そこからUターンして須磨かよ! でも女の子たちのたっての願いだもんな。K美の家までの道はマサが詳しく聞いてナビしてくれたのはいいけど、挨拶はオレってか!
やれやれ、ていうか、なんでこんな茶番に付き合わないといけないのかな。お車と大事な娘さんをお借りします、事故のないよう安全運転に努めます、とかワケわかんないこと言ってる自分が不思議でならなかった。でもいくら娘の頼みだからって普通すんなり承諾するか? 案の定、不審者を見るような険しい顔つきだった。当然だ。
高速道路は使わずに下の道を走るんだけど、阪神高速道路の高架下を神戸方面に向かって走るだけだから難しくはなかった。いったいどうやって着替えたんだか思い出せないけど、男がいったん外に出たんだっけ? とにかく用意ができたところで仮眠をすることになり、疲れのせいで眠ってしまい詳細は覚えていない。
朝ご飯としてコンビニで買ったサンドウィッチとビールがやけにうまかった。運転しないといけないので本当は飲むべきではないのだが、昼過ぎまで時間はあるし、当時の感覚では「まあいいか」だった。今では絶対通用しない、旧時代のフザけた感覚だけどね。女の子たちは今年初めての海だったようで、白い肌を眺めているだけで気分が良かった。
ポツンと座っているO子に「ちょっと遊ぶ?」と言ってビーチボールを放ってみた。受け止めたO子はうなずいて立ち上がり、私たちは波打ち際でバレーボールの真似事のような、キャッチボールのような意味のわからない謎の遊びをしたけど、O子のぎこちない笑顔が痛かった。そうか、この子も相当無理してるんだ、心はここにないのに。
茶番を続けているのがいたたまれなくなって遊びをやめた。休憩する、と言って車に行くと、しばらくしてからノンノンが来た。バックシートで彼女が「疲れたの?」というので「まあね」と応えた。「ねえ、後ろ髪、触っていい?」と彼女が言った。後ろ髪の生え際が伸びてくると、クルンとして触り心地が良く、つい触ってしまう癖があった。
「そんなに髪、触ってた?」と訊くと「めっちゃ触ってた。赤信号で止まったらすぐ手が後ろに来て……笑っちゃった」と。「見てたんだ……触りたい?」というと、彼女は「うん。触ってみたい」と応えた。いま愛しいと思えるのはノンノン、あんただけだよ。私の後ろ髪を触る彼女の手をつかんで、そのまま引き寄せてしまいたい衝動を抑えながら言った。
もう、いい?
【付記】
事実に基づいたフィクションです。その日の夕方からの仕事は地獄だったのはいうまでもありません。
事実に基づいたフィクションです。その日の夕方からの仕事は地獄だったのはいうまでもありません。