タルコフスキー『鏡』

『鏡』(1975年、ソ連映画、108分)

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原題:(The Mirror)
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:マルガリータ・テレホワ、オレーグ・ヤンコフスキー、イグナート・ダニルツェフほか

タルコフスキー『鏡』はもう何年も前にレンタルメディア店でVHSを借りて見たように思う。内容はほとんど覚えていないけれど映像の断片が妙に記憶に残った。だが『鏡』の主演女優マルガリータ・テレホワを見て、この人『ソラリス』にも出ていなかったっけ、などと思ってしまったから話にならない。

『ソラリス』のハリー役はナタリア・ボンダルチュクという人で、まるで別人なのだが、その時はなぜか彼女たちが同一人物だと思い込んでしまったのである。今回は男鹿の〈GEO〉でDVDを借りて見ることにした。テレビの中で、失語症の青年が女医に治療(リハビリ?)を受けるモノクロ場面から始まる。

タイトルとクレジットの提示後、カラー場面となってロシアの田舎町の一軒家、そして女(マルガリータ・テレホワ)が木の柵に座って煙草を吸っている。そこに通りすがりの医者が現れ、町へ行く道を尋ねる。医者は女に煙草をもらい、女の横に座ろうとするが、重みで木の柵が崩壊する。

男と女の会話から、女には夫がいるが不在であることがわかり、男の子は「わたし」の少年時代らしいこともわかってくる。おそらく現在と思われる「わたし」に母親から電話がかかってきて、昔の同僚が亡くなったと告げられ、場面は母親が昔勤めていた印刷所(出版社?)のエピソードになる。

全編通して見た結果から言うと、『鏡』に筋らしい筋は「ない」。失われてしまった過去の記憶を再構築しながら、そこに妻と子どもたちを失ってしまったわたし=作者の現在が交錯しつつ映像は流れて行くのだが、そこに過去のドキュメンタリー映像が挿入されていく。

興味深いのは、やはり筋(ないんだけど)とはほぼ無関係の映像の迫力が印象に残ることだろうか。家の天井が崩壊しつつあって水が滴り落ちる瞬間だとか、少年時代のわたしの家にいきなり老婦人がいて、紅茶なんかを飲みながら本棚にあるノートを朗読しろと命じたりする荒唐無稽ぶり、これぞタルコフスキー的世界だ。

しかも、誰か玄関に来ているらしいので「わたし」が玄関を開けると間違いだったらしく、再び戻ると老婦人は消失しているのである! だが、カップが置かれていたと思われる部分にはその痕跡が残っているがみるみるうちに消えてゆき、背景に流れる音楽も衝撃的瞬間であるかのように盛り上げている。

そして今回も、お得意の「空中浮遊」がばっちりあるんですね。マルガリータ・テレホワがベッドに上で浮かんでいるんだけど、なんがために浮かばないといけないのかは意味不明である。人間消失といい空中浮遊といい、あんたは魔術師か? と言いたくなるが、これを味わうのが「タルコフスキー映像を観る」ということなのだろうか。

父親を喪失した幼年期の「わたし」と、離婚によってやはり父親を喪失した「わたし」の息子が二重写しあるいは鏡像になっているのは、彼らが同一キャストであることからも伺えるし、「わたし」の母と妻もまた同一キャストによる「鏡像」になっている。だがそんな理屈はどうだっていいような気もする。

私にとって『鏡』はマルガリータ・テレホワの魅力による所が大きい(やっぱりそっちかよ!)のかな。あからさまな露出はほとんどなく、極めてあえかな仄めかしだけで何か性的なものを匂わせ、引っ張っていく映像それ自体の力、筋などなくても映像だけ見てなんか感心してしまう魅力、それがタルコフスキーなのだと思う。


【付記】
⚫︎ 『鏡』に意味を見出そうとする試みが不毛だとは思いません。たぶん答え(意味)はないと思うのですが、だからこそ様々な解釈が可能になるわけで、映像だけでなく、解釈も楽しめる奥深い作品ではないかと思います。

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『スローなブギにしてくれ』

『スローなブギにしてくれ』(1981年、日本映画、130分)

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原作:片岡義男
監督:藤田敏八(ふじたとしや)
出演:浅野温子、古尾谷雅人、山崎努ほか


見たいと思っているが、本で言えば絶版状態になっている映画もわりとあって、『スローなブギにしてくれ』もその一つだった。同名の主題歌がとても印象的で、YouTubeで予告編だけ見て、本編を見たいなあと思っていた。だが蔦屋で見かけることはなかったし、Amazonで販売していることもなかった。

なので〈GEO〉というレンタルメディア店でそれを目にした時、迷わず手に取ってしまった。印象的な主題歌とともに夕焼けに映える街が映される映像はなかなかで、期待を持たされる。白のムスタングに中年男(山崎努)と子猫を抱いた若い女(浅野温子)が乗っている。

ムスタングの男は女に名前を訊くと、さち乃よ、と答える。さち乃が男に名前を訊くと、ムスタング、という。後ろからオートバイに乗った若者・ゴロー(古尾谷雅人)がムスタングを追い抜こうとするが、ムスタングの男は邪魔をして抜かせようとしない。男はさち乃の体を触るが拒否し、男はさち乃と猫を放り出す。

ムスタングは走り去り、後から来たゴローに拾われるような形で、ゴローとの生活が始まる。ムスタングの男は既婚者で娘がいるが、彼らとは別に旧米軍ハウスで寝起きしている。そこには女と若い男がいて、ムスタングの男と若い男のどちらの子どもか不明の赤ん坊がいて、女の妹が世話をしていた。

若い男は夜にジョギングするのを日課にしていたが、その夜、ハウスにかかって来た電話は彼の死を告げるものであった。ムスタングの男は車の中で若い男の死を悲しむが、そこにさち乃の財布があるのを見つけ、彼女の自宅へ赴き、夫と別居しているが夫の借金の取り立てに追われるさち乃の母親の姿を見る。

とまあ、こんな感じで進んでいくんだけど、要するに家出女子高校生がフリーターの若い男となり行きで関係を持つんだけど男が未熟で女は傷つき、その隙に中年男が割り込んでくるって話だよね。こんなの、原作にはなかったような気がするな。原作はもっと断片的で、全部書かないやり方だった。

山崎努の演技が際立ち過ぎていて、古尾谷雅人の存在感が希薄。これは仕方がないかもしれないが、主役(?)の浅野温子まで食いかけていて、青春映画というよりは中年映画ですね。原作の持ち味である「軽さ」がなく、重たくて湿っぽい感じがするのは、良くも悪くも監督のセンスが出過ぎているせいかもね。

でも、画面は綺麗ですね。上映用のポジティヴ・フィルムをそのままデジタル化したのではなくて、なんらかの「処理」をしたのだろうと思う。1970年代の昭和がそのまま残されていて、これは見ていてちょっと嬉しい感じがした。原作(と主題歌)の感覚に現実が追いついていない感じで、本当はもっと格好良くお洒落に作りたかったのかもしれない。

あとは浅野温子ですかね。テレビドラマのイメージが強い彼女なんだけど、そちらを先に見てから本作を見ると、なんとまあ、可愛いことだろう。同じ角川映画でも、薬師丸ひろ子にはさせられなかったシーンもばっちりこなしているし、サービスショット(?)もわりとあるんですね。

結局、彼らがどういう着地をするか、が見所なのだろう。なので途中で放り出すことはなかったけど、最後の手前で主題歌が流れた時にエンドロールが出て欲しかったな、とか思う。せっかくいい主題歌なんだから、主題歌で始まって主題歌で閉じるようになっていて欲しかったわけですよ。


【付記】
⚫︎ ずっと見たいと思っていた映画を見ることができてすっきりした反面、何かすっきりしないものが残ってしまう本作でした。映画の初めに「I love 片岡World」と出るのですが、片岡ワールドというより、監督の藤田ワールド以外の何物でもありません。

『セックスと嘘とビデオテープ』

『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年、アメリカ映画、100分)

sex, lies, and videotape
原題:Sex, Lies, and Videotape
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:アンディ・マクダウェル、ジェームズ・スペイダー、ピーター・ギャラガー、ローラ・サン・ジャコモほか


『セックスと嘘とビデオテープ』が公開当時かなり話題になっていたのは何となく知っていた。だがいつものようにひねくれた性格が邪魔をして「とりあえずパス」になっていた。もう相当前の作品だが自分は1940~50年代の映画もとくに古いとは思わずに見るので、自分の中ではまったく問題がない。のんきな、というか呆けた男である。

アメリカのどこかの郊外が舞台で、主人公のアン(アンディ・マクダウェル)は弁護士の夫ジョン(ピーター・ギャラガー)と大きな邸宅に暮らしていた。一見平和に見える家庭生活だが、アンは心療内科に通ってカウンセラーにセラピーを受け、夫のジョンとはセックスレスが続いていた。ところが、同じ町にアンの妹、シンシア(ローラ・サン・ジャコモ)が住んでいて、アンの知らぬ間にジョンと通じていた。

ある日、ジョンの大学時代の友人だというグレアム(ジェームズ・スペイダー)が、同じ町で家を探すため、数日ジョンとアンの邸宅に住むことに。弁護士然としたジョンとは違って、どこか変わり者で若い頃の雰囲気を残すグレアムにアンは興味を持つ。知人としてグレアムの新宅の様子を見ようと軽い気持ちでアンはグレアムの部屋を訪ねるが、不特定多数の女性が性的なことについて語るのを撮影したビデオテープがあるのを見て衝撃を受ける。

とまあ、途中まではそんな感じで進んでいくんだけど、題名からするとかなり露出があるんじゃないかと想像したが、思ったほど露出がなくてかえって呆気にとられたほどだった。露出があるのはジョンとシンシアが密会を重ねているときくらいで、アンに至っては全く脱がないといったように、全体に抑制が効いているように思えた。

何か大きな事件が起こって主人公たちがそこに巻き込まれていく、といったタイプの映画ではなく、また主人公が何か目的を達成するために奮闘するというものでもない。なんだか筋らしい筋はないというか、じつに淡々と進んでいくのである。こういう映画は得てして退屈になりがちなんだけど、巧いのは最初のほうに不倫関係を提示したことで、それによって見ている者は緊張が持続するサスペンド状態に置かれることになる。

まあ、たいてい不倫っていつか露見して修羅場になってしまうものでしょう? それが来るのをもう予感していて、観客はいつかな、どうなるかな、と緊張しながら見続けてしまう仕掛けになっている。もちろん本作もその一瞬はやって来るんだけど、不倫の二人が肌を合わせている現場に妻が現れる、などという絵に描いたような修羅場にはならず、あることでふとアンがそれに気づく。このあたりはエレガントですね。

登場人物を絞り込み、撮影現場もかなり限定しているようだから、おそらく低予算の映画だと思うが、仕上がりは上々で、いささかも低予算ゆえのチープさを感じさせられなかった。時系列の交錯がなくストレートに進行するためか、まるでドキュメンタリー映画とか一種のロードムーヴィーを見ているような不思議な感じがした。題名とは裏腹でむしろ上品な作風の映画じゃないだろうか。エンディングもちょっと意外で面白かった。


【付記】
● 劇中でアンは「自分は性的快感を感じたことはない。とくにセックスが必要なわけではない」とカウンセラーに明言しますし、グレアムは勃起不全であることをアンに明かします。種と遺伝子を残すための性的行為が「本能」とすれば、そうではなく目的が曖昧でどこか「遊び」の要素を含んだ性的行為は「文化」に近いものかもしれません。ですが両者をはっきり峻別することは難しく、多くの場合入り混じって表れてくるのではないでしょうか。性の多様性について考えさせられる映画でした。


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『キル・ビル』

『キル・ビル』(Vol.1、2003年、アメリカ映画、111分)(Vol.2、2004年、136分)

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原題:Kill Bill
監督:クェンティン・タランティーノ
出演:ユマ・サーマン、デヴィッド・キャラダイン、ダリル・ハンナ、マイケル・マドセン、ルーシー・リュー、ヴィヴィカ・A・フォックス、千葉真一、栗山千明、ジュリー・ドレフュス、ゴードン・ラウほか


クェンティン・タランティーノ監督映画『キル・ビル』は日本人も出演しているということで話題になっていたことはよく覚えている。朝の情報番組でもかなり時間を割いて紹介していたのだが、例によって「話題になっているものはとりあえずパス」という何ともひねくれた性格のゆえか、映画館に足を運んで見ることもなく、何年も経ってしまった。このあたりはもう少し改善したほうがいいと自分でもわかっているのだが、性格というのはそう変わるものではなかろう。

「深作欣二に捧ぐ」という文字が出た後、始まりはモノクロ画面で、ヒロイン(ユマ・サーマン)が血だらけのひどい顔になって倒れている。『パルプ・フィクション』(1994)でもかなりぶっとんだ演技をしていた彼女だが、いきなりこれは……ボスらしき男ビル(デヴィッド・キャラダイン)が近づいてきて銃を撃つのだからヒロインはもうおしまいか、という感じだが、タイトル画面の後はカラー映像になっている。

アメリカの片田舎に車で訪れたヒロインは、ある邸宅に入っていくが、そこにはかつて自分を痛めつけた組織のメンバー、ヴァニータ・グリーン(ヴィヴィカ・A・フォックス)がいた。ヒロインはいきなりパンチを食らわせ、女同士の格闘が始まるわけだが、これがまたかなり訓練を積んだと思われる動きで、思わず笑ってしまうような嘘臭さが微塵も感じられないのがすごいところだ。といっても、ジョン・ウー監督のようなアクションも個人的には好きである。

要するに、殺し屋組織から足抜けしたヒロインに制裁を加えたビルたち五人に対する復讐劇であり、題名はそのまんまで筋も単純明快。千葉真一と深作欣二監督はコンビを組んで何本も映画を撮っているが、それをタランティーノ監督は見たのであろう、とにかく日本のアクション映画のようなもの、できればそれにジョン・ウー的なアクションも加味して現代的にブラッシュ・アップしたような感じで撮りたい、という雰囲気が伝わってくる。

『Vol.1』の見所は沖縄にヒロインが訪ねて行って、伝説の刀職人ハットリ・ハンゾウ(千葉真一)に刀を作ってもらう話と、ハンゾウの刀を持ったヒロインが暴力組織のトップ、オーレン石井(ルーシー・リュー)と戦う場面だろう。ゲスト出演している千葉真一(クレジットはSonny Chiba)なんだけど、なんだかうれしそうに演技しているように見える。千葉自身が戦う場面はないのが少し残念だが、女優達に剣術の指導を行ったという。

オーレン石井の過去を明かす場面で突然アニメーションが挿入されて驚くが、これは『銀河英雄伝説』や『新世紀エヴァンゲリオン』などにもかかわった日本のアニメ・プロダクションが担当したという。日本のアニメとアメリカン・コミックスがブレンドされたような不思議な感じのアニメ。そして栗山千明というとても可愛い女の子が、女子高校生の制服姿で鎖のついた金属製の球を振り回す姿に度肝を抜かれる。だけど彼女に「GOGO夕張」っていう変な名前が付けられているのは笑ってしまうなあ。

もっと笑ってしまうのはヒロインが黄色い体操服を着て登場するところ。これもう、どう見てもブルース・リーの『死亡遊戯』ですよね。体側に黒のラインが入っているところまで再現しているのに本気を感じる。映画大好きな監督だけあって、この手の「オマージュ」とか「パロディ」はてんこ盛りらしいので、気になる人はウィキペディアやその他ネットで情報を集めるといいんじゃないだろうか。個人的には『Vol.1』のエンディング曲に日本の演歌が使われていること、これがいちばん衝撃的だった。「おんな、おんな、おんないのちの、う~らみぃ~ぶ~し」とくるんだからねえ。

オーレン石井の組織のNo.2で弁護士でもあるソフィーはどこかで見たことがあると思っていたら、NHK『アインシュタイン・ロマン』の最終話に出てきたジュリー・ドレフュスではないか。まったく悪者には見えない感じの彼女、フランス語と英語、日本語ができる人だから、撮影の現場では本当に役に立ったんじゃなかろうか。日本が舞台の場面における影の功労者だと思うけど、作中では悲惨な目に遭ってちょっとかわいそうになるんですよね。

『Vol.1』で五人のうちの二人を始末した後の『Vol.2』で、舞台はアメリカ、テキサス州へ移る。ここでビルの弟、バド(マイケル・マドセン)とヒロインがやりあうことになるのだが、ヒロインは胸に岩塩をぶち込まれた後、棺桶に入れられて生き埋めにされてしまうのだ。その後、ヒロインが中国の高僧パイ・メイ(ゴードン・ラウ)に弟子入りして修行をする場面になるのだが、ここでもかなり厳しい修行で、見ていて大丈夫かな、と思ってしまう場面もあった。そしてクライマックスはメキシコで、ビルとの直接対決になる。

全編通じて言えるのは、これだけヒロインがズタボロになってしまう映画がかつてあっただろうか、と思ってしまうほど、ヒロインが本当にひどい目にあう映画ということだ。『パルプ・フィクション』でユマ・サーマンを見たとき、その演技力に舌を巻いた。本作でも体当たり演技の連続なんだけど、ユマ・サーマンはそれができてしまう人なんですね。タランティーノ監督は女優ユマ・サーマンの演技力の一部を最大限まで引き出したのではないかと思う。ハードヴァイオレンス・アクション映画なんだけど、なぜか笑えてしまうところがいっぱいあって、いい意味で不思議な後味を残す映画ではないだろうか。


【付記】
● ハリウッドが日本関係の映画を作ると、ネイティヴの日本人にとってかなり違和感が残るものが多いのですが、さすがは日本映画通のタランティーノ監督だけあって、それほど変な感じはしませんでした。直球勝負の映画だと思いますので、あまり深く考えずに楽しむのがいいのですが、「ハードヴァイオレンス映画」なので、食事をしながら、とか、家族みんなで、というのはやめておいたほうがいいと思います。


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『サクリファイス』

『サクリファイス』(1986年、スウェーデン映画、149分)

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原題:Offret(The Sacrifice)
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:エルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッド、アラン・エドヴァル、スヴェン・ヴォルテル、グドルン・ギスラドッティルほか


以前テレビでアンドレイ・タルコフスキー監督のドキュメンタリー番組があり、家が燃える映像がとても印象に残ったのを覚えている。それが『サクリファイス』という映画の場面であることを知ったけれど、レンタルメディア店に置いてないし、DVDの販売もなかった(と思う)ので見たくても見ることができなかった。この度、レンタルメディア店の企画コーナーでタルコフスキー映画を三本見つけたときはうれしくて仕方がなかった。

現在(2016年1月)、DVDやブルーレイ・ディスクでの販売も行っているようだから、ファンの方はこの際、タルコフスキー映画のまとめ買いをしておくのをお勧めする。と言って自分がまとめ買いをするかどうか怪しいもので、やはり自分はタルコフスキーの「隠れファン」でしかないんだろうな、と思う。舞台はスウェーデンのゴットランド島で、宮崎駿『魔女の宅急便』のモデルというかロケ地であるという。だが住宅が密集する市街地ではなく、海岸沿いにぽつんと離れて立つ一軒家を中心に話が進んでいく。

元舞台俳優だったアレクサンダー(エルランド・ヨセフソン)と妻アデライデ(スーザン・フリートウッド)、息子と娘の四人家族で、通いの家政婦ジュリアとマリアたちと暮らしている。その日はアレクサンダーの誕生日で、郵便局員のオットー(アラン・エドヴァル)や医者ヴィクトル(スヴェン・ヴォルテル)らを招いて誕生パーティーが開かれることになっていた。

人々が居間に集まってテレビを見ていると、突然「核戦争が起こって非常事態になった」というニュースが入り、直後に停電が起こって外部との連絡が取れなくなってしまい、皆はパニック状態になってしまった。それまで神を信じなかったアレクサンダーだが、「自分の所有するものはすべて神の犠牲にささげるから世界を救ってほしい」と初めて神に祈る。

郵便局員オットーから「家政婦のマリアはじつは魔女であり、彼女と交わらなければ世界は救われない」と聞き、医者のヴィクトルの鞄から拳銃を取り出し、マリアの家に向かう。マリアは困惑しながらも、どうか世界を助けてほしい、と自分のこめかみに拳銃を当てながら必死に懇願するアレクサンダーを受け入れる。

とまあ、途中まではそんな感じなのだが、冷静に考えると何たる荒唐無稽、たかが一人とその家族が犠牲になることで核戦争をなかったことになんて……そう、絵が好きだった一人の男がある政党の党首になってその後行った数々のことも、民間人相手に大量破壊兵器が実際に使われてしまったその時も、世界で最も知られたロック・グループの元メンバーがファンの一人に撃たれるその瞬間さえも、神は……

なるほど確かに荒唐無稽な話ではある。だけどそんなふうに虚無的に否定してみても仕方がない。信仰の対象や形式、教団の実態はこの際問題ではない。おそらく、なにかを信じるという行為そのものの力が大切なのであって、例えば「愛」や「希望」を決して捨てずに信じ、それらが心の中で灯っている限り、それが、いやそれだけが人を導き、人を生かし続けることができるのではないか。共産主義下のロシアでは、それを表現することが困難だったのではないかと想像する。

タルコフスキー映画なので、やはり退屈に感じてしまう人もいるかもしれないが、『サクリファイス』にはタルコフスキー作品すべての中でもベスト・ショットと言える、ある場面が出てくる。カメラが本当にゆっくり引いていくあの場面で、見たことがある人は「ああ、あの場面ね」と思い浮かべることができると思う。とにかく、その瞬間言葉を失ってしまうほどで、なぜか心が洗われるような不思議な感動がじわっと押し寄せてくるのがたまらない。これはもう、しばらく心の中で寝かせておいて「熟成」したら、また見たくなってしまう映画である。

タルコフスキーの映画を見て何が言えるか、そんなことは思いもよらないけれど、続けて何本か見た以上、少しだけ語ってみたいと思う。もし、『ソラリス』が「愛」で、『ストーカー』が「希望」だとしたら、『サクリファイス』は「祈り」ではないかと思う。人知を超えたあまりにも大きな力が動いたとき、人間にできるのはもはや何かに「祈る」ことだけである。たとえどれだけ信仰から離れていたとしても、いざという時に自分にできることは、おそらく「祈る」ことくらいしかないのではないか。心底からそんなことを思った。


【付記】
● あの例の場面だけでも(おいおい)見る価値がある『サクリファイス』ですが、じつはもう一つ、『ソラリス』でも見られるあの「空中浮遊」が出てくる場面もあるんです。見るたびに、どうやって撮ったんだろう、と首を傾げざるを得ない仕上がりでした。


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只野乙山

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